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軽い気持ちで国民的アイドルと友達になったら、周りの美少女達から激重感情をぶつけられる件――え!? トップアイドルの君まで!?  作者: 沢田美


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7/10

もうあんたの役目なんだから

 神崎玲音に「次のオフ、事務所のレッスン見学できる日あるけど」と言われた翌日、僕は朝から少しだけ落ち着かなかった。


 別に、楽しみにしていたわけではない。

 そもそも芸能事務所なんて場所、僕みたいな陰キャが自分から近づく人生設計には入っていないし、場違い感で死ねる自信がある。ただ、一度ああ言われてしまうと、行かないという選択肢が妙に取りづらかった。


 しかも、断るタイミングを逃したまま昼休みを迎えたところで、白須賀が当然のように一枚の封筒を僕の机に置いた。


「はい、これ」


「何」


「玲音から。入館パスと地図」


「本当に話進んでるんだけど」


「進めたんでしょ、本人が」


 白須賀は楽しそうに笑っている。

 封筒を開けると、たしかに事務所ビルの簡易案内図と、見学者用の仮パス、それから手書きのメモが入っていた。


『土曜、十二時。遅れたら許さない』


 それだけ。

 短い。けれど玲音らしいといえば玲音らしかった。


「……行く前提なんだ」


「玲音、そういうとこあるよ」


 白須賀は僕の反応を見て、くすっと笑う。


「でも、たぶん来てほしいんだと思う。沢渡くんが見た玲音を、向こうでもちゃんと見せたいんじゃない?」


「なんでそんなことになるの」


「さあ?」


 絶対分かっている顔で、白須賀は肩をすくめた。

 僕は封筒を見下ろしながら、小さくため息をつく。断る理由はある。あるのだけれど、行かない理由としては弱い。何より、あの見学会のあとで「やっぱり行かない」は、少しだけ後味が悪かった。


 結局、僕は行くことにした。


 ※ ※ ※


 土曜の昼前、僕は都心のオフィス街に立っていた。


 高いビルが当たり前みたいに並び、人の流れは速く、誰もが自分の行き先を迷っていない顔をしている。

 その中に混ざると、自分だけが場違いな異物みたいに思えてくる。うちの学校でも十分落ち着かなかったのに、芸能事務所の本社ビルなんて、陰キャ耐性の上限を明らかに超えていた。


 入口の受付で仮パスを見せると、スタッフは慣れた手つきで確認を済ませた。


「神崎さんから伺っています。十三階のレッスンフロアへどうぞ」


 名前を告げるだけで通される。

 それが妙に現実味がなくて、エレベーターの中で何度もパスを見返してしまった。


 十三階へ着くと、フロアの空気は下のロビーとは一変していた。

 鏡張りの壁、遠くから響くリズム音、行き交うスタッフ、衣装ラック、積まれたダンスシューズ。表に見える華やかさの裏にある、ひたすら実務的な空間。学校案内の撮影で少しだけ覗いた“裏側”が、今度はもっと濃い形で広がっていた。


「遅くないじゃん」


 声をかけられて振り向く。

 そこにいたのは玲音だった。


 今日はレッスン着らしく、黒のショート丈パーカーに細身のパンツという動きやすい格好をしている。ステージ衣装の時よりずっとラフなのに、隠しきれない華があるのが厄介だった。髪は高い位置で一つに結ばれていて、顔立ちの鋭さがいつもよりそのまま出ている。


「遅れたら許さないって書いてあったし」


「ちゃんと読んだんだ」


「読むでしょ、普通」


「ふーん」


 玲音は少しだけ満足そうに目を細め、それから僕の首元の仮パスを指で弾いた。


「じゃ、案内する。変なとこ入らないでね。迷子になられても困るし」


「迷子になるほど広いの?」


「なるよ。あんた方向感覚なさそうだし」


「初対面の頃から思ってたけど、評価が地味に低いよね」


「低いんじゃなくて、観察結果」


 そう言いながら歩き出す背中を追う。

 廊下の途中で、鏡越しにいくつものレッスンスタジオが見えた。ダンスの基礎練習、発声、撮影用コメントの確認。年齢も雰囲気もばらばらのタレントたちが、それぞれの場所で真剣な顔をしている。


 表に出るのは一握りでも、その背後にはこんな量の積み重ねがあるのだと分かると、なんというか、めまいがした。


「どうしたの。もう帰りたい?」


「ちょっとだけ」


「早すぎでしょ」


 玲音は呆れたように笑う。

 でも、その声はどこか楽しそうだった。


 通されたのは、一番奥の大きなスタジオだった。

 中にはすでに何人かいて、振付師らしい男性が前でカウントを取り、数人の女性アイドルが立ち位置を確認している。白須賀もその中にいた。


「あ、来たんだ」


 鏡越しに僕へ気づいた白須賀が、軽く手を振る。

 レッスン着の彼女は学校にいる時よりずっと素に近く見えるのに、それでも人の目を引く。玲音とは違う意味で、視線が自然と集まる人だ。


「ほんとに来たね、沢渡くん」


「僕もそう思ってる」


「ふふっ」


 白須賀は笑いながらも、すぐに前へ向き直った。

 どうやら今は合同レッスンの最中らしい。玲音も僕を壁際の椅子へ座らせると、短く言った。


「そこで見てて。終わるまでたぶん四十分くらい」


「うん」


「ちゃんとね」


 念押しみたいに言ってから、彼女はスタジオの中央へ戻っていった。


 音が流れる。

 次の新曲だろうか。アップテンポで、サビで一気に視界が開けるような曲だった。白須賀が中央寄り、玲音がその隣。二人は同じ振りを踊っているのに、見え方が明らかに違う。


 白須賀は、流れの中心にいることが自然すぎた。目線の配り方、手先の抜き方、笑顔へ入る瞬間の柔らかさ。

 対して玲音は、動きそのものはキレがあるのに、ところどころ力が入りすぎて見える。鋭さが武器のはずなのに、今はそれが微妙に浮いていた。


「神崎、そこ一回止めよう」


 振付師が言う。


「悪くないけど、ちょっと追ってる感じが強い」


「追ってる?」


「白須賀の抜け方を真似しようとして、逆に自分のリズムを失ってる。あと視線が前じゃなくて横に行く」


 言われた瞬間、玲音の眉がごく小さく寄った。

 横。たぶん白須賀のことだ。


「神崎は神崎の取り方でいい。比べなくていいから、センターを奪いにいくんじゃなくて、自分の見せ方に戻して」


「……了解」


 返事は平静だった。

 でも、さっきまでより少しだけ声が硬い。


 レッスンは再開されたが、玲音の動きはかえって迷いが増していた。

 無理に力を抜こうとして、でも抜き切れなくて、結果として中途半端になる。見ているだけの素人でも分かるくらい、噛み合っていなかった。


 やがて休憩が入ると、玲音はスタッフの輪にも入らず、そのまま一人でスタジオを出ていった。


 ※ ※ ※


 少し迷った末、僕は彼女を追った。


 追ったといっても、大げさなものじゃない。

 たぶんああいう時に一人になりたいタイプだろうとは思った。思ったけれど、あのまま何も見なかったことにするのも違う気がした。


 廊下を曲がり、自販機スペースの先にある非常階段の踊り場で、玲音は手すりにもたれていた。

 窓の外を見ながら、未開封のペットボトルを握っている。僕の足音に気づくと、振り向きもしないまま言った。


「なに。感想でも言いに来た?」


「いや……」


「ひどかったでしょ、さっき」


 先に言われてしまって、言葉が詰まる。

 玲音はそこでようやくこちらを見た。いつもの少し意地悪そうな顔ではない。うまく笑う余裕のない、年相応の、少し悔しそうな顔だった。


「学校案内では“神崎玲音でいい”って思えたのに、ステージになるとダメ。隣に沙也加がいるだけで、勝手に意識する。もっと軽く抜けるとか、もっと王道の笑い方しろとか、そういうの頭で考えた瞬間に、自分が分かんなくなる」


 彼女はペットボトルのラベルを指で潰す。


「笑えるよね。一回うまくいったくらいで、ちょっと勘違いしてた」


「勘違いじゃないと思うけど」


「でも今、戻ってるじゃん」


 その言い方が妙に刺さる。

 玲音はきっと、比べられることに慣れている。でも慣れているから平気、ではないのだろう。むしろ何度も同じ傷の入り方を知っているからこそ、少しのきっかけでそこへ戻ってしまう。


「……玲音さん」


「なに」


「さっき、白須賀さんを見すぎてた」


「だから振付師にも言われたんでしょ」


「でも、追ってるっていうより、確認してる感じだった」


「確認?」


「自分がちゃんと間違ってないか、隣を見て確かめてるみたいな」


 僕がそう言うと、玲音は一瞬だけ黙った。


「……それ、かなりダサいね」


「ダサいかどうかは分からないけど」


 僕は壁にもたれて、なるべく彼女のほうを見すぎないようにしながら続ける。


「学校案内の時、玲音さんってカメラの向こうにいる“まだ来てもいない誰か”を見てたじゃん。あの時は白須賀さんを基準にしてなかった。でもさっきは、客席でもカメラでもなくて、隣だけ見てた」


 自分で言いながら、かなり出しゃばっている気はした。

 こういうことを他人に言うのは得意じゃない。むしろ苦手だ。できることなら曖昧に流して、何も言わずに済ませたい。


 でも、玲音に関しては、それをするとたぶん違う気がした。


「玲音さんの強いとこって、たぶん“ちゃんとこぼれた人を拾える”とこだと思う」


「……またそれ言うんだ」


「合ってるから」


 玲音は小さく息を吐く。

 否定はしなかった。


「だったら、白須賀さんを追うんじゃなくて、玲音さんが拾いたい相手を見たほうがいいんじゃない」


「拾いたい相手」


「うん。学校案内で届いた子みたいな人とか。今の曲なら、たぶん前向きになりたいけど一歩目が怖い人とか。そういう誰か一人を決めて見たほうが、玲音さんは強いと思う」


 沈黙が落ちる。

 階段の下のほうで、誰かが通る気配がして、また遠ざかっていった。


 やがて玲音は、握っていたペットボトルをようやく開けて一口飲んだ。


「……あんたさ」


「何」


「ほんと、こういう時だけ嫌なくらい核心つくよね」


「褒めてる?」


「半分は」


 彼女はそう言ってから、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 さっきまでより、呼吸が落ち着いている。


「分かった。次、それでやる」


「次って、今日まだあるの?」


「ある。通しの最後、もう一回」


 玲音は階段から立ち上がると、僕の前まで来て、仮パスのストラップを指先で引いた。


「ちゃんと見てて」


「それ、さっきも言ってた」


「今度は意味が違うの」


 距離が近い。

 僕が反応に困っている間に、玲音は少しだけ低い声で続けた。


「さっきまでの私じゃなくて、次の私を見て。今の聞いたあとで、ちゃんと変われたかどうか。あんたに見てほしい」


 その言い方は、ほとんど指名だった。


「……分かった」


「うん。それでいい」


 満足したように言って、玲音は先に階段を上がっていく。

 僕はその背中を少し遅れて追いながら、なんとなく思った。彼女はきっと、平気そうに見えるぶんだけ、一度誰かへ預けた期待を簡単には引っ込めない。


 たぶん、そういうタイプだ。


 ※ ※ ※


 スタジオへ戻ると、最後の通しが始まった。


 さっきと同じ曲。

 同じ立ち位置。同じメンバー。白須賀は変わらず中央寄りにいて、玲音はその隣に立つ。


 でも、音が鳴った瞬間から、見え方が違った。


 玲音はもう、隣を見ていなかった。

 正確には、必要な確認以外では一切そこへ意識を流していない。視線は正面、その少し先。誰もいないはずの空間に、たしかに誰かを置いているような目だった。


 動きの鋭さはそのままだ。

 なのに前より柔らかい。無理に力を抜いた感じではなく、芯だけを残して余計な緊張が消えている。サビの最後、白須賀が広く光を投げるなら、玲音はその光が届ききらなかった場所へ、まっすぐ一本の線を通すみたいに見えた。


 曲が終わる。


 振付師が数秒黙り、それからはっきり言った。


「神崎、それだ」


 玲音はすぐには返事をしなかった。

 ただ、ほんの少しだけ肩の力が抜けたのが、遠目にも分かった。


「今の神崎、ちゃんと前に届いてた。白須賀とぶつかってないし、逃げてもない。自分の取り方になってる」


「……ありがとうございます」


 その声には、さっきまでの硬さがなかった。


 白須賀も隣で笑う。


「よかったじゃん、玲音」


「まあね」


 軽く返しているけれど、耳が少し赤いのはさっきと同じだった。

 ただ今度は、悔しさじゃなくて、別の熱で赤くなっている気がした。


 レッスンが終わり、僕が帰る支度をしていると、玲音が当然みたいな顔で出口までついてきた。

 エレベーターホールには誰もいない。鏡みたいに光る壁に、僕らの姿だけが映っている。


「で」


 玲音が言う。


「感想」


「え、今ここで?」


「今ここで」


 逃がさない調子だった。

 僕は少し考えてから、正直に言う。


「前のは、白須賀さんの隣にいる玲音さんって感じだった」


「うん」


「でも最後のは、玲音さんがちゃんと真ん中にいた」


 真ん中、と言ってから、自分で少しだけ気恥ずかしくなる。

 語彙が足りない。もっと上手く言えそうな気がするのに、こういう時に限って簡単な言葉しか出てこない。


 けれど玲音は、それを聞いて目を細めた。


「……そっか」


 その声はやけに静かだった。


「じゃあ、次からも来て」


「次からも?」


「うん。今日ので確信した」


 玲音は一歩近づく。

 エレベーターの到着を告げる音が鳴ったのに、彼女は僕の前からどかなかった。


「あんたが見てると、私、ちゃんと私でいられる」


「それ、だいぶ重くない?」


「今さらでしょ」


 あっさり言われてしまう。

 玲音は僕の仮パスを外し、そのストラップを指に絡めたまま続けた。


「学校案内の時もそうだったし、今日もそう。だから、もう他の誰かに先に見つけられるの、あんまり面白くないんだよね」


「先にって何」


「そのままの意味」


 玲音は笑う。

 でも、その笑みの奥には冗談で済ませる気のないものが混じっていた。


「私が迷ってる時、最初に気づくのはあんたがいい。変に無理してる時も、ズレてる時も、届いてる時も。ぜんぶ先に見つけて」


 そして最後に、彼女は僕の胸元へ仮パスを押し返すようにしながら、少しだけ声を落とした。


「だって、それもうあんたの役目だから」

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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