西条静は静かに狙っている
西条静が去ったあとも、僕はしばらく渡り廊下の手すりにもたれたまま動けなかった。
面白い、と言われたこと自体には、そこまで強い意味はないのかもしれない。
けれど、あの西条静が、初対面に近い相手へわざわざそう言い残したことと、その直前にごく自然に僕の下の名前を呼んだことが、妙に頭へ残っていた。
しかも、あの人はたぶん、軽く言っていない。
白須賀のように真正面から人を引っ張るタイプでも、吉良明日香みたいに勢いで距離を縮めるタイプでもない。西条静は、もっと静かに観察して、静かに決めて、それから必要なことだけを言う人間だ。
だからこそ、何を考えているのか読みにくいし、読みづらいぶん、逆に気になってしまう。
いや、気にしている場合じゃない。
今日は撮影中で、しかもこの企画自体、どう考えても普通の学園ドラマではない。
“自然な関係性”を見せたいだの、休憩中も回しっぱなしだの、そういう言葉をスタッフが平然と口にしている時点で、これはショートドラマの皮を被った学園ラブコメ寄りのリアリティショーだ。誰が誰に寄るか、誰と誰の距離が近いか、そういうところまで全部コンテンツとして消費する気配がある。
僕みたいな陰キャに、最も向いていないタイプの現場だった。
「沢渡くーん! どこー!?」
明るすぎる声が廊下の先から飛んできて、僕は反射的に肩をびくつかせた。
ほどなくして、吉良明日香が角を曲がって現れる。金髪が光を弾いて、存在そのものが眩しい。
「いたー! もー、探したよ?」
「探されるようなことしましたっけ」
「次、図書室シーンなんだけど、男子キャスト一人足りないってスタッフさんが困ってて。あ、でも見つけたから解決!」
どうやら僕を探していた理由は純粋にそれらしい。
明日香は話しながらも距離感が近い。悪意は全然ないのに、近づかれるだけでこっちが勝手に緊張するタイプだ。
「沢渡くんってさ、ほんとに学校にいそうな感じだよね」
「それ、今日二回目なんだけど」
「え、いい意味だよ? 芸能の人って、どうしても“撮られ慣れた存在”になっちゃうから、こういう企画だと逆にリアルな学生感って貴重なんだよねー」
その言い方は軽いが、現場の見方としてはたぶん正しいのだろう。
僕としては、そんな希少価値いらないのだけれど。
「ほらほら、行こ! 静も先に戻ってるし!」
明日香に急かされるまま、僕は図書室へ向かった。
※ ※ ※
図書室の撮影は、当初の台本よりだいぶ様子が変わっていた。
最初は白須賀が転校生役として本を探し、それを他の生徒たちが自然に手伝う、という程度のシーンだったはずなのに、現場へ来てみると、椅子の配置もカメラの位置も妙に“会話が起こりやすい”形へ変えられている。
中央に白須賀、その左右に神代蓮と二階堂蒼真。少し離れた棚の前に西条静と吉良明日香。そして、なぜか僕の位置は、西条の近くになっていた。
「そこ、沢渡くんと西条さん、自然に会話が起きそうな距離感でお願いします」
ディレクターがそう言った瞬間、僕は心の中で察した。
狙っている。
この人たち、完全に狙っている。
リアルな空気感、という名目で、誰と誰が自然に近づくかを抜こうとしている。しかも、その場で一番目を引く白須賀だけでなく、他の組み合わせまでちゃんと見ている。
嫌な意味で、仕事が細かい。
撮影が始まると、神代と二階堂は案の定、白須賀の周りへうまく入り込んでいた。
神代は明るく、本を取るのを手伝うふりをしながら距離を詰める。二階堂は落ち着いた口調でおすすめの本の話を振り、白須賀の知的な面を引き出そうとする。手口は違うが、狙いは同じだ。
白須賀はそのどちらにも丁寧に応じていた。
応じているのに、なぜか一線だけは越えさせない。そのさじ加減が、やっぱりうますぎる。
僕はというと、本棚の前で資料本を持ち上げるだけの役だった。
これなら楽だ、と思ったのも束の間。
「西条さん、そのカットのあと、沢渡くんと軽く目を合わせてもらえます?」
ディレクターの一言で、また空気が変わる。
「目を合わせる、ですか」
西条が静かに確認する。
「はい。言葉はなくていいです。図書室って静かだから、喋らない空気も絵になるんで」
それ、もう絶対わざとだろう。
けれど西条は何も言わず、小さくうなずいた。
次のテイク。白須賀のシーンの後ろで、僕は本を棚へ戻す。すると、その向こう側から西条の手も伸びてきて、同じ本の背表紙に触れた。
目が合う。
ほんの一瞬。
でも、西条はその瞬間だけ、演技用に作った顔ではなく、休憩中に僕へ向けたのと同じ静かな表情をしていた。
「……カット、いいですね」
ディレクターが満足そうに言う。
何がいいのか知らないけれど、少なくとも僕の心臓には悪い。
※ ※ ※
その後の休憩は、予想以上に騒がしかった。
図書室前の廊下に椅子と飲み物が並べられ、キャストたちが思い思いに散る。カメラは少し離れた位置にあるが、完全に切れているわけではないのが分かる。
つまり、ここから先も半分くらいは“撮られている前提”で考えたほうがいい。
神代はすぐに白須賀の隣を確保した。
「白須賀さんって、台本の読み込みすごいですね。さっきの本の持ち方まで自然で驚きました」
「ほんと? うれしい、ありがとう」
「今度、演技の相談してもいいですか?」
「相談なら全然」
人当たりよく返す白須賀。
だが、その横で二階堂がすかさず別の話題を差し込む。
「白須賀さん、次の中庭シーン、感情の入り方難しくないですか。あそこ、たぶん視線の置き方でかなり印象変わりますよね」
今度はそっちか。
神代は分かりやすい。二階堂は計算が細かい。
どちらも“さすが”とか“すごい”とか、そういう言葉を使いながら、ちゃんと白須賀の内側へ入り込もうとしているのが見える。
でも、僕がそれを観察している間にも、白須賀は変わらず笑顔だった。
笑顔のまま、誰のペースにも完全には乗らない。そのあたりは、やっぱり芸能の第一線にいる人間なのだと思う。
明日香はそんな空気を面白がるように見つつ、僕の近くへ来てストロー付きのジュースを差し出した。
「はい、差し入れ!」
「え、僕に?」
「そうそう。なんか一人で黙々としてるし、栄養足りてなさそうだったから」
「どういう見立てだよ」
「雰囲気!」
明日香はケラケラ笑う。
こういう軽さは、ある意味で救われる。深く考えずに接してくるぶん、変に身構えなくていいからだ。
「沢渡くんって、白須賀さんとほんと友達なんだ?」
「一応」
「へー。なんか意外。もっと、芸能の人に慣れてない感じするのに」
「慣れてないよ」
「だよね」
即答された。
そのやり取りの少し向こうで、西条がこちらを見ていた。いや、正確には、明日香と話す僕を静かに観察しているように見えた。
その視線の意味を考える前に、今度は天雨が近づいてくる。
今日は背景の在校生役で制服姿のまま現場にいるのだが、エキストラにしては明らかに存在感が強い。
「沢渡くん、飲みすぎないで」
「まだ一口も飲んでないけど」
「ならいい」
それだけ言って去ろうとする。
けれど明日香が目を輝かせた。
「え、なにこの子、すっごい美人」
「天雨美鈴さん。クラスメイトよ」
いつの間にか近くまで来ていた柊先輩が補足した。
今日の彼女は完全に管理側なのだが、こういうタイミングで自然に会話へ入ってくるあたり、やはり空気の読み方がうまい。
「へー! この学校、美人多すぎない?」
「あなたも十分そちら側だと思うけど」
柊先輩が淡々と返す。
明日香は「やった!」と素直に喜び、天雨は少しだけ困った顔をした。
騒がしい。
しかもその全員がそれぞれ違う方向へ熱量を持っているから、余計に疲れる。
そして、そんな中で西条だけが、少し離れた位置から静かにこちらを見ていた。
※ ※ ※
午後後半の撮影は、中庭での“自由会話パート”だった。
台本上は、転校してきた白須賀が在校生たちと少しずつ打ち解けていく場面。
実際には、カメラが複数台回り、誰と誰の距離が自然に縮まるかを拾う、半分リアリティショーみたいな構成になっている。
神代と二階堂は当然のように白須賀の近くへいた。
明日香はその輪の中へ飛び込んで空気を回し、西条は少し外側から必要な時だけ短く言葉を挟む。
僕はベンチの端で、配られた台本の修正版を確認していた。
余計なところへ首を突っ込まない。黙って自分の役割をやる。それが一番安全だと思っていた。
「沢渡」
低い声で呼ばれ、顔を上げる。
西条だった。
「次のシーン、台本見せて」
「え、はい」
差し出すと、西条は僕の隣へ腰を下ろした。
ごく自然な動作だったのに、なぜか少しだけ周囲の温度が変わった気がした。
特に、白須賀が会話の途中でほんの一瞬だけこちらを見たのが分かる。
天雨も、少し遠くの立ち位置から視線を向けていた。柊先輩は表情を変えないが、そういうところほど逆に怖い。
西条はそんな空気を気にした様子もなく、台本の端を指でなぞる。
「この台詞、私には少し甘すぎるわね」
「そうですか」
「ええ。“みんなと話せてうれしい”なんて、私の見た目で言うと作りものっぽい」
その自己分析はかなり正確だと思った。
西条静は、清楚で綺麗だが、甘い笑顔を全面に出すタイプではない。むしろ、感情を少し抑えたままのほうが印象に残る。
「じゃあ、変えたほうがいいんじゃないですか」
「簡単に言うのね」
「でも、無理して合わないのやるよりは」
僕がそう言うと、西条は少しだけ黙った。
それから、ごく小さく口元を緩める。
「そういうところ、本当に遠慮がないのね、裕二くん」
また下の名前だった。
しかも今度は、さっきよりずっと自然に。
「……西条さん」
「なに」
「下の名前で呼ぶの、デフォルトなんですか」
「いいえ」
「じゃあなんで」
聞いた瞬間、西条は台本から目を上げて、まっすぐ僕を見た。
「あなたのほうが、その呼び方のほうが反応が面白いから」
淡々と言う。
でも、その目の奥だけが少しだけ楽しそうだった。
そこへ、スタッフが次の準備完了を告げに来る。
西条は立ち上がりながら、台本を僕へ返した。
「あとで少し付き合って」
「何にですか」
「台詞の温度調整」
その言い方は事務的だった。
事務的なのに、僕だけを指定してくる時点で、たぶん意味はそれだけじゃない。
西条が撮影位置へ戻るのを見送りながら、僕は小さく息をついた。
やっぱり、この現場はただの撮影じゃない。
そして多分、今度は神崎玲音とは別の方向から、厄介なものが始まりかけている。
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