第8話 青葉さんの胃は若い
オフィスエリアの入口で待っていると、青葉さんはほんの数分で現れた。画面越しに見たときはよく分からなかったが、髪はちょっと編み込みがしてあってなんかおしゃれだ。それ以上は分からないけど。
「お待たせしました、白沢さん」
「いえ、大丈夫です。青葉さんがよかったらいつもの定食屋でもいいかなと思ってたんですけど、どこか決まってますか?」
それより、こんなところで二人でいるのを誰かに見つかって面倒になったら困る。そう思って慌てて提案した。判を押したような日々は平和の裏返しなのだから。
「助かります! 今日は白米を食べたい気分だったんで」
「それならよかったです」
社交辞令にしてはちょっと下手だな。白米を食べたい気分、なんて言われたのは初めてだ。
定食屋で座敷に案内され、向かい合って座る。内装が居酒屋みたいなので、青葉さんは少し浮いていた。青葉さんの見た目だといかにも「ランチ」な、テラス席もあるオシャレな店が似合うだろう。
「先に決めちゃいましょうか」
「ああ、僕は親子丼に決めてるんで大丈夫です」
メニューを差し出されたが、青葉さんを前に何を食べようかななんて悩む余裕はない。こういうときのここでのメニューは、薄味で胃に優しい親子丼と決めている。
青葉さんはパスタとか食べてそうなのに何食べるんだろう。てか、そう考えると、いくら会社から離れてるからってここを選んだのはミスだっただろうか。森川なら最近できたフレンチを選んで、しかも早めに出て先に並ぶくらいの気遣いを見せる気がする。スイッチが入ったときの営業ってすごいんだよな。
「じゃ、私はチキン南蛮で」
なんてどうでもいいことを考えている俺の前で、青葉さんは颯爽と手を挙げて店員を呼びながら、そう宣言した。胃若いな、青葉さん。
でもそういうメニューを選ぶってことは、青葉さん的にはこの店はミスチョイスってほどではないんだろう。そう思うと安心した。
「それで白沢さん、今日のランチの趣旨なんですが」
そして唐突にコンプライアンス調査――違った、話しが始まった。ぼけっとしてた俺は背筋を伸ばす羽目になる。
「あ、大丈夫です。このくらいならむしろ俺の奢りで」
「何の話ですか?」
青葉さんが眉根を寄せた。いやランチの趣旨です。
「この間の婚活パーティーの話ですよね?」
「そうです。単刀直入にお訊ねします、そして不愉快でしたらご遠慮なくそうおっしゃってほしいのですが」
何の話? 今度は俺が眉根を寄せたが、青葉さんは至極真面目な顔だった。
「先日の婚活に収穫はございましたか?」
「マジで何の話ですかこれ?」
とんでもない話題をブッ込んできたぞ、青葉さん。正直ちょっと引いて「マジ」とか言ってしまうと、青葉さんはハッとした顔に変わって物理的に引いた。
「ごめんなさい、失礼な言い方をして。白沢さんは先日の婚活パーティーでデートをするような女性と出会いましたかというか、端的に白沢さんは恋人になりそうな方がいらっしゃいますかとお尋ねしようと」
「いや……あの……別に不愉快とかはないですけど……」
マジでどういう意図でこの話題を出されたのか、それが理解できずに困惑した。
「収穫というか……特に進展する相手はいないというか、まあ、そんな感じです……」
「そうなんですね!」
つい正直に答えると、ぱあっと青葉さんの顔が明るくなった。これは……これは、好意を寄せられている、ということか? ぶわっと、今朝とは別の意味で冷や汗が流れた。好意……だと思う、そうだよな、だって異性に恋人になりそうな人がいるかって聞いて、いないと知って喜ぶんだもんな。自意識過剰ではない。
ただ、相手は青葉さんだ。コンプライアンス部の青バラだ。接点は仕事だけ、婚活パーティーなんてノーカンだ。その相手が俺の何をいいと思ったんだろう。もしかしてゲームが共通の趣味だったんだろうか。だったらもっと食いつきを見せたはず……なんて話は今はいい。どうする俺、青葉さんから付き合おうとかこの場で言われたらどうする。そりゃ悪い気はしないが、俺は別に青葉さんのことなんて仕事でしか知らないし、そりゃ真面目でいい人だとは思うけど――。
「私と一緒に住んでみませんか?」
「は?」
という、妄想に突然終止符が打たれた。お陰で素で頓狂な声を上げた。
「お待ちどおさまです」
俺の前に親子丼が置かれた。俺の頭上には「?」が浮かぶ。
「……親子丼でお間違いないですよね?」
「あ、はい。親子丼は間違ってないです。すみません」
絶妙なタイミングだったせいで店員を困惑させてしまった。軽く頭を下げながらも、俺の頭上にはやはり「?」が浮かぶ。次いで青葉さんの前にもチキン南蛮が運ばれてくる。青葉さんは割り箸を手に取り「どうぞ」と俺にも差し出してきた。受け取る。青葉さんは平然としている。もしかして聞き間違えたか?
「というわけでどうでしょう、白沢さん。私と住むというのは」
聞き間違えたわけではない……。割り箸を手にしたまま、呆然と向かい側の青葉さんを見つめる。そっと後ろを振り向いてみた。ドッキリカメラは回っていない。姿勢をずらして前のテーブルを見た。席は空だ。社員のコンプライアンス意識を試されているわけでもない。
マジで、何の話だ?




