第7話 青葉さんは公私混同しない
10月も終わりに近づいたというのに、夏はいつまでも終わってくれない。朝、冷房の電源を切りながら、一人で悪態をつく。社会人の日常に変化があるとすれば、年々夏の終わりが遅くなっていることくらいだ。今日もまた日中は暑いらしい。こんな日は在宅でも決め込みたいが、出社日なので仕方がない。
で、今日は昼前に会議、しかも相手はコンプライアンス部、そして青葉さんだ。オンライン会議越しとはいえ顔を合わせるのは例の婚活パーティーぶりということになる。お陰で少々緊張した。
会議開始1分前に参加ボタンを押すと、しばらくして青葉さんのアイコンが現れた。青葉さんのアイコンは、白ブラウスを着た証明写真だ。大抵の人はデパートで撮影したような拘りの一枚か、飲み会のいい感じの写真かのどちらかだが、青葉さんのそれはそこらの600円のボックスで撮ったものだろう。映りが悪くて、本物を見たときは「え、美人なのか」と驚いたというのは余談だ。
今日も今日とて、映りの悪いアイコンが消えると、そのままポスターにでもなりそうな美人が現れる。画面一杯にその顔が映るのは少々心臓に悪く、俺は慌ててウィンドウを小さくした。
「《お疲れ様です》」
「どうも、お疲れ様です」
婚活パーティーで顔を合わせてしまったことは果たして――と身構えたのも束の間、青葉さんはすぐに「《では始めましょうか。画面いただきますね》」と資料を共有した。
……ものすごく、普通だ。俺は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になってしまったと思う。でも青葉さんは全く反応せずに「《前半に気になった点はほとんどありませんでした》」と仕事を続ける。
……まあ、そうか。相手はコンプライアンス部の青バラだ。どんな案件でも淡々と仕事をこなし、時にその棘で刺してくる、観賞用に留めておくべき美しい青バラ。婚活パーティーで会ったところで、何が変わるわけでもないのだろう。
俺が公私混同してしまっていたようだ。危ない危ない、と自分に言い聞かせ、頭を切り替えた。
「《ところで白沢さん、今日のお昼は空いていらっしゃいますか?》」
が、その瞬間に事件が起きた。
「え? いえ、別に何も……」
そして咄嗟に答えてしまってから後悔した。手が空いていると「大丈夫ですよ」と答えてしまうのがお前の損な性格だ、と森川によく笑われる。
画面の向こう側の青葉さんは「《それはよかった!》」と両手を合わせる。
「《それでしたら、ランチをご一緒しませんか?》」
「……あ、はい。別に……」
いいですよ、と返事をしようとして、ぶわっと、全身から冷や汗が噴き出た。
ランチ。十中八九婚活パーティーの話だ。だとして一体何を言われるんだ。あの日の俺に失態はなかったと信じたいが……。
コンプライアンス部の青バラと謳われる青葉さんが婚活に出ていたことを決して口外するなと、脅迫されるのでは……! 俺の頭には恐ろしい形相で、しかし微笑を浮かべながら「他言無用ですよ?」とホットライン通報窓口のページを表示する青葉さんが浮かんだ。
決して他言しません。断じてしません。俺はこの会社でこれからもぬくぬくと終身雇用されたいんです。
「《白沢さん? どうかしましたか?》」
「あ、はい。大丈夫です。もちろん構いません」
「《よかったです。それでしたら後ほど下でお会いしましょう》」
お疲れ様でした、という一言と共に、バーチャル会議室に俺だけが残される。
……口止め料が必要、とでも考えたんじゃないだろうか? ピンときた。そうだ、青葉さんは真面目だし、ランチを奢るので見なかったことにしてほしいとか言い出すんじゃないだろうか。婚活パーティーに出席していたのは俺だって同じだし、それを青葉さんが一方的に不利に感じるのはなんともおかしな話だが、まあ有り得るだろう。むしろそれ以外ランチの理由がない。
そうだな、それに違いない。自分に言い聞かせながら席を立った。決して奢られるつもりはないが、青葉さんに無用なプレッシャーも与えぬよう、隙あらばいつもの定食屋を案内しよう。そうしよう。




