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コンプライアンス部の青葉さんは恋をしたい~関わるとトゲがある美人同僚に同棲を提案された件  作者: 潮海璃月/神楽圭


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第38話 青葉さんは警護がほしい


「……久しぶりだな、相原」

「……久しぶり」


 会話は続かない。沈黙の間に、相原は俺の手のひらから硬貨を受け取る。冷たい指先が掌を掠めてくすぐったかった。


 ――で、という話だ。こんなところで相原に会って、どうしろというのだ。


 そのとき、踏切の音が鳴り始めた。次の電車が来るらしい。相原はハッとした顔に変わると、顔ごと視線を逸らし、立ち上がった。


「じゃあ……あの、ありがとう……」

「……あ、うん」


 そのまま逃げるように。というか現に逃げられたようなもんだ、わき目もふらず走って、カバンを思いっきり電柱にぶつけて、踏切を渡っていった。相原がなんとか踏切を渡り終えるときに遮断桿が降りきった。


 俺とは逆方向なんだ。よかった。安堵して立ち上がろうとしたとき、靴に何かが当たった。


「……おいおい」


 そこに転がっていたのはパスケースだった。馬鹿じゃねえのか、と一人ごちる。改札を通った後になんでパスケースを落とすんだ。


 十中八九相原のものだろうが、どうだろうか。拾い上げてみると疑いは増した。この手の薄ピンク色の花柄のものは、相原が好きそうなものだ。表にカードを入れるタイプのそれには、少なくともICカードが入っている。そっとICカードを抜くと、アイハラマイコと名前も書いてあった。


 ……今日は水曜日。明日から週末なら、パスケースがないことにいきなり気付いてもそう困ることはないだろう。しかし平日のど真ん中だ、それなのに通勤直前に気付いたら。


 ……相原の連絡先、まだあったかなあ。わざわざLINEを削除してはいないが、相原側がどうかは知らない。その場でスマホを開く。指がかじかんで冷たかった。


 一瞬悩んで「麻衣子」と入力した。出てきたのはちょっといい感じのカフェの写真だった。


 指が冷たくて感覚がなくなってきた。頼むから早く気付いてくれよ、と念じながらそのトーク画面を開く。


 トーク画面にはなんと、履歴が残っていた。そりゃよってわざわざ消しちゃいないが、こんなもののバックアップまで要らなかったのに。知らなくてもいい最後のトーク履歴は7年前の冬で「私の荷物ってまだある?」「あるけど、持って行こうか?」「ううん、取りに行く。明日の2時とかいい?」「いいよ」……となんとも生々しい。


 相原のスマホにも、同じトーク画面が残っているのだろうか。余計に気まずい気持ちになりながら、そこに一つ、新たなメッセージを投稿する。


『白沢です。駅にパスケースが落ちてたけど、相原の?』


 まるで別人だ。日付が書かれていなければ乗っ取りと思われるに違いなかった。


 悩んだ末に送ったその一文には、なかなか既読がつかなかった。寒さに耐えかねてスマホごと手をポケットに突っ込んだ。それでもまだ中々温まらない。ポケットから手を出したのはものの数分のはずなのに、もう冷えてしまったらしい。


 相原からの返事は相変わらずなかった。でも明日の朝、電車に乗る前に待ち合わせと言われても困る。一度家に帰ってもいいが、この寒空の下、往復30分の距離はだるい。


 悩みつつも、相原からの返事があるまで目の前のマクドナルドに入ることにした。一番安いコーヒーを頼み、席に着く。相原からの返事はまだなかった。


 返事があったのは、10分くらい待ってからだろうか。既読がついて少しすると「私のです」と短く返ってきた。


 でも続きがなかった。仕方なく、俺から返事をしようとしたところで「今から取りに行っていい?」と続きがある。


 駅員に預けといた、と嘘をついてもよかったかもしれない。でも下手に駅員に預けると、相原側が引き取るときに本人確認やらなにやらで面倒なのだろうか。そう思って、「いいよ。駅前のマクドナルドに入った」と返した。相原からは「ありがとう」という一言と、頭を下げる猫のスタンプが送られてきた。


 そういえば、青葉さんはこういう可愛いスタンプを送ってこない。一度送られてきたスタンプが、あまりにもリアルなタッチのあざらしで、もっとデフォルメされたヤツでいいじゃん、と思った。ちなみにそのリアルなあざらしは「拙者、お腹が空いておりまして」と喋っていて、中々情報量も多かった。


 青葉さんらしいと言えば青葉さんらしい。そのときのLINEを見たくなって青葉さんのLINEを開く。欠けた茶碗が、連綿と青葉さんの台詞を呟き続けている。「でも結局殺害の動機が腹落ちしなかったから駄目」「久しぶりに見た郵便受けに3ヶ月前の大事なお知らせがあった」「このスタンプ可愛くない?」とどうでもいいものばかりだ。履歴はたった2ヶ月ほど。


 その画面の最下部に、突然新たな台詞が増えた。


『爆美女って知ってる?』


 どういう文脈だよ。笑ってしまうと、返事をする前に『既読が早い』と続けてきた。ちょうど読み返していた、なんて言えるわけもない。


『爆発するの?』


 そして俺の返事を待たない結論に、吹きそうになった。続いてLINEには「ドーン!」と爆発の効果音が送られてくる。


『どこで聞いたんだよ』

『前歩いてる人達が喋ってた』

『擦れ違いざまに人が爆発したら怖いだろ』

『怖い話なのかと思った。夜一人じゃ寝れないかもしれない、警護求む』


 冗談じみたその二文字に、耳の外側がひりついた。


 時刻は22時50分。終電はまだあるだろう。


 あるだろうけれど、でも、相原を待たなければならない。


 どうしようか、と逡巡しているうちに、青葉さんから続きがきた。


『でも白沢くんも爆発の前には無力だよね……』


「大抵の人間は無力だろ」

「直くん」


 思わず呟いてしまったところに、相原がやって来た。


 待たせてごめんね、と言いながら、相原は手に飲み物のカップを持っていた。


 




38.青葉さんはくだらない話が好き


 相原は俺の向かい側の席に座った。寒さに冷えた手を温めるように、カップを両手で抱える。カップを開けた中身にあるのはコーヒーではなく、カプチーノか何かだった。


 中身を冷ますように息を吹きかけると、蒸気が相原の顔を隠す。


 懐かしいな。そう思いながら見てしまっている自分がいることに気が付き、我に返ってパスケースをそっと前に押し出した。


「これ。間違いないか?」

「うん。ありがとう」


 鼻を赤くしながら、相原は嬉しそうに笑った。拍子に八重歯が見えた。そういえば相原はこんな笑い方をしていたな、と思い出した。


「……卒業ぶりだっけ」


 俺と相原は大学院が別だった。大抵の連中はそのまま進学するけれど、相原はわざわざ別の大学院を選んでいた。その志望を聞いたとき、俺は寂しいながらも「応援する」と口にして、でも別れ際に言われた。引き留めてほしかった、と。


「うん。直くん、近所に住んでたんだね」


 相原は俺の呼び方を変えない。俺はLINEでも「相原」と呼んだが、相原はあまり気にしないようだ。


「……みたいだな。相原はいつから住んでたの?」

「去年引っ越してきたばっかり。向こうに社宅があって」

「そうなんだ。結構いいところに社宅あっていいな」

「この辺り、過ごしやすくていいよね。社宅は遠いんだけどね、30分くらい歩くし、坂もあるし」


 同じ最寄駅と言っても、駅を挟んで反対側になる。相原がどのあたりに住んでいるのか、俺にはさっぱり見当がつかなかった。


「社宅に引っ越してきたばっかりって、転職でもしたの?」

「うん。最初に就職したところがすっごいブラックで」

「え……大変だったな、それ……」


 相原のメンタルを考えれば、ちょっとしんどいじゃすまないだろう。顔をしかめる俺とは裏腹に、相原は頬を緩めた。


「だから1年ちょっとで辞めて、別の会社に移って……でも結局あんまり馴染めなくて、今の会社に移ったのが去年かな」

「馴染めなかったって言っても、前の会社で結構頑張ったんだな」


 思わず、指折り年数を計算する。俺が弊社で淡々と働いている間、相原は激動の日々を送っていたに違いない。でも考えてみれば、青葉さんも会計事務所から移ってきたし、柿井さんも1年半でいなくなるし。意外とみんなそういうものなのかもしれない。


 相原は「そうだね」と相槌を打ちながら笑った。


「直くんはずっとここに住んでる?」

「ああ、就職してからずっと。意外と会わないもんだな」

「帰り、結構遅い?」

「日によるかなあ。繁忙期っていえるような定期的なものはないけど、忙しいタイミングはあるし」

「じゃ、今は忙しいタイミングだった?」

「いや、今日は飲み会。忘年会シーズンだから。相原のほうはそういうのないの?」

「もう終わったよ。忘年会って言っても2回しかなかったし」


 まあそうか、会社に依るだろうな。相槌を打ちながら、間を持たせるためにコーヒーを口に運ぶ。そのまま沈黙が落ちた。


 話せることはいくらでもあった。仕事は忙しいのか、最近大学の同期と会ってるかなんてことから、そういえば大学院はどうだったかと、俺と相原が会っていない期間の穴埋めをするような質問はいくらでも思い浮かんだ。


 それでも、思い浮かぶ度に頭に青葉さんのLINEがちらついた――『警護求む』。


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