第32話 青葉さんは肉より魚派
どうやら弊社の開発部のヤツがベンダーからキックバックを受け取っていた、と疑いをかけられているらしい。翌週、朝一に会議室で青葉さんと二人きりになり、そんな話をされた。その裏どりの進捗が悪く、青葉さんは辟易していたらしい。
ただ、開発部とセキュリティ部は似て非なる部署だ。なぜ俺にこの話を、というのを、青葉さんは畏まった様子で喋る。
「内部告発はあったんですが、証拠は全くないんです」
たとえ二人きりでも、オフィスにいる間、青葉さんは必ず俺に敬語で話す。
「でも火のないところに、とかいう諺もあるわけじゃないですか?」
「妬み嫉みという言葉もあります。匿名なら報復のおそれもありませんしね」
物騒な話である。実際、社会人の俺達にとっては、殴られたり蹴られたりよりも社会的地位を失うほうが現実的に有り得る恐怖である。
「で、今回寄せられた告発がですね、どうも要領を得ないんです。開発部の人がシステムの抜け道でなんとかかんとか……」
青葉さんは困った顔で軽く封書を振ってみせた。それが告発文なのだろう。なかなか原始的だ。
「専門の方に行間を訊ねたい一方で、告発対象がいる開発部で訊ねて回って、妙な噂が立つのも避けたい状況です。そこで技術者経験もある白沢くんに白羽の矢が立ったと、ご理解いただければ」
青葉さんの失言を俺の耳は聞き逃さなかった。波を受けあっという間に熱くなった耳の外側を、不自然でない程度に触って冷やす。
「……もちろん、お役に立てるのであれば」
「ありがとうございます」
青葉さんが手紙を差し出してくる。青葉さんの手をこうして間近で見る機会は少なかったけれど、指が長くてきれいだった。
手紙の内容は、青葉さんのいうとおり要領を得ていなかった。話している内容をそのまま書き起こしたような文章で、ところどころ文脈もない。ああ、これは確かに外の人間が読むと分からないな。
「……というか多分、あんまり詳しくない人が書いてる感じですね」
ところどころ、俺達では使わない用語の使われ方が目についた。これは基本的にはこういう内容で、まあ僕らはまとめてこう呼ぶんですけど、と説明しながら、なんとなくデタラメ感があるなという感想を抱く。
「……で、ここの金額ですけど、まあ妥当な金額じゃないかなって思います」
「キックバックの余地はないと?」
「そう言われると言い切るのは怖い気もするんですけど……なんかこの手紙だと、この部分の発注を空振りしてる……んーと、契約あるフリして金もらってるみたいな言い方されてるじゃないですか。でもこれって開発側からすれば常識っていうか、大前提っていうか。上のクラスの人間に言われたら開発放り投げたくなるかな」
はは、と笑ってしまい、しまったと慌てて口を閉じた。相手が青葉さんなのでついつい気が緩んでしまっていたが、これは一応青葉さんを悩ませていた重大な事件なのだ。
が、青葉さんも笑った。
「ああ、そういう類のね」
金曜日に見ることのできなかったその笑顔を見て、俺もまた笑ってしまった。机上に広げた資料を集める青葉さんの顔からは眉間の皺がとれていた。
「ありがとうございます、白沢さん。大変参考になりました」
「いえ、僕は一般論話しただけなんで。……こういうこともあるんですね」
「デタラメな告発が?」
「ええ」
「稀にですけどね」
「大変じゃないですか? 先週も、多分土日も潰してたわけですし」
「大変ですけど、手を抜いたら勇気ある告発が埋もれてしまいますからね」
青葉さんが立ち上がるのに合わせて、俺も立ち上がる。青葉さんは扉に手をかけながら「でも」と続けた。
「疲れることではあるので、いつでも労わりは歓迎してます」
落ち着いたら飯を食おう、というわけだ。はいはい、と内心では返事をしながら、表では「そうですね」と頷いた。
そんな緊急対応が無事に終了したと報せを受けたのは、水曜日のことだった。
『白沢くんの功績を称えつつ、私を労わる会を開こう』
『自分で言う人ってたまに見かけるけど、青葉さんほどその台詞が似合う人もいない気がしてきた』
『お寿司を食べたい』
『まず人の話を聞いてくれ。でも寿司ならいい場所知ってる』
『心の友よ!』
……友か。先日は同居同盟を結んでいる近い人と言われたが、これは昇格か降格か維持か? 訊ねたい気持ちもありつつ、俺は店のリンクを送りつけた。青葉さんは3秒くらいで「行きましょう、予約してきます」と返事をしてくれた。2分後には「19時から座敷2人」ときた。青葉さんは仕事が早い。
終業後、エントランスで会った青葉さんは目に見えて晴れ晴れとしていた。よほど面倒な案件だったらしい。スキップでもしそうな軽い足取りで、寒空の下、少し離れた駅へと歩く。
「お寿司、お寿司」
「青葉さんって寿司好きなの?」
「好き。肉派か魚派かと訊かれたら悩んだ末に魚派と答えるくらいには」
「それはあんまり分かんないな。結局食べることが好きなんじゃないか?」
「え、そうでもない。食べるの好きなら毎日ランチにコンビニでたまごサンドイッチ一択の人にならないと思う」
「それはそう、そう。青葉さんの同じものばかり食い続ける習性はそうなんだけど」
あれ、でもそういえば、自炊という日常を大事にすれば外食もいいとか、外食をすること自体にはそんなに価値を見出せないみたいなことも言ってたな。
「てか、青葉さんってあんまり外食好きじゃないんじゃ? 俺とは外食ばっかでいいの?」
「何言ってるの白沢くん、私が好きじゃないのは自炊の手間を省くための外食。白沢くんとの外食は別の話」
……この青バラは、たまにそういうことを言う。
上機嫌な青葉さんは、わざとらしく口元を手で覆う。
「見つめられてる。もしかして私のこと好きなんじゃないかしら」
「何言ってんだ」
思わず返事をした後で、もう一度呟く。何言ってんだ。
店に到着し、寿司を食べ始めた青葉さんは、ネタの美味さを饒舌に語った。
「あっまい。まるでお肉。脂たっぷりで甘くておいしい」
「嬉しそうだなあ……」
「おいしいお寿司は私を救う」
うんうん、と満足そうに頷きながら、青葉さんはひょいひょいと握りを食べる。青葉さんは細いわりによく食べる。
「このお店、何で知ったの?」
「森川に紹介してもらった。森川は先輩に紹介してもらったとか言ってた」
「ああ、森川さん。じゃあ見つかるかもしれないね」
「大丈夫、森川は今日デートだから」
この寒いのに外を歩かなきゃいけないなんて、イルミネーションがなければいいのに、とぼやいていた。下手に気を遣えるというのも大変だ。
「へー、まだ上手くいってるんだ」
「あの婚活で上手くいくはずがないとでも言いたげな」
「そんなことないよ。上手くいく人はいるんじゃないかな」
「思ってたけど青葉さん、他人にあんまり興味ないよな」
青葉さんは心外だと言いたげに目を丸くして眉を跳ね上げた。
「どこらへんが?」
「どこらへんって……その反応が?」
「だからどの反応が」
だって、森川の婚活について話のさわりだけ聞いて、上手くいく人はいるんじゃないかな、以上、なわけだろ。なんならこの話、前にもしてるのに進展も聞いてこないし。興味がない、って言ってるようなもんじゃないか。
「……いや、まあ、別に悪いことじゃないと思うから。そう気にしないで」
「そんな言い方されたら余計に気になる」
「まあまあ、落ち着――へぶっ」
誤魔化そうとしたところで、口に何かを突っ込まれた。なんだこれ。ガリか!
「何するんだ!」
「驚くかと思って」
「驚いたよ! 本当にそういうところだぞ青葉さんは!」
驚かそうと思ってガリを口に突っ込むヤツがいるか。奇行をこの身に受けて憤慨したが、青葉さんは楽しそうに笑っている。今日は日本酒を飲んでいるので、もしかして多少酔っているのかもしれない。もともと奇行癖があるとしても。
「このお店、ガリもおいしいね」
「うまけりゃいいとでも言いたげな……」
「いいでしょう」
「よくない。しかし森川はさすがだな、うまい店に悩んだら大体森川に聞くといい」
「仲良いよね、森川さんと」
「同期入社で地元も同じとなれば、こんなもんな気もするなあ。でも言われてみれば青葉さんと誰かってイメージが湧かないな」
はて、と首を傾げる俺の前で、青葉さんも首を傾げる。しっとりと濡れて見える黒い髪に、丸い顔に丸い目。思い当たる人はいない、と言いたげなその様子は、まるで無垢な小動物だ。実際には向かいの席の俺の口にガリを突っ込んでくるとんでもない女だが。
「いないけど、中途だとそんなもんじゃないかな。ほら、最初に婚活の話をしたときも言ったけど、大人だからね。相手との距離感は弁えてます」
「俺は?」
「だから同居同盟に誘ったんでしょ。同居同盟がなければ、白沢くんはただの会社の同僚止まりです」
……ということは今は? 何度となく抱いた疑問は、口にせずとも青葉さんには伝わったらしい。赤いルージュを隙なく塗った唇が弧を描いてから隙間を作る。
「ガリを突っ込んでいい相手」
「もう少し距離感を弁えてほしい」
心の友よ――そのセリフを思い返す。もちろん分かってる、あれはただのノリだ。でも実際に他人に説明するとき、青葉さんは俺をなんと説明するのだろう。




