第24話 青葉さんはお世辞が苦手
この同居同盟は、徐々に箍が外れつつある気がする。
最初に青葉さん宅を訪ねたときは、風呂に入っていいのか悩んだ。ちなみにまだ浴槽には入ったことがない。そして次は本当に布団を敷いて寝ていいのか悩んだ。先週はもう当然のように自分で布団を敷いた。
そして次はなんと、「おうちで手料理をごちそうしましょうか」が来た。
金曜日の昼休み、俺は青葉さんからのLINEを見ながらしばし固まっていた。
『今日の夜は何食べる?』
『そうだなあ、たまには和食でも』
『いい店知らない』
『たまには探しとく、なんやかんや青葉さんに探してもらってばっかりだから』
『ていうか、和食を構成するものって要は焼き魚と大量の小鉢と汁ものだよね』
『身も蓋もないことを言うな。そうだと思うけど』
『そのくらいならうちで作って食べようよ』
作ってって、まさか手料理なのだろうか。聞く前に「じゃあ6時過ぎにエントランスで」と来ただけだった。
今日も今日とて、俺は青葉さんをエントランスで待つ。外はすっかりクリスマス気分で、普段は味気ない木も、日が暮れ始めると光り始める。
婚活パーティーのときはまだ世間はハロウィン気分だったのにな。あのときに青葉さんに会って、こんなことになったんだっけか。森川には「なんか盛り上がってた」なんて言われて、まあ青葉さんの社交性のお陰だろと思ってたけど、存外俺達は、はたから見ると仲が良いのだろうか。
「白沢くん、お待たせ」
唸っているうちに青葉さんはやってきた。いつも茶色のトレンチコートなのに、今日は白っぽいチェスターコートを着ていた。青葉さんは結構オシャレなのかもしれない。
「今日、いつもとコート違うんですね」
「なに白沢くん、なんで敬語?」
こちらはオフィスでも問題ないごく自然な話題を提供したつもりだが、青葉さんは目を丸くしてみせた。そのまま立ち話もせずに歩き出すので、俺も隣を歩くことになる。
「ここはオフィスなので」
「エントランスはオフィスエリアではなく、パブリックエリアです」
コンプライアンス部の青バラめ……。
「白沢くん、昨日忙しそうにしてたけど何か新しい案件でも?」
「ああ、なんか営業がクライアントからセキュリティレポート頼まれたらしくって。それ作ってた……って」
確かに忙しくしていたが、昨日は在宅だったので青葉さんが知る由はないはずだ。
「俺になんか用事だった?」
「だって昨日ご飯に誘おうとしたらスケジュール埋まってたから」
「なんか食いたいものあったの?」
「白沢くんとご飯を食べたい気分だったんですう」
青葉さんが頬を膨らませ、丸い顔がさらに丸くなる。美人は変顔もまた美人である。俺はリアクションを誤魔化すために咳払いをした。
「ま、そういうわけだから今日の夕食決めよ」
「和食って話だったんじゃ」
「お魚にも色々あるでしょ、焼き魚に煮魚に刺身に」
「鮭の塩焼きを週4回食ってる人に言われたくねえ……」
地下鉄の駅へ到着し、俺はごく自然に青葉さんの家へ向かう電車へ乗り込んだ。さらば定期圏、俺はこれから片道数百円の身銭を切る。
「鮭の塩焼きを週4回って、一体どういう理由で食ってたの?」
「忙しくて」
「いや忙しくてももう少し選択肢あるだろ。まさしく刺身とか」
「朝に食べてたの」
「朝?」
吊革に掴まりながら、揺れる電車と共鳴するように、青葉さんは頷く。
「忙しくて残業が長引きがちで。でも外で夕食を摂ろうと思うと高くつくでしょ」
「まあ」
「というか、夜はサーブもゆっくりだから時間もかかっちゃうでしょ。だから夕食に食べるぶんを朝食に回せば、逆に朝食で食べるぶんを夕食に回していいんじゃないかと思って」
……? ……?? 俺の頭には『?』が数多浮かんだ。
青葉さんは、察しが悪いなあと言いたげに顔をしかめる。
「朝は食パン、昼はコンビニか近場で外食、夜は家で鮭の塩焼きを食べる。つまり、朝に家で鮭の塩焼きを食べて行けば、夜はコンビニでパンを買って済ませても、一日のトータル摂取カロリーの辻褄が合うでしょ?」
「…………」
青葉さんってヤベェ人だよな。会社では上手に猫を被っているようだが、ちょっとプライベートの話を聞くとぼろぼろとその片鱗が現れる。
「……知らぬが花ってやつだなあ」
「青バラだけに」
「俺も今同じことを思って我慢したのに」
「ていうか知られてまずいことじゃないけどな」
「まあ、そのくらいじゃ青バラの魔法は解けないと思う」
「青バラの魔法て」
キャッキャと青葉さんは楽しそうに笑った。酔ってない。……はずだ。
「そんな私が皆さんを騙してるみたいな」
「まあ……青葉さんって、別にちょっと変なだけだもんな。幻想を抱いてるのは見てる側の勝手な都合であって、何か貢がせるわけでもないし」
頭には友人の元カノくらいが浮かんだ。「可愛い彼女なんだ」と自慢されていて、へーよかったねくらいに思っていたのが、ある日友人のスマホに現れた「ヒアル打っていい?♡」のメッセージに戦慄した。もちろん、友人の金で、であり、そしてそれが省略されているのが恐ろしかった。青葉さんはそういうタイプではない。
「貢がせるかあ……でも貢がせる側ってすごいと思うんだよね」
「なにが?」
「私、高級過ぎるものとかもらったら萎縮するというか、上手く立ち回れないんだよね。困惑して」
まかり間違っても嬉しいなんて思わない、と青葉さんはこれまたとんでもないことを言う。
「昔、教授が雑談で言ってたんだけど……原文は忘れたけど、ギフトに関しては、あなた自身もgood receiverでありなさいって言われたの」
おう、英語か。でも青葉さんのことだ、さして驚くところではなかった。
「感じが良い、って日本語があるでしょ。あれはやっぱり大事なことだと思うんだよね。何を誰に貰っても、感じ良く、送った本人が気持ちがいいように受け取るって、なかなか難しいことだなあって。社交辞令的な贈答が増えると思うわけよ」
「まあ……分からなくはないけど、普通に喜んだふりをしとけばいいんじゃない?」
「それが難しいって話。社会で生きるのは難しい。私、お世辞って苦手なの」
女子なんて呼吸の仕方と一緒にお世辞の言い方を身に着けて生まれる生き物なんじゃないのか。でも青竹を割ったような性格の青葉さんには確かにお世辞は似合わない。もしかしたら本当に言わないのかもしれない。
「白沢くんはどこでもするっと馴染みそうだけどね」
「クラゲみたいだなって森川に言われたことがあるよ」
「え、毒があるってこと?」
「そこじゃないだろ。なんでたとえられて真っ先に思い浮かぶのが毒なんだよ」
「いいじゃん、刺激仲間ってことで」
「刺激仲間?」
「私、青バラなんでしょ? 棘があるから」
「いてっ」
コートの上から脇腹をつつかれた。青葉さんは存外子どもっぽい。
「そういうところだぞ本当に!」
「っていうか結局何魚にする? ほっけかな?」
「任せる、焼き魚のことよく分からんし……」
「海アリ県なのに」
「海ナシ市なので」
スーパーで、青葉さんは宣言どおりほっけを手に取った。脂がのってておいしいよ、と食べる前からそう断言された。




