第19話 青葉さんは結婚に興味がない
コース料理なので何を選ぶこともなく、俺達は結局いつものようにだらだらとたわないのない話をした。
「白沢くん、お兄さんがいるんだったっけ」
「そう、前話さなかったんだっけ?」
「いるとは聞いたけどそれ止まりだったから。仲良いの?」
「悪くはないけど、この年だから特に何も。あとタイプも全然違うんだよな。横浜でフリーターしてて、俺と違って余裕がある」
「余裕って?」
「俺は真面目に普通にやっていかないと不安だから。普通にJTCに就職して普通に働き続けて、その傍らで趣味をやって、っていうのがいいなって」
話しながら気が付く。そうだ、俺はやっぱり安定した日々が好きだ。判を押したような日々って言うと聞こえは悪いが、でも俺はそれがいいと思う。何に振り回されることもなく、のんびりと気ままに平和に生きていく。それがいい。
「ああ、言わんとすることは分かるかも。白沢くんがそうだって意味じゃなくて、私も同じ」
「安定が欲しい人はこんな同居同盟結ばないだろ……」
「安定と刺激は別でしょ。おうちが大好きな人だってたまには遊園地を楽しむし」
そう言われるとそうな気がするが、そもそも彼氏を作ろうというのが……と言いかけて、黙った。考えてみると、俺はやっぱり、どうにも積極的に彼女を欲しいとは思えないのかもしれない。彼女ができると振り回されるというか、疲れるというか、そんな気持ちが拭えないのかもしれない。
それを同居同盟を結んでる青葉さんに言えるはずがないのだが。つくねと一緒に言葉を呑み込んで誤魔化す。
「というか、そうだな。働き方って意味では青葉さんはいかにも手堅いよな。資格とかなんかたくさん持ってそうだし」
「ああ、公認会計士持ってるよ」
「え、待ってすご……」
話題繋ぎ、なんならTOEICスコア高そうだよね、くらいのつもりだったのだが、そうきたか。社内情報には資格なんて載っていないので、今更でも知らないことはある。
「そういう資格ってなんで取ろうと思うの? 興味があるとか?」
「まさか。手堅いから」
手堅さを手に入れるための労力が半端じゃないと思うのだが。というか、誰だって資格を持つくらいの手堅さは欲しいものだ。それができないから苦労するのだ。青葉さんの理屈はよく分からない。
それこそ、相原もこんなんじゃ就職先も見つからないと、学部の頃から嘆いてたわけだしな……。青葉さんを前にしながら、ついついそんなことを考えた。
そうして色々と話しているうちに、ジョッキを何度交換したことか。そのうちジャケットが邪魔になって椅子の背に引っかけた。運ばれてくる焼き鳥もついつい無視して喋り続け、テーブルがいっぱいになりそうになったところで慌てて一息ついて片付ける。そしてまた喋るを繰り返しているうちに、いつの間にかデザートまで運ばれてきていた。
「私、婚活パーティーは4回目だったって言ったじゃん?」
そのシャーベットも半分溶け始めたところで、青葉さんは渋い顔で口を尖らせた。同居同盟初日にゲームをしながら徹夜した俺達の間で共有した話題は、大学時代のサークルに高校の部活に、日常の趣味の話に共通の同僚の話……。いい加減に話題も尽きていたので、俺と青葉さんにとってはある意味必然の話題だった。
「正直、婚活パーティーというシステムが性格に向いてなかった。知らない人と話すのが苦痛で仕方ない」
「会社じゃ全然そう見えないけどな」
「だってあれは仕事だから」
エントランスで連絡先を聞いて拒絶された人を思い出した。相手が何を思っていたか知らないが、青葉さんにとっては仕事以上でも以下でもないのだろう。
「じゃなんで参加したんだよ。てか、彼氏が欲しいって言ってたじゃん」
「彼氏が欲しいなって思ったけど、そうじゃないなって気付いちゃったわけ」
「というと?」
「仲良かった友達の一人が最近結婚したんだけど。そのお祝いで飲んでるときに、なんかもう一生彼氏とかできなさそうだなってみんなで振り返って」
「なんでみんなでそんな後ろ向きなんだ」
「でもそうじゃない? そもそも、私達の人生でこれから先にあるのって、冠婚葬祭の葬だけでしょ?」
「もうちょっと人生色々あるだろ」
「でもそのもうちょっとってなんだと思う?」
そう言われると答えられないが、それは屁理屈だというのだ。しかし青葉さんにとっては大事なことらしい。眉間には深い皺が寄っていた。
「私達ってこれからずっと仕事するだけの毎日で、趣味がある人はそれでもいいかもしれないけど、私はそういうのも特にないなって。そう考えたら、彼氏を作ってみるっていうのは面白いかもって」
そんなDIYしてみようかなみたいなノリで言えるのは、顔面が強いからだ――と言いたいところだが、青葉さんに限っていえばただ変なだけだ。彼氏作りのために自分の需要を考えるマーケティングがどうのこうの、とか言い始めても俺は全く驚かない。
「でも合コンのノリは厳しいイメージがあったし、マッチングアプリもよく分からないし。じゃあ婚活パーティーに行こうって思って」
「で、システムが向いてないって?」
「うん。だって婚活パーティーって、その名の通り結婚相手を見つけるところだったから」
それの何が悪いのだろう。彼氏は欲しいけど結婚で身動きとれなくなるのは勘弁とか、そういうことだろうか。男ならよく聞く話だが、女性でそれは珍しい気がする。多分。
そこで青葉さんは一度、喉を潤した。
「ねえ白沢くん、人はどうして恋に落ちると思いますか?」
「突然哲学的だあ」
茶化しながら、でも頭ではちゃんと考える。どうして。どうしてだったのだろう――俺が相原を好きになったのは。
別れたのは確か大学4年の秋のことだったが、付き合ったのは大学2年の春だった。相原のことを、どうして好きになったんだっけ。新歓でなんとなく近くの席になって、そのときの四人組は誰も彼も陰キャで、なんとなく一緒につるむようになって、そうして俺はなんとなく相原を好きになったような気がする。
今思い返しても、恋に落ちる、というほど劇的な何かはなかった。でも青葉さんは恋には劇的な何かを期待しているらしい。溶けかけたシャーベットに視線を落としながら、でもその目には何も映していなさそうに、変わらぬ口調で続ける。
「相手の持つ何かが、他の誰かにとってはどうか知らずとも、自分にとっての琴線に触れるから。それが何かは分からないし、他人にとってはどうでもいいことかもしれない。理解しがたいかもしれない。それでも、互いに何かがある」
どうだろう。青葉さんのいまの言葉が、それこそ俺の琴線に触れるようなドラマは起こらなかった。むしろ同意しかねた。俺と相原の間に何かあったとは思えない。なんとなく隣にいて好きになった、それだけのような気がする。
いや、でも、何かあったのだろうか。今では思い出せなくなっただけで。
想い悩む俺の前で、青葉さんも眉間に皺を寄せた。
「でも婚活パーティーって、条件を見る場所なの。身長、顔、年収、家族構成、居住地、学歴……条件を見て点数化して、点数の高い順に交際を試みるのが婚活パーティー」
そっちは納得がいった。俺は一度しか経験していないが、プロフィールに書かれる項目はどの婚活パーティーも似たようなものだろうし、あの項目の持つ意味を言語化すると“結婚しても良いと思える相手かだ”。年収はこれから共に送る生活水準、家族構成と出身地は将来の介護の要否……あまりにも生々しいそれを、自分にとっての点数に落としていく。それが婚活パーティーという場で、その名のとおり、結婚するための活動をする場である。恋に落ちる場ではない。
「それを悪いとは言わない。でもそれは結婚のための点数でしょ? 私はどうもピンと来なくって、そしてピンとこない理由は、婚活パーティーが結婚のための場であって、私は結婚をしたいわけじゃない――彼氏が欲しいわけじゃなくて、恋というイベントを楽しみたいからだって、気付いたの」
なるほどねえー……。青葉さんは相変わらず言語化が上手い。感心してしまった。
「白沢くんはそう思わなかった?」
「まあ、思わなくはなかったけど……」
正直、彼女が欲しいと思って行ったわけじゃないからな。感心しながらも、その本心は口に出さずに言葉を濁す。
「けど?」
ただ、青葉さんは許してくれない。少し身を乗り出し、答えをくれるまで引かないぞという気概さえ見える気がした。
言葉を濁したのは、彼女が欲しいわけじゃない、と言うと恰好をつけているようで逆に恰好が悪いと思ったから。それに俺は青葉さんと違って恋をしたいとも思ってなかったから。
でも、ここでは黙っておくほうがアンフェアな気がした。
「俺は彼女が欲しいわけじゃなかったから、青葉さんほど強烈にそれを感じなかった、というのが正直なところかな」
後になって考えてみれば、俺はある意味青葉さんと共犯関係になったような気持ちを持っていたのだろう。同居同盟は、ただそれだけで距離が縮まるわけではない。でも俺達は、婚活パーティーに行ってみたけど、お互いにそれを自分にとっては無意味だと結論付け、そして青葉さんが同居同盟を提案してきた――そんな関係にある。他人に言えないこの関係は、どこか共犯関係に似ていると。そしてこの関係においては、フェアにいたいと。
すると、青葉さんは――「なんだ」と、ただ拍子抜けしたような相槌を打った。
「じゃ、彼女がいたほうがいいなと思ったというのはTPOを弁えた発言だったわけね」
思わず笑った。ああ、やっぱり青葉さんは「そんなこと言って本当は」なんて言わない。俺の言葉をそのまま受け止めてくれる。
ただ、俺の「彼女がいたほうがいい」はTPOを弁えただけかと聞かれると、少し嘘になる。
彼女がいるほうが楽しい、一般論はそうだろうし、そこに反論はない。ただ俺自身にとって“彼女”というものは重荷である気がする。いや、力不足という表現のほうが近いかもしれない。俺は“彼女”を幸せにするのが上手くない気がする。上手くできずに、ただ自分が振り回されたような気になって終わる。だから俺は“彼女”はいなくていい。
なんてことは、ここでする話ではあるまい。笑って間を繋ぎながら「ま、そういうことになるかな」と頷いた。
ただ、どこか気分が良かったのは間違いない。だから俺は俺はすっかり忘れていた。今日はド平日であり、明日も仕事であるということを。
ラストオーダーを伝えられ、じゃあそろそろ準備をせねばと言いつつ、ついつい喋り、そして気が付いたときには時既に遅し。
「……待って。俺の終電何時?」
「知らないけど」
ちなみに青葉さんの最寄駅はたった一駅先である。ともすれば歩いて帰ることができる距離だ。
「明日仕事なんだけど」
「私も仕事。あー帰ろ帰ろ、おうちに帰ってお風呂入って寝よ」
「地元の余裕! くそっ……背に腹は代えられん……タクシーか……」
「何言ってるの白沢くん。同居同盟を忘れたの?」
青葉さんは笑いながら明後日の方向を指さした。
「ありますとも、我が家に。来客用の布団一式」




