第11話 青葉さんには嵌められない
本日は、同居同盟初日の金曜日である。
席に着きながら頭痛がし始めた。青葉さんと同居……いやお泊りをする。しかも隔週の金曜。これは最早週末同棲に近い。下手な遠距離のカップルよりは頻繁に会っている計算だ。この間まで仕事の付き合いしかなかった、そして今も会社の同僚の域を出ない俺と青葉さんが、だ。
もしかしてあれは白昼夢だったのでは? 今朝、電車に乗りながらふとそんなことを思った。しかし会社に着いたときに入ったLINEが現実だと物語っていた――『青葉蘭香:19時に下でお願いします』。
おかしい。俺にはなにかおかしなことが起こっている。のろのろとトラックボールを動かしていると、「お疲れ様です」と声をかけられた。
法務部の柿井さんだった。最近中途で入ってきたのだが、これがなんとも優秀で、先日サイバー攻撃があったときはその仕事スピードに舌を巻いた。しかし見た目からはあまり想像がつかない。今日だってそうだけど、髪にはいつも寝ぐせがついているし、黒縁眼鏡はいつも妙に薄汚れているし。
「どうも、お疲れ様です」
「ああいやすみません、座ったままで結構です」
ちなみに、年は一つしか変わらないが、会社では後輩なのでと腰が低い。こう聞くとなんて好青年だ、と言いたくなるし、実際そうだ。柿井さんとの仕事はやりやすい。ただし、言語化できない変な雰囲気がある。実害はないのだが。
「先日、セキュリティ部から報告書を提出いただいたじゃないですか。その中で顧客情報漏れはなかった事実をもう少し深掘りさせていたきたいんですが、いまお時間いただいてもよろしいですか?」
「ああ、はい、大丈夫ですよ」
柿井さんは自分のパソコンを片手に乗せながら「ここの画像ファイルになってたってところなんですけど」と手早く報告書を開いた。
一通り話を終えるとお礼を口にして、柿井さんは「そういえば最近、地下鉄のポスター変わりましたよね」と謎情報を口にした。そんなものいちいち見てない。
「変わりました……かね? あんまり覚えてないんですけど」
「A5出口から降りたときのポスターが時計のポスターだったんですけど、すごくセンスいいなって思ってたんです」
「柿井さん、時計お好きなんですか」
「いやまったく」
じゃあなんなんだよこの話は。
「誰だったかな、名前は忘れたんですけど昔からいる正統派俳優で、めちゃくちゃ売れっ子ってわけじゃないけど不祥事も何もなくて、世間的な好感度が安定的に高い」
何の話だろう。黙って聞いていたのだが、柿井さんは「あれは広告料に対する宣伝効果が大きいと思うんですよ」と一人で得心が行ったように頷いている。やはり何の話なのかさっぱり分からないが、柿井さんは大体いつもこんな感じだ。そしてこれから得られる情報は一つ、柿井さんはいま忙しくないらしい。
そこで、その柿井さんに訊ねることにした。
「つかぬことをお訊ねするんですが、柿井さん」
「はい、なんでしょう?」
「いや雑談なんですけど、法律の話だからちょっと聞いてみたいなと思って。……こう、女性が男性を部屋に招き入れるとするじゃないですか」
柿井さんは「なんでそんな事例?」と言いたげに眉をひそめている。しかしこれは俺にとって重要な問題だ。もし。もしだ。もし万が一、青葉さんが掌返しをし、俺をコンプライアンス部に通報した場合。俺は果たして、有罪認定されてしまうのか。
「何も起こらなかったけれども……例えば女性が無理矢理侵入されたと訴えるとか、そういうことがあった場合、男性は有罪になるんですか?」
「あー……なるほど。後になって合意がなかったと女性が訴えた場合を想定するということですね?」
そのとおりです。仕事の話になると途端に的確に反芻してくれる。しっかと頷くと、柿井さんは真面目な顔で顎に手を当てた。
「正直、ケースバイケースとしか言いようがないです。例えばそれが酩酊状態――女性側が相当酔っていたとなると、介抱を理由に押し入ったのではと想定され得ますね」
「な、なるほど……」
「もちろん素面同士でも有り得なくはないですけどね。男性側に強硬に迫られて断り切れずに部屋に上げてしまった、というのもなくはないです」
つまり掌返しをされた時点で男は詰むと。
「ただ、結局は事実がどこまで認定されるかの問題ですから」
「といいますと?」
「密室にいる二人の間で何が起こったかなんて、部外者には分からないんです。それでもって人は基本的に自分の都合のいいことしか喋らない傾向にある、つまり嘘をつく可能性はある。だから監視カメラとかね、無関係な人の証言とかで事実を固めるんですよ」
言いながら、柿井さんは手で大きな円を作り、徐々にその円を狭めていく。なるほど、中心の事実を固めていく、と。
「外で飲んで家にやってくる、という事例を想定すると分かりやすいですよね。外ということは部外者の目がある。たとえばそこで男性が女性に必死に飲ませている様子が確認できれば、それって家にも押し入ったんじゃないのと推測しますよね。逆に、女性側が次々とお酒を頼んで男性にも飲ませていたら、それは二人で仲良く帰ったのかな、とか」
「あー……なるほど……」
なるほどね。相槌の通り納得した。今の柿井さんの話なら、監視カメラも入ってくるだろう。このご時世、どこにどんな目があるかは分からないし。
「マンションのエントランスの監視カメラで、男性が無理矢理女性を引っ張っていく様子が映ってるとか?」
「そういうところまであると分かりやすいですね。実際はそこまではっきり白黒ついた状況までは映らないでしょうけど」
でも方向性としては正しいです、と柿井さんは頷いた。
「意気投合して部屋に入っていった場合なんて難しいですけどね。それに、直前の行動だけじゃなくて、それまでの二人の関係性にもよるとは思います。長年の友人だったら黒とは言えない、とはいいませんが、これが二時間前に会ったばかりで勤務先も本名も知らない他人だったら。一人暮らしの女性が自室に招き入れるなんておかしい、つまり男性が無理矢理押し入ったんじゃないかと思いません?」
「思います。なるほどなあー……」
あんまり一口に有罪無罪って言えるものでもないんだな。納得しながら、柿井さんが有罪という言葉を遣わなかったことに気が付いた。弁護士の前で有罪無罪って口にするのは素人臭いのかもしれない。素人だから仕方ないが、ちょっと恥ずかしくなった。
「といっても、そういう他人を女性が積極的に引っ張って部屋に連れ込んだ様子がそれこそ監視カメラに映ってるかもしれませんし。実際は結構微妙なんだと思いますよ、僕は専門外なんで一般論しか話せませんけど」
「いやいや、ありがとうございます。すごく勉強になりました」
今の俺の状況を整理すると、青葉さんとは仕事で付き合いがあり、婚活で出会っていて、それは俺がストーカーしたわけでもなんでもなく、森川の誘いがあっての偶然だということまでは事実として認めてもらえると。外で食事をしたし、連絡先を交換してるし、青葉さんから「エントランスで」と約束されているし。これなら安心……ではないだろうか。
といっても、あんまり青葉さんがそんな裏切り行為をするとは思えないけどな。うむ、とまだ暫く考え込む俺を前に、柿井さんもまた少し考え込んだ。
「……白沢さんがよろしければ、私の先輩を紹介しましょうか?」
「あ、大丈夫です。僕に起こったことではないです」
起こって堪るか。そう願いも込めた。柿井さんは「ですよね」と笑ってくれた。




