表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

1話 いい年して泣くな

 夜勤明けの空は、いつもどこか薄い。

 夜と朝が決めきれずに揉み合っているようで、

 そのあわいを歩くと、世界がまだこちらを見ていない気がする。


 浩平は、コンビニの前で立ち止まった。

 缶コーヒーの温もりが指に沁みる。

 さっきまでいた老人ホームの廊下には、洗剤と汗の匂いがまだ残っていた。


 ——「あんたは優しいねえ」

 夜中の巡回のとき、

 認知症の入所者の一人、上村さんがそう言って、急に泣き出した。

 小さな手が浩平の手を握って、離さなかった。

「息子がね、こんな手だったのよ」

 その一言で、何かがほどけた。


 別に、特別なことをしているわけじゃない。

 でも、ああいう涙を見ると、

 自分の中のどこかがずるずると溶けていく。

 そして気づく。

 自分が“まだ泣ける人間”であることに。


 休憩室でそれを思い出し、少し泣いてしまった。

 同僚が笑った。

「いい年して、泣くなよ」

 笑いの中に悪意はなかった。

 けれど、その言葉だけが心に残った。


 いい年して、泣くな。

 じゃあ、いつなら泣いていい?

 子どものときだけ?

 社会に馴染んでからは、

 涙の出番は終わりなのか。


 缶コーヒーを飲み干すと、

 金属の味がした。

 空を見上げると、

 夜がやっと剥がれ落ちていくところだった。

 街路樹の間からこぼれる朝の光が、

 ほんの少しだけ目に沁みた。


 その光のなかで、浩平はふと思った。

「いい年して、泣けるうちは、まだ人間でいられるのかもしれないな」


 そして歩き出す。

 手の中の空き缶が、小さく鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ