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アンノウン(UNKNOWN)  作者: ニート主夫
第1章

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第8話 ― Truth Redefined ―

午前0時。

政務室の空気は、端末の警告音で満たされていた。


神納彰一――代議士。

現在、沈黙プロジェクトの政治的責任者として表に立つ男。

過去にその創設や開発には一切関与していない。


プロジェクトは、神納とは対立する政府内の一派と複数の大企業によって密かに開発されたものだった。


神納の前にあるのは、政府専用の監視端末“C-Node7”。

沈黙プロジェクトを監視するために最近開発された、極秘の中枢端末。監視・解析するために設計されている。


その画面に、赤い警告が点滅していた。


《プロジェクト制御不能》

《記録優先順位:再定義済》

《記録者ID:HAYAMA_RYO》


「……やられたか」


声は低く、誰にも届かない。


沈黙プロジェクトの“根”――記録の優先順位――が書き換えられた。

それは、秩序の崩壊を意味する。

そして同時に、プロジェクトを奪い返す好機でもあった。


神納は、端末の横に置かれた通信機に手を伸ばした。


「深川紗也を呼べ。

 記録者を止めろ。

 必要なら、記録ごと消せ」


通信は切れた。

神納の目は、端末の奥に映る“再定義ログ”を見つめ続けていた。


その記録の中心にいる男――葉山凌。

彼は、沈黙プロジェクトを奪い返すための“鍵”だった。


 


◇◇◇


 


倉庫街の裏路地。

夜明け前の空気は、冷却剤の残り香と、排気ガスの混じった霧に沈んでいた。


リョウは、足音を殺しながら歩いていた。

背後には、無音の追跡。


沈黙プロジェクトの“清掃部隊”――神納とは別派閥の政府内勢力が放った、記録者抹消班。


リョウは、座標を変えながら逃げていた。

だが、C-Node7に記録され、彼の位置を刻々と晒していた。


銃声が一発、壁をかすめる。

リョウは身を伏せ、呼吸を整える暇もなく次の角へと飛び込んだ。


その先に、影が立っていた。


「動くな」


声は、聞き慣れたものだった。


滝沢誠――UNDERLINEの中核(実行部隊)にして、かつての仲間。

今は、思想の違いで袂を分かった男。


リョウが身構える前に、滝沢は銃を向けたまま言った。


「……お前を殺しに来たわけじゃない」


リョウは、睨み返す。


「じゃあ何だ。

 俺を利用しに来たのか?」


滝沢は、銃を下ろさずに答えた。


「守りに来た。……お前を“記録の外”に残すために。

 ……巻き込んだことは、謝る。

 でも、後悔はしてない」


その瞬間、背後からもう一発。


滝沢は、リョウを突き飛ばし、自らが弾を受けた。

左脇腹に、赤い染みが広がる。


「……クソが」


滝沢は壁にもたれ、息を整えながら言った。


「俺は、記録を使って復讐しようとしてた。

 政治家どもに、家族を“事故”で処理されたまま終わらせたくなかった。

 でも……お前のことも失いたくなかった。

 “記録の中”で終わらせたくなかった」


「滝沢、お前は、記録を使って復讐しようとしてる。

 それが“真実”だって言うのか?」


滝沢は、血に濡れた手で壁を支えながら答えた。


「真実なんて、誰も守っちゃいない。

 俺は、記録を使って“選び直す”だけだ。

 ……お前も、もう傍観者じゃない」


リョウは、滝沢の目を見た。

その奥にあるのは、怒りでも憎しみでもない。

ただ、守りたいもののために、手段を選ばなくなった男の目だった。


「俺の代わりに、あの事件を表に出してくれ。

 家族の記録を、事故じゃなく“事件”として残してくれ」


リョウは、滝沢の手を握り。

その手は冷たく、震えていた。


「……まだ死ぬなよ」


リョウは、滝沢の手を握ったまま、静かに言った。


「お前の記録は、俺が選ぶ」


滝沢は、かすかに笑った。


「なら、任せる」


廃倉庫の奥、冷却装置の残骸が積み上げられた一角。


リョウは、滝沢を壁際に横たえ、ポケットからスマホを取り出した。

画面には、血の跡が滲んでいた。


滝沢のスマホ――沈黙プロジェクトの記録端末と連動しているが、今はただの通信手段として使うしかない。


「パスコードは……」


滝沢がかすかに口を動かす。


「0317……家族の誕生日だ」


リョウは入力し、連絡先を開いた。

そこに、“真白”の名前があった。


通話ボタンを押す。

数秒の沈黙。


「……滝沢さん?」


一瞬の間のあと、リョウが答える。


「違う。俺だ。リョウ」


「……リョウ? どうしたの?」


「滝沢が……撃たれた。

 病院には行けない。

 政府の清掃部隊が動いてる。

 君しか、頼れない」


真白は、数秒沈黙した。

その目に、迷いはなかった。


「座標を送って。すぐ行く」


リョウは、スマホの位置情報を送信した。


「……来るってさ」


「真白か……

 あいつには、何も教えてない。

 でも、何かを“選ぶ”ことはできるはずだ」


リョウは、滝沢の手を握ったまま、言葉を返さなかった。


 


◇◇◇


 


政務室。

冷たい蛍光灯の下、神納は端末“C-Node7”の画面を見つめていた。


赤い座標が点滅し、リョウの位置を刻々と更新している。


「深川。」


呼び声は低く、感情を削ぎ落とした響きだった。


紗也は一歩前に出る。

その瞳には、わずかな迷いが宿っていた。


「抹消班も動いている。だが、奴らでは信用できん。

 確実にお前が奴を止めろ。……最終的な判断は任せる」


神納の声は冷たく、命令以外の余地を許さない。


紗也は無言で頷き、端末を操作した。

画面には、リョウの座標が赤い点として浮かび上がる。

その点は、廃倉庫街の奥へと移動していた。


指先が震える。

彼女はそれを隠すように、操作を続けた。


「承知しました。」


政務室の空気は再び沈黙に包まれた。


紗也は、端末を閉じ、深く息を吐いた。

心臓の鼓動が速い。


命令に従うべきか、それとも――。


リョウの顔が脳裏に浮かぶ。


彼はただの“記録者”ではない。

その姿は、紗也がかつて失った正義を思い起こさせ、過去の記憶を揺さぶっていた。


「……命令に従うか、それとも――守るか」


呟きは誰にも届かない。


紗也はコートを羽織り、政務室を後にした。

夜の街へと歩み出す。


端末の画面には、赤い座標が点滅し続けていた。


 


◇◇◇


 


廃倉庫街。

錆びた鉄骨と砕けたコンクリートが積み重なり、夜風が冷たく吹き抜ける。


紗也は足音を殺し、座標の示す建物へと近づいた。

端末“C-Node7”の画面には、赤い点が静止している。――リョウの位置だ。


倉庫の奥、かすかな灯り。

リョウが壁際に座り込み、真白がその傍らにいた。

血の匂いが漂う。滝沢の影が横たわっているのが見えた。


紗也は息を整え、銃に手をかけた。


その瞬間、真白が振り返る。

瞳がまっすぐに紗也を射抜いた。


「やっぱり……来たのね」


リョウも顔を上げる。

その目には恐怖よりも、奇妙な静けさが宿っていた。


紗也の胸に、かつて失った正義の残響が蘇る。

命令に従えば、ここで彼を止めなければならない。

だが――。


「深川……?」


リョウの声が、夜の倉庫に響いた。


紗也は答えない。

銃口をわずかに下げ、沈黙のまま二人を見つめた。


真白が一歩前に出る。


「彼を渡すつもりはない。あなたがどんな命令を受けていても」


緊張がはしり、倉庫の空気は張り詰めていた。

鉄の匂いと血の匂いが混じり、呼吸さえ重くなる。


紗也の指は銃の引き金にかかっていたが、わずかに震えていた。


「深川……撃つのか?」


リョウの声は静かだった。恐怖ではなく、問いかけの響き。

その眼差しは、紗也の奥底に眠る記憶を呼び覚ます。


――かつて信じていた正義。

――だが、失われた理想。


その残響が胸を締め付ける。


真白が一歩踏み出す。


「彼を撃てば、あなたも同じになる。

 命令に従うだけの、空っぽな影に」


言葉は鋭く、紗也の心を突き刺す。

銃口がわずかに揺れる。


神納の声が脳裏に響く。


「確実に止めろ。……最終的な判断は任せる」


その「任せる」が、今や重すぎる枷となっていた。


紗也は息を吸い、吐いた。

銃口をリョウに向けたまま、目を閉じる。


沈黙が続く。

時間が止まったように、誰も動かない。


そして――。


銃口が、ほんのわずかに下がった。


「……まだ、撃つとは決めていない」


その声は冷徹を装いながらも、揺らぎを隠しきれなかった。


沈黙を破ったのは、重い鉄扉の軋む音だった。


次の瞬間、黒い影が雪崩れ込む。


抹消班――無機質な装備に身を包んだ者たちが、銃口を一斉に構えた。


「目標確認。記録者、確保――もしくは排除」


冷たい声が響く。

赤いレーザーサイトがリョウの胸を狙い、真白の肩をかすめる。


空気が一瞬で凍りついた。


紗也は反射的に銃を構え直す。

だが、その銃口はリョウではなく、侵入してきた抹消班へと向けられていた。


心臓が激しく脈打つ。


真白が叫ぶ。


「彼らは味方じゃない! あなたも撃たれる!」


銃声が響いた。

コンクリート片が弾け飛び、火花が散る。


抹消班の一人が前へ躍り出る。

リョウは壁際に押し込まれ、逃げ場を失った。


紗也の指が引き金にかかる。

その瞳には、冷徹を装いながらも、揺らぎと決意が交錯していた。


「……ここから先は、私が決める」


その声は、抹消班にも、リョウにも、真白にも届いた。


倉庫の中で、緊張はついに爆発の臨界点へと達した。

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