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アンノウン(UNKNOWN)  作者: ニート主夫
第4章

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第3話 密閉の家

 8月15日。


 台風の直撃で、屋敷は暴風雨のおりに閉じ込められていた。


 窓ガラスを叩く雨音が、まるで無数の拳のように屋敷を揺らしている。


 気圧が急激に下がり、この家の《密閉》を破り始めていた。


「……臭うな」


 リビングに入った瞬間、鼻を覆いたくなる衝動を抑えた。


 高級アロマの香りでも隠しきれない、甘く、鼻の奥に粘りつくような腐敗臭。


 発生源は明白だ。リビングの奥、厳重にロックされた地下ワインセラーへの扉。


「チーズの発酵が進んでいるようです」


 瑛人の声がした。彼はソファに座り、教科書を開いていたが、その視線は虚空を彷徨っていた。


 いつもなら完璧なポーカーフェイスが、雷鳴が轟くたびに微かに引きつるのを見逃さなかった。


「随分と生きのいいチーズだな。……瑛人君、一度中を確認した方がいいんじゃないか?」


「結構です。地下の管理は僕がやります」


 瑛人は俺を見ようともせず、頑なに拒絶した。


「葉山さんは、2階の書斎をお願いします。父の書類関係を全て『燃えるゴミ』にしてください」


 彼は焦っている。


 今日が決着の日だ。勘がそう告げている。


 何も言わず、階段を上がり、書斎に入り、如月壮一郎のデスクに向かった。


 作業をするフリをして、引き出し、本棚の裏、床下収納を徹底的に探る。


 滝沢の情報通りなら、この男は単なる投資家じゃない。再開発利権に絡む《汚れ仕事》の資金管理役だ。必ず裏の顔を示す証拠があるはずだ。


 見つけたのは、壁の絵画の裏に隠された小型金庫だった。


 ピッキングで解錠する。


 中に入っていたのは帯封のついた大量の現金と、一つの外付けHDDだった。


 持参していたノートPCにHDDを接続する。


 フォルダには日付だけが記されている。


 『2023.10.05 K商店街』

 『2024.02.14 第3地区』


 動画ファイルを再生する。


 映し出されたのは、手ブレのひどい映像だった。夜の路地裏。覆面の男たちが、古い木造アパートにガソリンを撒いている。


 次の瞬間、爆発的な炎が建物を包み込んだ。


 撮影者の男が、電話で報告している声が入っている。


『へい。予定通り点火しました。……ああ、中に人は残ってても構わねえって話でしたよね?』


「……クソ野郎が」


 吐き捨てるように呟く。


 見覚えがある。


 これは現役時代に取材した、万博再開発エリアの連続不審火だ。


 警察は“火の不始末”で処理したが、現場の焼け方は明らかにプロの仕業だった。


 だが、マスコミは圧力をかけられ、深く突っ込むことを禁じられた。


 あれは記者人生の中でも、特に後味の悪い「未解決事件」の一つだ。


 この動画は、実行犯が報酬を受け取るための“証拠映像”であり、同時に如月壮一郎が、実行犯や背後の政治家を裏切らせないための“保険(脅しのネタ)”なのだろう。


 自分が手を汚さず、金で他人の命を燃やし、それを切り札として金庫に眠らせておく。


 その時、HDDのフォルダの中に、音声データがあるのに気づいた。


 日付は、あのアパート火災の翌日。


 再生ボタンを押す。


『――壮一郎。例の件、片付いたそうね』


 母親の声だ。冷たく、刺々しい。


『ああ。立ち退き交渉に数億かけるより、数百万で燃やした方が早い』


『ふん。手荒なこと。……で、報酬は? ちゃんと口座に入ったの?』


『入ったよ。ほら、お前の手切れ金……じゃなかった、ドレス代だ』


『あらいやだ。私に触らないで。あなた、何だか焦げ臭いもの』


『なんだと? 誰のおかげで……』


『うるさいわね。金さえ入れてくれれば、あなたが外で放火しようが人殺ししようが興味ないわ。さっさとシャワー浴びてきて』


 乾いた会話。


 あるのは互いへの軽蔑と、金への執着だけ。


 ――ガチャリ。


 背後でドアが開く音がした。


「……消して」


 振り返ると、入り口に瑛人が立っていた。


 手には懐中電灯……ではなく、護身用の警棒が握られている。


 いつも冷静な少年の顔が、今は怒りと絶望で歪んでいた。


「瑛人君。これは……」


「僕の友達が住んでたんだ!!」


 瑛人が叫び、PCの画面を指差した。


「タケル君だ。……工場の経営が傾くまでは、よくウチに遊びに来てた。僕にとって唯一の、本当の友達だったんだ」


 瑛人が、震える足で一歩踏み出す。


「タケル君は、あのアパートで死んだ。……なのに、父さんは『安く片付いた』って言ったんだ。母さんは『焦げ臭いからあっち行って』って、それだけ!」


 瑛人は嗚咽を漏らした。


「人が死んだのに……父さんも母さんも、タケル君のことを『ゴミ』みたいに扱って、自分たちの金の心配しかしてなかった!」


 この少年が見た地獄。


 それは、親友を殺されたことだけではない。自分の親が、その命の重さを欠片も感じていない、心が空っぽの人間だったという事実。


 しかも、両親はお互いのことすら愛していなかった。この家には、最初から愛なんてなかったのだ。


「だから……殺したのか」


 静かに問うと、瑛人は激しく頷いた。


「許せなかった。僕たちのことも、どうせ道具としか思ってない。……こいつらは人間じゃない。だから僕が処分したんだ!」


 瑛人が警棒を振り上げる。


「あんたも、 ……生かしては返せない」


 殺意。


 だが、それはあまりに脆く、悲しい殺意だった。


 彼が飛びかかってくるのを、正面から受け止める覚悟を決めた。


「来い、瑛人!」


「うあぁぁぁぁッ!」


 瑛人が突っ込んでくる。


 その一撃が届く前に、停電の闇に吸い込まれた。


 ドォォォン! という雷鳴と共に、屋敷の全電源が落ちたのだ。


 完全な暗闇と静寂。


 そして、空調が止まったことで、下から這い上がってくる濃密な腐敗臭。


 その時、暗闇の中で小さな光が灯った。


 懐中電灯の光だ。


 照らし出されたのは、瑛人ではない。


 入り口に立つ、妹の愛梨だった。


「……愛梨」


 瑛人が動きを止める。


「お兄ちゃん。もういいよ」


 愛梨が一歩、部屋に入ってくる。


「パパたちがタケル君のことを笑ってたの。ママが『新しいバッグが買える』って喜んでた。……私、タケル君のこと大好きだったから。絶対に許せなかった」


 妹もまた、この家の冷たさと親の異常性を理解していたのだ。


「……葉山さん」


 瑛人が警棒を取り落とした。殺意が消え、ただの傷ついた子供の顔に戻る。


「地下室の冷却装置が止まりました。もう隠せない。……父さんと母さんが、腐り始めてる」


 愛梨から懐中電灯を受け取り、二人を照らした。


 兄と妹。寄り添う二人の影が、壁に長く伸びている。


 彼らに近づき、瑛人の細い肩を掴んだ。


「隠す必要はない」


「え……?」


「俺も知ってる。この火事のことは、ずっと胸につかえてた」


 データをコピーしておいたUSBを抜き取った。


「これは俺が預かる。……瑛人、愛梨。君たちがやったことは罪だ。だが、その引き金を引かせたのは、この腐った社会と、俺たち大人の責任だ」


 心臓が熱く脈打っていた。


 この幼い共犯者たちを、ただの親殺しとして終わらせるわけにはいかない。


 暴くべきは《社会の闇》だ。


「行くぞ、二人とも。地下室へ」


「……何をするつもりですか」


「親の尻拭いじゃない。……ケジメをつけに行くんだ」


 瑛人と愛梨、二人の小さな手を引いた。


 その手は氷のように冷たかったが、俺が握り返すと、二人とも微かに握り返してきた。


 外の嵐は、まだ止みそうになかった。


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