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アンノウン(UNKNOWN)  作者: ニート主夫
第4章

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第1話 クリーンサービス・ハヤマ

正義なんて言葉がどこの国で野垂れ死んだのかは知らない。


だが、その死骸をいつまでも引きずって歩いている馬鹿が、まだ何人か残っているらしい。


リヨウも、どうやらその一人だ。


 2※※5年、8月1日。


 東京の気温は38度を超えていた。アスファルトからの照り返しが、視界をぐにゃりと歪ませている。


 軽トラックの運転席で、ダッシュボードに放り出したスマホを睨みつけた。

 画面には、短いメッセージが表示されている。


 《世田谷の如月邸。報酬500万の清掃依頼だ》

 差出人は滝沢


 かつてリヨウが社会部にいた頃からの腐れ縁が続いている。


 滝沢が俺に回すのは、二つある。

 一つは、本当にどうしようもないドブさらい。

 もう一つは――《社会のうみ》が溜まっている案件だ。


「……500万でゴミ掃除、ね」


 微糖コーヒーをあおり、煙草に火をつけた。

 破格すぎる報酬。期間は一ヶ月。依頼主は子供。


 明らかに“裏”がある。


 俺の肩書きはフリーの清掃業者にしてあるが、やることは変わらない。

 違和感の裏取り。証拠の確保。そして――必要とあらば、この手決着をつける。


 ハンドルを握り直し、目の前の豪邸を見上げた。

 コンクリート打ちっ放しの要塞。表札には《如月きさらぎ》。

 ここが今回の現場であり、俺が暴くべき“ネタ元”だ。


 インターホンを押す。


「はい」

 スピーカーから、妙に落ち着いた少年の声が響いた。


「“クリーンサービス・ハヤマ”だ。紹介で伺った」

 短く告げると、重厚な門扉が自動で開いた。


 玄関に足を踏み入れた瞬間、極寒の冷気が汗ばんだ肌を叩いた。

 不自然なほど冷え切った空間。


 出迎えたのは、ワイシャツにスラックス姿の、線の細い少年だった。

 整った顔立ちだが、瞳に生気がない。


「お待ちしていました。葉山さんですね」


「ああ。君が依頼人の、如月 瑛人えいと君か」

 リヨウは努めて《粗野な業者》を演じた。

 その奥で、目だけが冷たく動いていた。


 少年の後ろから、麦わら帽子の少女が顔を覗かせている。妹だろう。


 虐待の痕跡は? 怯えている様子は?

 ――ない。だが、逆にそれが不気味だった。子供らしい警戒心も、好奇心も欠落している。


「サイトの紹介文を拝見しました。《口が堅く、余計な詮索はしないプロだ》と書いてありましたが」

 瑛人は俺を試すような目で見上げた。


 滝沢のやつ、プロフィールに何を書いたんだ。内心で舌打ちする。だが、話を合わせるしかない。


「ああ。金さえ貰えれば、死体だろうが核廃棄物だろうが片付ける。それが俺のモットーだ」


 嘘だ。


 だが、今の俺にはこの仮面が必要だ。懐に入り込まなければ、真実は見えない。


「父と母は、今朝から海外へ発ちました」

 そう言いながら、瑛人は一瞬だけ視線を妹のほうへ泳がせた。


 リビングに通され、瑛人は淡々と説明を始める。

「急な仕事で、そのままスイスへ移住することになりました。僕たちも後から合流します。ですから、この家の物は全て処分してください」


「全て?」


「はい。家具も、衣類も、思い出の品も。誰の目にも触れさせず、庭の焼却炉で灰にしてください」


 リヨウはリビングを見渡した。


 生活感の希薄なモデルルームのような部屋。

 だが、高級なアロマの香りの奥に、微かに混じる異臭。

 そして、床のラグマットが、そこだけ真新しいものに替えられている違和感。


 瑛人はテーブルの上の茶封筒を差し出した。

「手付金の200万です。残りは作業完了後に」


 ずしりと重い。

 これが、口止めの値段か。それとも、共犯への誘いか。


「……なあ、瑛人君」

 封筒をポケットにねじ込みながら、あえて踏み込んだ。

「ご両親は、本当に《自分たちの意志》で出て行ったのか?」


 一瞬、部屋の空気が凍りついた。

 瑛人が首だけを回して俺を見る。その目は、14歳のものとは思えないほどくらい。

「どういう意味でしょうか」


「いや。随分と急な話だと思ってな。それに――」

 視線を床のラグに向けた。

「その下、まだ掃除しきれてないんじゃないか?」


 瑛人の表情が消えた。


 だが、彼はすぐに完璧な営業スマイルを貼り付けた。

「葉山さん。あなたは《詮索しない》という条件で選ばれました。もし、それが守れないのであれば……」


「わかってるよ」

 リヨウは肩をすくめて見せた。

「ただの独り言だ。プロとして、完璧に仕事をこなす。それだけは約束する」


 権力に潰され、一度は筆を折った。だが、目の前で何かが起きているのに、見て見ぬふりができるほど器用にはなれない。


 この子供たちは、何かを隠している。


 そしてそれは、警察に突き出せば済むような単純な話ではない気がした。

 滝沢が俺を送り込んだ理由がわかった気がする。


「よろしくお願いします」

 瑛人と妹が2階へ上がっていく。


 一人残され、ソファの隙間に光るものを見つけた。

 ピンセットで摘み上げる。

 ――引きちぎられた、真珠のピアス。


「……海外出張、ね」


 ピアスをポケットにしまい、煙草に火をつけた。

 紫煙の向こうで、心の中の燻っていた火種が、パチリと音を立てて燃え上がる。


 この家には、暴くべき“闇”がある。

 そして守るべき《何か》があるかもしれない。


 リヨウは覚悟を決めた。

 この夏は、暑くなりそうだ。


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