第1話 闇夜の車列
決行の日はすぐに来た。 午前二時。
幹線道路沿いの、大型トラックの陰になるコインパーキング。
街灯の光は届かず、夜の湿気がアスファルトにまとわりついている。
指定された場所には、黒塗りのハイエースが一台停まっていた。
ナンバープレートは泥で汚され、判読不能に近い。
リョウが運転席のドアを開けると、饐えた臭いが鼻をついた。
安タバコと男たちの体臭、そして強烈な“恐怖”の臭いだ。
「遅えぞ、ドライバー」 助手席には、顔面蒼白の中年男が座っていた。
後部座席には金髪の若者と、うなだれた様子の小男。全員、初対面だ。
これが「バイト」の実態。お互いの素性を知らされず、その場限りの捨て駒として集められた素人集団。
リョウは無言で運転席に乗り込む、中年男がダッシュボードの上に置かれた箱を顎でしゃくった。
「スマホ、電源切って入れろってよ」
それは募集時の条件だった。個人のスマホを没収され、代わりにGPS付きの“業務端末”が一台だけ支給される。
その時、業務端末が不気味な通知音を上げた。
『ピロン♪』 秘匿メッセージアプリ《シグナル》の画面が光る。
《講師》:『全員揃ったな。これより作戦を開始する』
《講師》:『目的地到着まで会話厳禁。相互の詮索禁止』
《講師》:『逃げたら、事前に提出させた身分証の実家に火をつける。
お前らの家族がどうなるか、分かってるな?』
車内の空気が一瞬で凍りついた。
「う、うっぷ……」 後部座席の若者――《C》が口元を押さえ、窓の外に向かって嗚咽を漏らした。
極度の緊張から来る吐き気だ。
助手席の中年男《D》は、震える手で何かブツブツと祈るように呟いている。
もう一人の小男《E》も、虚ろな目で宙を見つめていた。
衣擦れの音すら銃声のように響く。
呼吸は乱れ、窓ガラスに映る顔は青白く歪んでいた。
沈黙の中で、恐怖が物質のように車内を満たしていく。
リョウはハンドルを握りながら冷徹に分析した。
彼らは凶悪なプロではない。借金や生活苦につけ込まれ、個人情報を握られ、
「やらなければ自分が終わる」という恐怖だけで動かされているだけだ。
だからこそ厄介でもある。パニックになった人間は何をするか分からない。
恐怖に追い詰められた人間ほど予測不能で危険な存在はない。
リョウは一瞬、記者時代の記憶を思い出した。
バイトに駆り出される若者の特集記事。彼らは「犯罪者」ではなく「搾取される側」でもあった。
だが今は、その弱者が自分の仲間として隣に座っている。
彼らの恐怖を利用しなければならない。
業務端末が再び震えた。
《講師》:『目的地は世田谷区・佐藤邸。到着後は指示に従え』
助手席の中年男《D》が小さく呻いた。
「……家族がいるんだろうな」 その声は祈りにも呪いにも聞こえた。
リョウはアクセルを踏み込んだ。
ハイエースが滑るように夜の闇へ走り出す。
幹線道路の街灯が後方に流れ、窓の外には暗闇だけが広がっていた。
目指すは佐藤家。
彼らが“狩り場”だと思い込んでいる場所。
だが、そこは“処刑場”――リョウが仕掛けた罠だった。




