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アンノウン(UNKNOWN)  作者: ニート主夫
第2章

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第10話 壊れそうな夜のあとで

滝沢は、意識の混濁したリョウを肩に担ぎ上げると、そのずしりとした重みに顔を顰めた。リョウの口元から漏れる荒い呼吸が、滝沢の首筋に生温かくかかり、不規則なリズムを刻んでいる。


それは、命がまだそこにある証拠であると同時に、今にも途絶えそうなほど頼りないものだった。


「……ッ、真白! 医療キットを出せ! リョウの呼吸が浅い!」


滝沢は叫びながら、リョウを抱える。その後ろで、燈子が自らの腕の裂傷を服の袖で無造作に縛り上げていた。滲む血を意に介さず、彼女は鋭い視線で周囲を警戒する。


一行は闇に紛れ、UNDERLINEの息がかかった総合病院へと滑り込んだ。“事故”として処理される裏口からの搬送。リョウはそのままストレッチャーに乗せられ、無機質な機械音の支配するICU――集中治療室へと吸い込まれていった。


◇◇◇


病院での処置を見届けた後、重苦しい空気はUNDERLINEのアジトへと場所を移した。


コンクリート打ちっぱなしの冷たい部屋。蒼は、入口の隅で亡霊のように立ち尽くしていた。


リョウが苦痛に顔を歪めた瞬間、漏れ聞こえたあの苦悶の呻き声。それが再生されるたび、見えないガラスの破片が胸に突き刺さるような痛みが走る。


マキはそんな弟の肩を、黙って抱き寄せていた。小刻みに震える弟の体温を、必死に受け止める。今はただ、言葉よりも、大切な者を支える温もりだけが必要だった。


「……ジャリ一人のせいで、とんだ大損害やな」


不意に、地の底から響くような低い声が静寂を切り裂いた。


燈子だ。

彼女は、包帯を巻いた腕を吊りながら、氷のような視線を蒼に突き刺していた。


「燈子さん!」

マキが弾かれたように庇う姿勢を取る。だが、燈子はそれを一瞥もせず、首を横に振った。


「どかんかぃ、マキ。これは、このジャリガキとワシらの問題や」


燈子は、ゆっくりと蒼の前まで歩み寄る。その一歩一歩には、死線をくぐり抜けた直後の疲労と、それ以上に抑えきれない怒りの両方が滲んでいた。蒼は逃げることもできず、ただ足元を見つめることしかできない。


「なぁ、ガキ。アンタの役に立ちたいっちゅう、その綺麗な願いのせいで、リョウは死にかけとる。ワイも滝沢も、無駄な傷を負った」


燈子の言葉は、鋭利な刃物となって蒼の胸を抉った。


「アンタは、自分がどれだけ甘っちょろい地獄の蓋を開けたんか、分かっとんのか?」


蒼は唇を噛み締め、呼吸を止めた。その通りだった。反論の余地など、どこにもない。自分の浅はかな焦りが、仲間を窮地に追いやったのだ。


沈黙が痛いほど張り詰める。嗚咽が漏れそうになるのを必死で堪える蒼。


だが次の瞬間、燈子の声のトーンが、ふと和らいだ。


「……せやけどな」


彼女は屈みこみ、蒼と視線の高さを合わせた。そして、血と煤で汚れた指を伸ばすと、涙に濡れた蒼の頬を乱暴に拭った。皮膚が擦れる痛みの中に、不器用な体温があった。


「……アンタを助けるために、リョウが体を張ったんや。アンタの姉ちゃんが、火事場のクソ力で敵の心臓を止めた。……それが、ここの答えや。わかるか?」


燈子は蒼の目を真っ直ぐに見据えた。


「ワシらは“役に立つ”から仲間なんやない。“仲間”やから、命懸けで助けるんや。その順番を間違うたらアカン」


それは、不器用で、乱暴で、しかしどこまでも誠実なゆるしの言葉だった。


張り詰めていた糸が切れ、蒼の瞳から再び涙が溢れ出した。けれどそれは、先ほどまでの自己憐憫の涙ではない。仲間の重みを知った、覚悟の涙だった。


◇◇◇


都心を見下ろす高層ビルの最上階。


夜明けの薄明かりの中、霧島は巨大なモニターに映し出された戦闘ログを静かに眺めていた。周囲では白衣の研究員たちが慌ただしく後処理に追われているが、彼の表情には焦りも怒りもない。


むしろ、その整った口元には、微かな笑みさえ浮かんでいた。


「……面白い」


彼は独りごちる。


「被検体の戦闘能力は、ほぼ予測通り。だが、予測を上回ったのはUNDERLINEの方か。特に、あの電源を破壊した少女……戦闘員ではない、ただの一般人だ。彼女を突き動かしたものは何だ?」


モニターには、電源が落ちる前の斧を振りかぶるマキの姿が、熱感知カメラの映像で赤く記録されていた。生体データを見れば、恐怖で心拍数は異常値を示している。呼吸は乱れ、筋肉は萎縮しかけている。


だが、その一振りには、物理演算や戦術論理では説明のつかない力が宿っていた。


「恐怖を凌駕する、弟への執着……“愛情”とでも呼ぶべき、非合理なバグか」


霧島は、冷ややかな指先でモニターのマキの顔に触れた。


彼の興味は、もはや強化人間の肉体的性能にはなかった。彼が真に解析したいと望むもの。それは、絶望的な状況下で人間が発揮する「予測不可能な力」そのもの。


絆、愛情、自己犠牲。彼がかつて切り捨て、非効率の極みだと断じたそれらの感情こそが、彼の完璧なプログラムを破壊したのだ。


「いいデータが取れた。実に、いいデータだ」


霧島は立ち上がり、明けきった空を見下ろした。ガラスに映るその目は、新しい玩具を見つけた子供のように無邪気で、そして底なしの狂気を湛えていた。


「次の実験では、物理的な負荷だけではなく、精神的な負荷も加えてみよう。彼らの“絆”という名の鎖が、どれほどの張力に耐えられるのか。あるいは、どれほど容易く、互いを絞め殺す首輪へと変わるのか……。見ものだな」


そして、彼は手元の端末を操作する。

一つの被検体を起動させた。


場所は、リョウが入院している病院。役職は、医者。

その“監視者プロトタイプ”は、静かに動き出した。


◇◇◇


数日が過ぎ

リョウはまだICUのベッドから動けずにいたが、死の淵を彷徨っていた男の呼吸は、今は穏やかな寝息に変わっていた。


ガラス越しに、蒼がその寝顔をじっと見つめている。世界で最も重要な仕事であるかのように、瞬きさえ惜しんで。その隣には、マキが寄り添うように立っていた。


その二人の背中を、燈子と滝沢が少し離れた廊下から見守っていた。


「……あのアホンダラも、少しは大人になったみたいやな」

燈子の声から、いつもの刺々しさは消えていた。


「自分のしでかした事の重さを、背負おうとしてるんだろう。……いい顔になった」

滝沢が静かに応える。


昼の日差しで病院の中庭が暖かくなった頃、マキと蒼はベンチに腰を下ろしていた。


柔らかな風が木々を揺らし、遠くからは見舞い客たちの話し声が聞こえる。降り注ぐ太陽の光も、屈託のない誰かの笑い声も、今の二人にはまるで別の世界の出来事のように感じられた。


「……姉ちゃん、ごめん」


蒼が膝の上で拳を握りしめ、ぽつりと呟いた。

「僕、もっと強くならないと。リョウさんや燈子さんに、もう二度とあんな思いさせたくない」


マキは弟の手の上に、自分の手を重ねた。


「謝らないで、蒼。……でもね、強くなるってことは、一人で戦うことじゃないって、燈子さんが教えてくれたでしょ? 私もいる。私だって、蒼を守るためなら、なんだってできるんだから」


マキは努めて明るく笑ってみせたが、その笑顔の端には隠しきれない疲労が滲んでいた。


「――大丈夫かい?」


不意に、穏やかな声がかけられた。


二人が振り返ると、そこに立っていたのは、白衣を着た初老の医師だった。白髪交じりの髪を綺麗に整え、いかにも温厚そうな人物だ。胸のプレートにはリョウの主治医としての名がある。


「少し顔色が悪いようだったから、心配になってね。何か悩み事でも? 何処か体の調子が悪いのかな?」


医師は、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。その瞳の奥を覗き込んでも、一片の曇りも見当たらない。完全な善意。完全な庇護者。


二人は無意識に張り詰めていた肩の力を、ほんの少しだけ抜いた。ここは安全な場所なのだと、錯覚させられるような安らぎがそこにはあった。


「……いえ、なんでもありません。少し、寝不足なだけです」

マキが答える。


「そうか。だが、抱え込むのは良くない。心というのは、時に身体よりも厄介な傷を負うものだからね。いつでも来なさい。美味しいハーブティーくらいは淹れてあげられるよ」


その言葉は、乾いた心に染み渡る清涼な水のように優しかった。


「ありがとうございます……」

二人は小さく頭を下げ、その場を立ち去る。


だが、二人は気づかなかった。


背後で、その医師が見送る視線。

二人が角を曲がって見えなくなった瞬間、慈愛に満ちていた唇の端が、ほんの数ミリだけ釣り上がったことを。


それは医師の顔ではない。

冷徹なデータを収集する、“監視者プロトタイプ”の顔だった。


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