第2話 沈黙の底
街は、ゴールデンウィーク前のざわめきを孕んでいた。
人の群れが駅へ流れ、リョウはその中を抜けて歩いていた。
手にしたスマホの画面には
“UNDERLINE”の文字が、沈黙のまま光っている。
「……何なんだよ、これ。」
検索しても、ヒットしない。
SNSにも出ない。ドメイン登録もない。
ただ、URLを叩くと黒い画面に切り替わり、白い一行が現れる。
Access restricted. Authorized users only.
リョウは眉をひそめ、息を吐いた。
「制限付きアクセス、ね。まるで俺を待ってたみたいじゃねぇか。」
古びたネットカフェに入り、個室に腰を下ろす。
周囲からはキーボードの音と安いコーヒーの匂い。
リョウは指を動かした。
解析ツールを立ち上げ、URLを逆引きし、サーバの出所を洗う。
「……消えてる。トレースが全部偽装だ。」
ふと、背後の監視カメラが気になった。
振り返る。誰もいない。
それでも、何かが“見ている”気配がした。
◇◇◇
無機質な光が部屋を照らす。
十数枚のモニター。
そのすべてに、リョウの姿が映っていた。
カフェの外、路上、そして室内のカメラ映像までも。
黒いフードの人物がひとり、無言で画面を見つめている。
指先で、マウスをゆっくり動かしながら呟く。
「動いたか。……やっぱり、お前は好奇心を捨てられないんだな、リョウ。」
ディスプレイのひとつに、“UNDERLINE://SESSION-02”の文字が浮かぶ。
観察者は笑うでも泣くでもなく、ただ淡々と呟いた。
「監視、継続。」
◇◇◇
夜。
リョウの部屋。
カーテンを閉め切り、薄暗い光だけが机を照らしている。
PCの前には、滝沢から送られてきたフォルダ──“T-Archive”。
中には動画ファイルと、暗号化されたログデータ。
ファイルを再生。
映像の冒頭には、……取材映像・街角のカット。
だが、その一瞬──画面がノイズに覆われ、
“UNDERLINE”のロゴが、白く浮かび上がった。
次の瞬間、イヤホン越しに、誰かの囁きが混じる。
「見てるよ、リョウ。」
反射的に音量を下げる。
心臓が早鐘を打つ。
画面には、再生停止の表示。
自動ログ解析プログラムが立ち上がるが、すぐに落ちた。
黒い画面に、赤い文字が一行だけ残る。
ACCESS DENIED.
リョウは息を呑み、モニターに映る自分の顔を見つめた。
その瞳の奥に、街の灯りのような静かな火が宿っていた。
「……いいぜ。そこまで言うなら、見せてもらおうか。“真実”を。」
外では、春の風が窓をかすめていく。
その流れの中に、微かに機械のノイズのようなものが混じっていた。
──“監視”は、すでに始まっている。
フォルダ“T-Archive”を閉じたあとも、リョウは眠れなかった。
机の上に散らばるメモと空き缶。
カーテンの隙間から差し込む街灯が、画面に滲む。
テーブルの上、滝沢から送られてきたフォルダに一緒に入っていた
古い位置情報のタグ。
それは“東都第三区・港倉庫街”。
翌日。
ジメチルスルフィドと排気の混ざった空気の現場。
廃倉庫の壁面には、剥がれかけたポスターとスプレーの落書き。
中には――机、壊れたカメラ、USBの焼け跡そして黒焦げたノートPC。
壁に貼られたメモの断片には、かすかに読める文字。
『U.L.=政府内部通信?』
『沈黙プロジェクト』
『“見せられる真実”と“見せられない真実”』
リョウはその紙をスマホで撮り、懐にしまった。
外に出ると、風が強く吹いていた。
遠くの交差点でパトカーのサイレンが鳴る。
彼は足を止め、ポケットの中で滝沢の名を打ちかけてやめた。
──その夜。
アパートのテレビを、無造作に点け。
映るのはニュース番組。
《フリージャーナリスト・滝沢誠氏(34)、都内の河川敷で遺体で発見されました。
警視庁によりますと、所持品から身元が確認され、
事件・事故の両面で捜査が進められています。》
夜のニューススタジオ。
流れる映像には、ブルーシートに覆われた現場と、
画面の隅に表示される滝沢の顔写真。
リョウはその場に立ち尽くした。
一瞬、映像にノイズが走る。
静まり返った部屋の中、PCが勝手に起動する。
黒い画面に、“UNDERLINE”のロゴが、わずかに浮かび上がって消えた。
白い文字が滲む。
《真実は、まだ沈黙の底に。》
リョウは、震える指で一行だけタイプした。
「……ふざけんなよ。」
数日後。
雨が上がった東京の空は、薄い灰色を残していた。
歩道の水たまりにビルの光が揺れ、街全体がどこかざらついた質感を帯びている。
コンビニの前、リョウは缶コーヒーを片手にスマホを見つめていた。
冷たい缶の感触が、妙に現実的だった。
画面には、ニュースサイトの見出し。
《フリージャーナリスト・滝沢誠氏、都内河川敷で遺体発見》
(享年34)
リョウは無意識に息を呑む。
数日前に見た初報と、文面が違っていた。
当初の記事には《現場には他殺の可能性を示す痕跡も──》と書かれていた。
今は、その一文ごと消えている。まるで最初から、
そんな文字は存在しなかったように。
「事件性は低く、自殺の可能性とみられています。」
「……は?」
声が漏れた。
記憶違いじゃない。
初報をキャプチャしていたはずだと、端末のフォルダを開く。
だが、保存していたスクリーンショットのファイルは見当たらない。
代わりに、「ファイルが存在しません」という無機質な表示。
リョウは眉をひそめた。
ニュースサイトに戻る。
だが、トップページを更新すると、
その記事自体が消えていた。
「おいおい……どういうことだ。」
SNSで“滝沢誠”の名前を検索する。
結果は、数件の追悼コメントと無関係なアカウントばかり。
「投稿は存在しません(24時間以内に削除)」
胸の奥が冷たくなる。
まるで――最初から“存在していなかった”みたいだ。
再読込むたびに、文字が書き換わる。
「事件性あり」は「自殺の可能性へ」、
「調査中」は「調査の必要なし」へ。
そのわずかな変化を、誰も気づいていない。
スマホの画面を見つめながら、リョウは低く呟いた。
「……現実まで編集するつもりかよ。」
風が吹き抜けた。
まるで街全体が、誰かの手で“上書き”されていくようだった。




