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快晴 一

 夏は青色だと思う。夏になると私はこの言葉を思い出す。

 ちょっと前まで友達だった女の子、小坂の言葉だ。私は「赤か緑じゃない?」と素っ気なく返してしまった。冷たい反応をしてしまう私が嫌い。でも最近になって夏の青は特別なんだなってようやく分かった。夏の世界では、日に焼ける真っ赤なポストも、神社に生い茂る木々の緑も、どこか浮いていてしっくりこない。夏の青だけが鮮やかに輪郭を保っている。青が私に意味を教えてくれた。夏の空を見上げればそれがわかる。夏の空ほど透き通った爽快な青はない。

 彼女はそれを知っていた。「私にもやっとわかったよ」って彼女に伝えたい。でもそれはもうきっと叶わない。だって私は弱い人。



「なにボケっとしとるんですか、お客さま」

 聞き慣れた声が私に話しかけてきた。品の無い言葉遣いが鈴を転がすような声で誤魔化されている。黒木だ。

「分かってるよ」

 何も分かっていなかったが、勝手に口が動いた。

「じゃあはよポテチ片付けな。バスもう着くらしいで」

 周りを見るとみんな準備を終わらせていた。やばい、私だけ置いていかれちゃう。急いでポテチを丸めようとする。ふと、軽くなった袋に気が付く。中を見ると、さっきまで半分以上あった芋たちが三枚くらいになっていた。しかも中くらいのやつだけ。黒木を睨む。

「……自分で食ったんちゃん」

 黒木の目元は真剣だったが、口角が上がってニヤニヤしている。黒木は嘘をつく時に面白くなって笑ってしまうタイプだ。嘘をついてるのに、小馬鹿にしたように笑いやがって。なにトンチキな顔してるんだ。こいつめ。

「私何も言ってないけど」

「いや、ちょっと決め付けるん早ない?」

「盗人猛々しい。しかも少しだけ残してるとこがいやらしい、この姑息野郎。もしかして黒木は泥棒でもめざしてんの? ああ、高校行けないからそっちで食ってくつもりなんだね? これからは私が勉強教えてあげる必要も無いね」

「酷いなぁ。てか言いすぎ。怖いけん食ってないけど、しゃあなしで謝っとくわ、すんまそ」

 この野郎。なにか酷く傷ついて欲しい。転んだ後に踏まれてる所を見たい。その後落ち込んだ姿を見下したい。……やめとこ、心が穢れてしまう。そんなことを考えているとバスが曲がった。遠心力に引っ張られリュックが少し動く。

「着いたっぽいな。ホラホラはよ準備せんと遠足楽しめんで、一人だけ置いてかれるで」

 私は急いで荷物をまとめる。「さっさと生活習慣病でくたばってくれ」と強く念じながら。


 暑い。肌がやける。汗が流れる。日焼け止めが落ちる。さらに肌がやける。暑い。鬱陶しい山のかび臭さ、どこからも聞こえる蝉の声、蟻の行列、そして中学生の列。私たちは遠足で山に来ていた。

 なぜ山なんだ。なぜ夏なんだ。なぜ来てしまったんだ。後悔と疑問が絶えない。がともかく来てしまったし、どう足掻いても山は暑かった。

「これ一人くらい死ぬやろ」

 黒木が呟く。私も同意見だ。なんなら私が死ぬかもしれない。

 今からこの山登るの? やめない? 死ぬよ私。……へこたれるな私。こんな所で死んでたまるか。

「黒木、私がくたばっても置いていかないでね」

 黒木が振り返る。口元は緩んでいない。綺麗に畳まれたハンカチで汗を拭いている。乾いた唇を舐め、口を開く。

「さっきのポテチ分は頑張るわ」

 間抜けな回答だ。しかし、ありがとう黒木。これで安心して死ねる。

 アホな問答をしつつ、先生の点呼を待つ。隣のバスからも人が出なくなり、もうそろそろ終わるかなと思っていた時。ふと、バスからコソコソと一人バスから降りる人影を見た。誰だろう? なんで遅れて出てきたんだろ。寝てたのかな。目を細め人影を確認する。

「あ」

 驚いて声が出てしまった。

「どしたん?」

 黒木が反応する。

「……なんでもない。見間違え」

「なんやそれ」

 黒木が視線を前に戻す。私はその人影を見続ける。

 そっか、来たんだ。

 人影は小坂に見えた。私がいじめて来なくなった私の友達。私を信じて私が裏切った私の幼なじみ。



 これは死ぬ、多分間違いなく。まさか山を昇ることがこんなに過酷とは。誰だ遠足に山に行こうって言い出したやつ。人の気持ち考えらないのか? 悪魔か?


 足元で緑がぴょんと跳ねる。それが私に止まる。バッタだ。いつもみたいに驚く体力もなければ、それを払い除ける気力もない。私はただ前を歩く黒木について行く。頭の中で愚痴を絶え間なく考える。私が現実を感じないように。黒木が私に話しかけてくる。「そこで私は思ったんよ。そんなこと考えてもしゃあないってね。それでさ……おい聞いとんか?」なんだ、何を言ってるんだ黒木。全く意味がわからないぞ、頼むから分かりやすく話してくれ。まさか頭がおかしくなったのか? ……いや、おかしいのは私か。

 暑さで使い物にならなくなった脳をさらに酷使し現実に戻る。すると、私の周りに人が集まっていることに気づく。誰だ。列を崩して、悪い奴らめ。ぺちゃくちゃ喋りやがって。おい、何見てんだよ。

「あー死ぬー。休めばよかったー」

「まじそれ。休んで彼氏と遊んどけばよかった」

「生きてるかー、黒木ー。あれ、今田ちゃん、大丈夫? 顔死んでるよ? おーい、今田ちゃん」

 なんだ、誰だ? 私の名前を呼んでいる。今田。そうだ私は今田だ。ああ、ありがとう。誰かは知らないが、私を助けてくれて。ん? ああ、なんだこいつらか。少し黙っててくれよ。

「ごめん、ちょっと頭がおかしくなってた。何の話してた?」

「おお、生きてた。今ね、小坂見たって言う噂聞いてさー。何しようかなって話してた」

 ──小坂。ああ……そっか。

「今田ちゃんもさ、見つけたら言ってよね」

「……わかった」

 また、私は何も言えない。何も出来ない。ああ、熱が引いていく。手が震えている。暑いはずの夏が消えていく。うるさいはずの山が静まる。私を世界が見つめていた。私の行動を、その罪を、これからの行く末をただ見ている。何も言わず、ただ私を責めている。

 トン、と誰かが私の肩に手を乗せた。

「なんかあったら私に言えや。嫌なことは私がやるけん」

 黒木だ。ああ、ほんとかっこいいよお前。

 声が出ない。ありがとうって言えない。なんでだろう。傷つけることは言えるのにありがとうの一つも私は言えない。ずっとわかってるはずなのに。

 黒木は私の隣を歩く。私を支えようとしているのか、罪滅ぼしか。私と黒木は共犯者だ。だからお互いの気持ちがよくわかる。ああ、鈴の声が、脳に沁みる。

 空は青く晴れ渡る。どんな色にも負けないその色は夏を彩る。それはアオトリドリ。

 夏の青。それは誰にも染められない。

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