第3章 すれ違いと静かな変化
夏が近づくにつれて、制服の袖が重く感じるようになった。
それと一緒に、家の中の空気も、ほんの少しずつ変わっていった。
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最近、ミっちゃんがよく寝ている。
学校から帰ると、リビングのソファにミっちゃんが丸まっていた。
テレビはついているのに、目は閉じている。
足元には脱ぎっぱなしの靴下。
膝にはブランケットがかけられていた。
「……風邪?」
つぶやくと、お母さんが食器を洗いながら答えた。
「疲れてるだけよ。学校も忙しいんでしょ、2年生」
私は「ふーん」とだけ返して、リュックをソファの脇に放り投げた。
ブランケットが少しずれた。
でも私は、それを直すことはしなかった。
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朝、リビングに行くとミっちゃんの席が空いていた。
食器は4人分のままだったけど、椅子だけが取り残されていた。
「お姉ちゃんまだ?」
と聞くと、
「今日はゆっくり出るって」
お母さんがそう言った。
「遅刻じゃん」
私は小さく笑った。
お母さんは笑わなかった。
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その日の放課後、私はぐったりと帰宅して、制服のままベッドに倒れ込んだ。
ほんの少し熱っぽかった。風邪のひき始め、たぶん。
ふと目を覚ますと、机の上にポカリが置かれていた。
水滴でラベルがにじんで、冷たいままだった。
「……誰か、来たの?」
私は部屋のドアをちらりと見たけど、誰もいなかった。
ポカリを口に運ぶ。
冷たさが喉を滑って、体が少し楽になる。
でも、なんだか胸の奥が苦しくなった。
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夜中、トイレに起きて廊下に出たとき──
誰かの気配があった。
本当に気のせいかもしれない。
でも、ミっちゃんの部屋のドアがうっすら開いていた。
私は声をかけなかった。
なぜか、そうしたくなかった。
部屋に戻ってベッドに潜り込むと、心臓がふしぎに速く打っていた。
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次の朝、リビングに行くとミっちゃんがいた。
でも、あの“いつものミっちゃん”じゃなかった。
髪がぼさぼさで、制服の袖に小さなシワがあった。
片手でカップスープを持ちながら、ぼーっとテレビを見ている。
「おはよ」
私が言うと、
「うん、おはよ」
とだけ返ってきた。
声はかすかにこもっていた。
ふと顔を見ると、目の下にうっすらクマができていた。
でも私は、「寝不足?」と聞くことはしなかった。
なんとなく、そのまま流してしまった。
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その夜、私はまたミっちゃんのLINEを見た。
スタンプも顔文字もない、短い文章だった。
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ミっちゃん:
「シズ、テスト近いから頑張ってね」
「ノート、机の上にまとめてあるよ」
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私は“了解”のスタンプを押しただけだった。
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あとから思えば、この頃が境目だった。
ミっちゃんの優しさに、疲れと重さが混ざり始めていた。
でも私はその意味を知らず、
「最近ちょっと元気ないな」って──それだけだと思っていた。