表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/51

かつての自分

 不思議な体験から一ヶ月が経過していた。あれから兄弟の生活は少しずつ変化している。


 アトラスは一見すると習い事や勉強をサボっている。しかし彼は、自らが前世で手にした力が、日を追うごとに蘇ってくるのを感じており、それを抑えることを第一に考えていた。


(前世の力が完全に戻ってしまったら、目立ってかなわん。あの天使は余計なことをしてくれたものだ)


 自らの力を刺激しないことに意識を集中しており、側から見れば遊んでばかりの長男になっている。


 反対にイルは魔法の練習に夢中になっていた。


 購入した魔導書は完全にマスターしたらしく、時折庭で昼寝をしている兄に、火の玉や氷を見せては褒めてもらいたがった。


 ただ、困ったことに弟は、たまに練習のしすぎで魔力切れを起こして倒れることがあり、ロージアン家のみんなを心配させてしまう。


「迷惑かけてごめんなさい。でも……なんで魔法を使い過ぎると、倒れちゃうのかなぁ」


 ベッドに運ばれた後、目を覚ました弟は兄に謝罪しつつ、悔しそうに天井を仰いだ。


「魔力を手にした人間は、それが尽きてしまうと体に異常をきたす。特別な故の欠点かもしれないな」


 魔力がない人間にとって、魔力切れという現象は理解し難い。魔力が多少戻ってくるまでは、気絶してしまうのも共通していた。


「でもね、以前よりずっと使えるようになったよ。今日なんて五回もできたんだ!」

「良かったじゃないか。魔法だけじゃなく、勉強もできる。人当たりも良いお前は、きっと将来立派な男になるぞ」

「お兄ちゃんは?」

「ん?」

「お兄ちゃんは、魔法とか覚えないの?」


 アトラスは小さく笑い、弟の髪を優しく撫でた。


「お前も見ただろう。俺には魔力がない。しかも、努力しても手に入るかどうかは分からない。なら、持たないままでいい」

「でも魔法楽しいよ。ねえ、一緒に覚えようよ。きっとお兄ちゃんなら、すぐできると思うんだ」

「そんな幸運が、俺の身に起こればな。自分から動くつもりはない。大変だからな」


 この頃、アトラスは妙な信頼感が生まれていることを、内心では危惧していた。


 弟だけではない。これだけ無気力なさまを見せているのに、両親は未だに自分を次期当主にさせたがっている。


 たった七歳の少年。しかしどこまで隠しても、前世で培った人間的な魅力までもが、本人の意思とは無関係に目覚め始めている。


 彼にとっては迷惑な日常だった。


 ◇


 ある日、アトラスは夢を見た。前世の自分を遠目に眺めている、それは不思議な光景だった。


(俺が見ているのは、夢か? しかも、なぜか自分が夢を見ていることを知っている。こんな嫌な夢があるのか)


 そこは人と魔物が殺し合う真夜中の戦場。二度と思い出したくない、記憶の一ページだった。


 翼を生やした悪魔、巨大なライオン、死神のような亡霊、鋼鉄の鎧に身を包んだ牛男。


 ありとあらゆる魔物達が、数万という大愚勢で襲いかかる戦場は、地獄という言葉ですら生ぬるい。


 しかし、人々もまた果敢に戦っていた。人数に負けど、力に劣ろうとも、決して怯まず争い続ける。


 それでも劣勢を覆すことはできずにいた。だがそんな悪夢の時代に、たった一人だけ勝ち続ける猛者がいた。


 黒い甲冑に身を包み、赤い魔剣を踊らせて、立ちはだかる怪物達を切り殺す。


 男の手は常に血で汚れていた。ただ黙々と前にいる敵を倒し続ける。


 彼は左腕と右目を失っていた。まだ戦場に出て間もない頃、幾度も生死の境を彷徨った。しかしどんな苦境にも負けず、剣を捨てようとしなかった。


 仲間達も、すでに多くを亡くしている。いつも死にゆく者を見送る立場だった。彼の戦いは十年以上も続いている。


 過酷な絶望を目にしてもなお、力強さと凶暴さは陰りを見せず、むしろより冴えてくる始末であった。


 真夜中の森が、魔物の死体だらけの肉林へと変わるまで、男の剣は止まらない。まるでダンスでもするように、剣が舞い肉片が飛び散る。


 あとどれだけ戦い続けていられるだろうか。心は落ち着き払っている。自分でも分からないほど、戦場が苦にならない。


 冷静だからこそ見えていた。この血だらけの人生における終点が近いことに。


 黒き甲冑は噂話として広がり、やがて逸話が生まれ、いつしか伝説へと変わる。


 人々は彼の中に希望を見た。しかし彼は、自分の中に絶望しかないと思う。


「俺は、あの娘だけは助けなくてはいけない」


 この戦争はきっと負ける。それが現実だろう。


 しかし男には、どうしても譲れない目的が残っている。


 今もなお群がる魔物達を切り捨てながら進むのは、その娘を救う為だ。


 やがて男は辿り着く。世界を覆い尽くす大群の総本山、魔物達が崇拝する王の城に。


 夜の闇よりも不気味な紫色の巨城に、男はたった一人で忍び込み、次々と見張りを殺しては進む。


 赤い魔剣は血を吸い続け、闘争の快楽に酔っている。黒い甲冑は殺意を煽り、さらなる暴力を求める。


「お前らと付き合うのも、あと少しだけだ」


 つれない独り言を漏らしていると、不意に殺気が集まってきた。いよいよ魔物の集団に見つかった男は、獣すら怯えるほどの咆哮と共に飛びかかった。


 難攻不落の要塞と称される、魔王の城。しかしそれ以前に、城に辿り着ける者はほぼいなかった。まして一人などありえない。


 稀有な侵入者である彼は、初めこそライオンの檻に迷い込んだネズミと笑われた。その笑みを見せたまま、巨大なトロルは首を飛ばされる。


 何百という罠、無限に放たれる多種多様な魔法、集団で覆い被さるように襲いかかる猛獣。しかし、何が迫ろうとも男は全てを薙ぎ払った。


 彼は尋常ではない怪力の持ち主である。岩を持ち上げ、巨人の棍棒を弾き飛ばし、ただの蹴りで数十匹という魔物が吹き飛ぶ。


 そして何より狂っていた。誰にも予想がつかない力と狂気。だからこそ彼は、王の下へたった一人で辿り着くことができたのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ