魔力を感じる
店内に入ってみると、中は薄暗かった。
まるで占い師が出てきそうな、しかし普通の民家のような。特徴があるようでない館の中が、兄弟にはどうも不気味に映った。
先ほどまで好奇心いっぱいで、中に入りたいと言ってきかなかったイルなど、兄の後ろで小さくなっている。
「おや? これはもしや、留守かもしれませんなぁ。魔法屋というものは気まぐれでして。店が開いているように見せて、実はお休みだったなんてことはざらですからな」
執事のセザールが呑気に笑う。アトラスは館の奥をじっと見据えたまま黙っていた。
「ねえお兄ちゃん。さっきからずっと、何処見てるの?」
「……いや、誰かがいるんだが。どうもよく見えなくてな」
「え!? だ、誰がいる……の」
弟の声がだんだんと小さくなり、最後は消え入るようだった。お化けが出そうだと、怯えていることは明らかである。
「怖いやつじゃない。ただ……そうか。これは幻術だな」
「げんじゅつってなーに?」
「幻を見せる魔法のことだ。じい、魔法屋というのは、客を欺くこともよくやるのか?」
執事セザールは、少しだけ考えを巡らせた後、気さくな笑顔と共に首を横に振る。
「私の記憶の限りでは、欺くような者はおりません」
「では、ここにいるのは相当な変わり者らしい。どうだイル、この先を見てみたいか?」
イルは迷っていたが、少しして首を縦に振った。好奇心はぬけていない。
「じゃあついて来い。きっと面白いものが見れるぞ」
そう言うと、まだ七歳の少年は堂々と館の奥へと足を進めていく。弟は兄から離れたくなくて、恐る恐る後ろに続いた。
(魔力を感じる。懐かしい感覚だ。こういうところも、前世の世界に近い)
薄暗い奇妙な一室。赤い絨毯が敷かれた室内を歩くほどに、僅かしか感じなかった魔力が大きくなる。
まるで臆せず進むその姿に、執事は僅かながらに驚いていた。
(まだ幼い年端で、闇も魔力も恐れぬとは。やはりアトラス様は、普通の子供ではないようだ)
普段は呆けている兄と言う印象で、両親を含めた周囲から可愛がられている長男を、執事は違う視点で見ていた。
彼には非凡な才能が隠れていると、長年の人を見る経験が告げている気がしたのだ。
老人の予想を裏付けるかのように、少年は僅かな魔力をたどり、少しずつ隠れた何かに迫ろうとしている。
やがてまだ小さな少年は、突き当たりの何もない壁の前で足を止めた。
(この先に魔力がある?)
ゆっくりと右手を前に伸ばしてみると、壁の奥に腕が入っていく。そのまま体ごと前に進むと、何も見えない真っ暗な通路へと出た。
「え!? な、なんなのこれ!」
ぎゅっと服を掴んで驚くイル。アトラスは周囲を見渡し、黒い世界をよく観察した。
「魔力を流しているな」
先ほどからずっと感じる、微かな力。それは自然に湧き出ていると言うより、こちらを正しい方向へと導こうとしているのではないか。
そう予想したアトラスは、より鋭敏に魔力を感じながら、何も見えない通路を歩き出した。
「離れないようにしろよ」
「う、うん」
「おやおや! このような通路があるとは、驚きましたな」
執事も呆気に取られてしまうほど、この通路は不思議そのものだった。先頭を歩く少年は、魔力の流れを探りながら、まっすぐ進んだり曲がったりを繰り返していった。
三分ほど経過した時、彼は魔力がより大きく膨れ上がっていることに気づき、足を止めて周りを確認した。
「出口だ」
小さく呟き、振り返ってまた歩き出す。この黒い道を、どんな風に進んできたのかは誰も覚えていない。
しかし明らかに出口があった。黄金の光が徐々に広がり、やがて三人が通れるほどの穴が見えてきた。
穴を抜けた先にあったのは、見知らぬ森だった。イルはいきなりの変化に驚き、興奮して兄の側を離れて動き回る。
「わああ! 凄い、全然知らない場所に転移したよ。じい! ここが何処だか知ってる?」
「ふうむ。ティターンの森に近いような気もしますが、ハイドレの街道側にもこのような場所が。あいにくと分かりませぬ」
アトラスはどちらも地図で知っていたが、確かにこのような森ではないと考えていた。
ロージアン領や王都付近では多くの森があり、それぞれに名前が付けられている。しかし、この森は木々が奇妙に青々としていて、普通の木よりも太く長いものばかりだ。
「どうやらお呼びらしい」
若干の呆れを言葉に乗せながら、アトラスはまた歩き出した。
「え? 誰が呼んでるの?」
「この森の主、かもしれん」
口では呆れているようだが、内心ではアトラスは感心していた。
まるで絵本のような世界。こんな幻想的な風景など、なかなか見れるものではない。
前世では、童話のような温かい話とは無縁の世界にいた。血生臭い思い出ばかりが頭をよぎっていたが、ここはなぜか癒される。
そうして歩き続けるうちに、小さな丘にたどり着いた。最初は細々としていた魔力も、今では誰もが感じられるほど大きくなっている。
丘を少し登ったところに、まさに絵本でありがちな赤い屋根の一軒家が佇んでいた。
「ここは私めが、ご挨拶に上がりましょう」
先頭に立ったのは執事であった。あまりに高い魔力を感じ、もしアトラスとイルが襲われてしまったら、と心配している。
しかしそうはならない。扉に付けられた呼び鈴を鳴らすと、中から出てきたのは小さな女の子であった。
「いらっしゃいませ! ベルシェリカ魔法店にようこそ!」
明るい声で招き入れられ、アトラス達は面食らった。家の中にはいくつもの魔導書が並べられ、水晶やアクセサリといた魔道具も所狭しと棚に置かれている。
「君が店員なのか?」
「そう! あたしが店長で、そこのトロいのが店員よ」
「え? 店員って、亀さん?」
イルは丸い瞳を大きくして、店内をのそのそと歩く大きな亀を見つめた。
「あたしゃそんなにトロくないわよ」
「うわあ!? 喋った!」
「喋っちゃ悪いわけ?」
しかも口が利ける。執事も「おおー」と驚きをあらわにしたが、アトラスは淡々と魔導書を品定めしていた。
「喋る魔物なんて、世の中にいっぱいいるでしょ。あいつはルー。あたしはベルシェリカ。ワケあって、こういう面倒な商売をしてるの。それにしても子供が辿り着くなんて凄いわ。アンタ、一体何者なわけ?」
「勘が当たった、それだけ」
アトラスは誤魔化した。この店長は、今までの人生で出会ってきた面倒な人間の香りがする。
しかし、このような幼い見た目で店長とは、どう言うことなのだろう。疑問に思って見てみると、少しばかり耳がとんがっている。普通の人間ではないようだ。
「ふふふ。いいわ、どう言う人間かは、あたしが確かめる。で、なんか魔導書買ってく?」
「俺は魔法について明るくないのだが、買えば使えるものなのか」
「その人次第、としか言えないわね。例えばこれとか」
ベルシェリカ店長は棚の中から、一冊の魔導書を取り出して開いてみせた。




