瞬殺
アトラスが向かった先は、グロウアス東部にある森であった。
森の中にはかつて使用されていた砦が残っており、そこでは既に儀式が始まっている。
黒いローブを纏った数人が、魔法陣の中心——奇妙な神の像に縄で括り付けられたリリカに呪詛の言葉を吐いている。
聖女は数々の供物の真ん中に立たされていた。犬、猫、人間の子供の死体が散乱している。他にはキノコやリンゴ、糞や金銀財宝の類も供えられていた。
(なんとか……しないと)
どうにかして脱出を試みるが、縄は強く食い込み、周囲は何十匹という魔物が囲んでいる。逃げ出すことは不可能に近い状況であった。
どうやってこれほどの魔物を、グロウアスの中に入れることができたのか。彼女には不思議でならない。
実はレグナスが遠征で魔物を討伐している際、隠れて招き入れていたのだが、彼女がその答えを知ることはなかった。
黒いローブの男達の背後に、たった一人だけ女がいた。彼女の名前はカイリ。グロウアス魔教会のためなら、どのようなこともやってのける狂人だ。
もはや儀式は多くの過程を終わらせ、もうじき最後の段階に入ろうとしている。
リリカの全身に、赤い光が微かに立ち昇っていた。まるで毒でも吸っているかのように、彼女は苦しみ始めている。
カイリは聖女が悶え苦しむ様子を、満足げに見つめていた。
しかしその時、グロウアス王立学園の方向から白い光の柱が現れたのである。
突如として出現した強大な魔力を前にして、儀式の場に集まっていた魔物や魔教徒達は震え上がっていた。
だが、カイリは余裕の笑みを保ったまま、周囲に命令を下す。
「何も恐れることはない。今更あの程度の魔力が起こったところで、我らが神には赤子の手を捻るようなもの。恐れず、粛々と儀式を続けなさい。さすれば神の恩恵が、あなた達に降りかかりましょうぞ」
この一言で冷静さを取り戻した魔教徒と魔物達は、再び自らの役割につこうとしていた。
しかしながら、突然の乱入者の登場で、場は再び混乱に包まれる。
「て、敵襲、」
言いかけた魔物の首が夜空に舞う。すぐさま赤い煌めきが、儀式の場で縦横無尽に走り回った。
あの男が来た。カイリはすぐに状況を察知し、応戦するべく堂々と前に出る。
「ほう……あなたが噂の、」
挨拶をする前に、彼女は赤い魔剣に真っ二つにされ絶命した。
まるで鬼神の如き動きで、彼——アトラスは魔物達を数分とかからず肉塊に変えていったのである。
無論、魔教徒達さえ容赦なく切り捨て、全てが終わった時にリリカを呪縛から解き放った。
帰り際、彼は聖女を抱きしめながら飛ぶように跳躍した。夜の月の下、黒い甲冑に身を包んだ彼は、他者からは視認が難しい。
気づかれずグロウアスの街付近までくると、彼女を降ろした。
「アトラス……儀式は、もう一つある」
(……やはり俺だとバレているか)
彼は兜の奥で困惑していたが、静かに頷いた。聖女の直感には驚くばかりである。
「あのローブの人が言ってた。場所は……」
「もう知っている。お前は早くみんなの所へ戻れ。じゃあな」
それだけ言い残すと、アトラスは走り出した。もう一人の生贄を救うために。
(答えは一つだ。どちらも死なせない。何があろうと救い出す。これで俺の仕事は最後だ)
レオナを救い出したなら、後はもう何もせず、だらだらと生きていこう。
そんな将来の夢を思いつつ、彼はひたすらに走る。馬よりも遥かに俊敏なその足は、グロウアス西部のある都市へと向かっていた。
◇
「いよいよ終わる。私の愛と苦難に満ちた道のりが。ああ、全ては君のおかげさ。レオナ、聞いているかね?」
グロウアス西部にある、とある廃墟。そこには先ほどのカイリ達と同じだけの魔物と、魔教徒が集まり、怪しげな本を復唱している。
その姿をうっとりと眺めるのは、貴族としてグロウアスで暗躍していたタイランだ。
廃墟の中央……魔法陣の上でレオナは縛られていた。リリカと同じように、禍々しき神の像に括り付けられている。
しかし、彼女の場合はより深刻である。既に邪神呼びの儀式は最終段階に入り、レオナは赤い血のような光に体を包まれていた。
魔教徒の長であるゾネンが、この後に起こるであろう悪魔の奇跡を想像し喜びに震える。
タイランは既に、東部で行われた儀式に邪魔が入ったことを知っていた。そのため、今この場を急がせている。
彼自身もまた、迅速に動いた。懐から邪神の宝玉を取り出すと、夜空に掲げる。
「今こそ我のために、我と一つになるために現れたまえ。全ての世を欲する強欲にて破滅的な力を持った神よ。今こそ、我の側に」
宝玉が赤く輝き、レオナの光を吸い始める。
(……ああ……私……私……は……)
彼女は儀式の魔に当てられ続け、意識を失いかけていた。それでも死の恐怖が、ぎりぎりで眠りにつくのを拒んでいる。
このまま瞳を閉じればその時は、間違いなく終わってしまう。そんな予感がした。自分だけではなく、恐らく全ての人々が死ぬ。
レオナは必死に抗い続ける。助からないと感じていてもなお、諦めたくはない。
その悲痛な思いが、ますますタイランの持つ勾玉に力を与え続けていた。
そしていよいよ勾玉は彼の手を離れ、怪しい輝きと共に浮遊を始める。儀式の供物の力を吸ったまま、神秘的な光と共に上へ上へと。
魔教徒達がざわめいた。周囲にいた魔物達が歓喜した。だが次の瞬間、彼らのうち数人は一瞬のうちに、地獄へと送られてしまった。
ただの一閃。大抵の者には目に映りもしない神速の剣技である。
タイランは静かに、剣が振るわれた先を睨みつけた。
レオナの前に降り立ったのは、かつて自らの夢を打ち砕いた男。
「待っていたよ。君を……この日を待っていた」
タイランの瞳には、意外なことに歓喜の色があった。
「俺は会いたくなかった」
反対に黒き甲冑の男、アトラスは面倒くさいと言わんばかりである。
前世からの因縁を持つ二人は、今度こそ本当の決着をつけようとしていた。
 




