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剣聖マーセラス

 グロウアス王立学園は教師達を含め、全員が大騒ぎとなっていた。


 すぐに憲兵を呼び、攫われた聖女を捜索と、犯人の逮捕に動き出している。


 だが、闘技場までは周囲の目は届いていない。ましてそこで、魔族達が人殺しをしようとしているなど、想像もできないことである。


「はああ!」


 虎の顔を持つ魔物が、二本の剣に炎を纏わせて切りかかる。マーセラスはギリギリのところでかわすも、反撃に映るなどとてもできない。


 しかも後方にいた狼の剣士もまた、彼の背中を狙っているのだ。


 この時、髭の男は遠間からこの状況を見つめているだけだった。彼は戦いが得意ではなく、勇気も足りない男である。この圧倒的有利な状況を、笑って楽しんでいるに過ぎない。


「いやあ、愉快愉快。とうとう君の最後が見れるわけだねえ。おっと! マーセラス君、もっと早くかわさないと。もう少し楽しませてくれよ」


 せせら笑う髭の男に、マーセラスは激しい怒りを覚える。しかし、前後を挟んで攻められている状況では、彼にかまう余裕はなかった。


 幾つもの剣が交差し、彼は体ごと弾かれるように地面を転がった。


「貰った!」


 この隙を逃さず、狼の剣士が天高く飛翔する。狙いはマーセラスの喉元だ。


 一直線に落下する様を見て、虎も髭の男も勝利を確信する。


 しかし、その一撃が届く寸前、高速の矢を思わせる何かが、狼剣士を吹き飛ばしていた。


「間に合ったー! やっぱここにいたんだ」

「……ノア!」


 狼剣士の顔面に蹴りを見舞いながら現れたノアは、着地するなりすぐにマーセラスを起こした。


 教会での騒ぎからようやく抜け出したノアは、生徒の一人からマーセラスと教師が闘技場に入って行ったという話を聞いた。


 だからこうして駆けつけることに成功したのだが。思わぬ強敵と髭の教師の変貌ぶりに、内心では驚きっぱなしである。


「助かった! リリカは?」

「後で話すよ。それより、こいつらをどうにかしよーぜ」


 背中合わせになった二人は、それぞれの敵を睨みつける。虎の剣は冷静に二本の剣を構え直し、狼剣士は怒りに任せて飛び出した。


 青い狼は咆哮を発しながら、口から氷のブレスを吐き出す。この攻撃を完全に予期していなかったノアは、避けつつも体勢を崩した。そこで嵐のような剣が振りかかる。


 同時に虎の剣士もまた、炎を大袈裟に撒き散らし、マーセラスを翻弄しようとする。


 同じく魔法で対抗できないかと考える彼だったが、魔法学科で習っていた座学ではまだ対抗しようがない。


 魔物達は単純に、二人よりも圧倒的に戦闘経験が上であった。だからこそ、一度は反撃に転じようとした動きを抑えられてしまう。


「ははは! 終わりだよ、今度こそね」

「おい! お前なんなんだよ!」


 髭の男が笑うと、ノアが噛みついた。しかし彼は、彼女に対しては無視を決めこんでいる。


 安全なところから笑う髭の男は、ノアの乱入に驚きはしたが平静を取り戻していた。傍目から見て、どう考えても負ける戦いではないのだ。


 あっという間に狼剣士はノアを舞台端に追い詰め、虎の剣士はマーセラスの剣を弾き飛ばし、彼を仰向けに倒してしまう。


「マーセラス!」

「人の心配をしている余裕が——お前にあるか!」


 狼剣士はまたも氷のブレスを吐き出した。ノアは回避するべく後方へ飛び、さらにマーセラスとの距離が空いてしまう。


「終わりだ。剣聖になるはずだった男」

「……く……」


 マーセラスは今度こそ絶体絶命であった。彼の首元めがけて、静かに剣が振り上げられる。


 明らかに斬首しようとする動きである。そして剣が、素早く振り下ろされようかという、その直前であった。


(知っている。僕はこの姿を……この剣が振り下ろされる姿を見たことがある)


 刹那に彼はようやく思い出していた。幼い頃の記憶。村に火がつけられ、次々と人が切られていく地獄のような思い出。


 自分だけは助けようと、命懸けで海に送り出そうとした両親。何度も振り下ろされる剣、剣、剣。飛び交う血。全てが彼の脳裏に、強く強く蘇ってきた。


 そして彼は、湧き上がる闘志に逆らうことなく、天を突き破らんかぎりの叫びを上げる。


 心の鎖が外れ、秘めていた魔力が爆発した。白い光の柱が突如として闘技場の天井を破壊するほど高く伸び上がり、虎の剣士は吹き飛ばされてしまう。


「あ……あ……? な、なんですか。これは……」


 髭の教師は後退り、白い光の柱を生み出した男に恐怖した。観客席にまで飛ばされていた虎の剣士は、怒りを露わに立ち上がり、もう一度マーセラスに襲い掛かるべく飛ぶ。


「ああ? どうなってやがる?」


 この時、狼の剣士もまた、彼の変化に唖然としていた。その一瞬の隙を逃すまいと飛びかかるノア。見惚れている場合ではないと直感的に理解した彼女は、経験で勝る魔物よりも行動が迅速だった。


 放たれた飛び回し蹴りが、獣の側頭部に決まる。


 倒れたところに、渾身の正拳突きを胸に喰らわせると、狼剣士の口から血が吐き出された。そのまま少しのあいだ痙攣し、やがて動かなくなる。


「はあ……は……マーセラス!」


 ようやくマーセラスのほうへ目をやると、彼女は戸惑ってしまった。


 白いオーラを纏ったマーセラスが、いともあっさりと虎の剣士を切り倒していたのだ。力の差は明確であった。


 虎の剣士は二度、三度の鍔迫り合いの末に打ち負け、胴体を真っ二つにされ絶命している。


 記憶を取り戻し、本来の力を覚醒させたマーセラスは、髭の男が想像していた以上の強さを有していた。


「あ……あああ」

「次はあなたの番だ」

「ひいいいい!」

「待ったー!」


 思わず逃げ出そうとする彼だったが、あっさりと追いかけてきたノアに捕まり、うつ伏せで拘束されてしまう。


 直後、ようやく騒ぎに気づいた教師や生徒達が闘技場にやってきたことで、彼は逮捕されることになったのである。

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