魔教会と邪神呼び
マーセラスが教師に連れて行かれた先は、驚くべきことに闘技場であった。
「先生、なぜここに来るのです?」
彼は当然の疑問を言いながら、それでも彼の後ろに続いている。
「ああ、いや! 要するにアレだよ。近道なんだ。ここを通って行ったほうが、学舎に早く着くようになってるんだ。君はまだ入学したばかりだから、この広い学園のことは詳しくないだろう?」
教師は慌てながら、ただの通過点であると説明した。
その様子を見て、マーセラスの疑惑は更に強くなっていたが、ここまで来たのだから最後までついて行くことにした。
闘技場の舞台までやってきた時である。それまで淡々と歩き続けていた教師がふと足を止め、こちらに振り返った。
「おっと。いけない親御さんだ。どうやらここに来てしまったらしいよ。ほら君、あそこにいるのが分かる?」
「え?」
予想だにしない展開になり、マーセラスは動揺した。すると闘技場の向こうから、一つの影がこちらに迫っていることが分かる。
だがその影は赤いローブに身を包んでおり、どう見ても不審者としか映らない。そして遠間からでも分かるほど、明確な殺気を放っていたのである。
「あの人が親ですって? そんなわけがない」
「覚えているのかい? 両親が殺された記憶を?」
「覚え……なんですって?」
教師の顔がいやらしく歪む。そして皮膚が青白く変色していく様を、マーセラスは信じられない目で見つめていた。
「君のしつこさには驚かされたよ。何度殺そうとしても死なないんだからねえ。おかげで私が、あるお方からどれだけ叱られたか分かるかね? どうして素直に死んでくれないのかと、この心が何度傷んだことか」
「まさか……」
赤いローブを身に纏う存在が、とうとう舞台の上に飛び込んできた。ローブを脱ぎ去った時、虎の顔が露わになる。
顔は虎だが二足歩行であり、両肩に剣を預けている。
「君の故郷を焼き払ったのは、私と仲間達さ。ここにいる二人も、その時は活躍したものだよ。惚れ惚れほするほど美しい、皆殺しというやつを見せてくれたなぁ。たった五人で行った偉業だよ」
気がつけば、背後からも一匹迫っていた。青いローブを脱ぎ去ったそれは、狼の顔と人間の体を持っている。
「僕は嵌められたというわけか。本当に貴様らが、僕らの村を……家族を殺したというのなら」
マーセラスは腰に下げていた長剣を抜き、教師へと向けた。
「絶対に許すものか」
教師になりすましていた男は、その発言を大いに笑った。赤い虎と青い狼も剣を抜き、唐突な殺し合いが始まろうとしている。
ちょうどこの時、ノアは逃げ出したローブの女を探し出そうとしたが、その前に騒ぎを聞き続けた教師や生徒達がやってきて、身動きが取れなくなっていた。
やがて学園の教会関係者も大慌てとなり、騒ぎは急激に広がってゆく。
◇
不思議な森の中にある一軒家で、ベルシェリカは語り続けていた。
彼女は森に身を潜めながら、永い年月に渡ってグロウアスで起こる変化をくまなく調べていたという。
それらの事実を知るにつれ、アトラスの顔が険しくなっていった。
まず第一に、今グロウアスの一部でとある儀式が始まろうとしていること。それは二箇所で同時に準備が進んでいること。
儀式で集められている供物、様式などから推察するに、おそらくは禁術中の禁術と呼ばれた邪神呼びだという話である。
「邪神呼び……」
「つまりは悪辣な神様を呼び寄せて、その存在と同化を試みるっていう儀式よ。かつてこれに挑んだ者は数少ないけれど、伝承では成功例もあるとされているの。でも、伝承以外ではもれなく失敗してるわね」
「その神と同化をしようと企むのが、タイランだというのか」
既視感のある展開だと、彼は心の中で思う。そんな大それた真似をした奴を、過去に一人知っている。
「あいつの行動からして、間違いないわ。そしてあれに付き従う四人……二人はもう死んじゃったけど。彼らはグロウアス魔教会っていう、地下に潜む邪教の幹部なのよ」
「初耳だな」
「でしょうね。もうずっと昔に壊滅したとされる邪教徒だもの。でもあいつらは、自らが信仰する神を降臨させることを目的として、長い間隠れて活動していたのよ。殺し、拉致、人体実験、ありとあらゆる汚い真似を、大陸中でこっそり続けていたの」
グロウアスにはかつて、二つの教会が争っていた。一つは現在の正教会であり、もう一つは魔教会と呼ばれるようになったもの。
長い年月を経て争いは終わり、魔教会は完全に消え去ったと思われていた。しかし、ひっそりとその活動は続けられていたのだ。
神を召喚し世界を平和に導く、という大義を振りかざし、その為にはどのような残虐な犯罪にも手を染める。
「ゾネンとカイリ、あなたが戦ったゴルバトとフランケル。あいつらは教会の実質トップであり、滅びかけの悪魔よ。人間であることもすでに捨てているわ。実はね、あたし達がこうして隠れているのも、奴らから逃げていたからなんだけど」
ここで意外な事実が語られた。いつも森の中にひっそりと暮らす彼女達は、魔教会と関係があったようだ。ここで亀の助手がのそのそと近づいてくる。
「あいつらに何度殺されそうになったことか、思い出すだけで震えるよ!」
「……恐ろしいことをする」
ベルシェリカが地図の二つの丸を指し示した。グロウアスの東部と西部に一つずつ印がされている。
「儀式は同時進行。でもやるとしたら、どちらかしかないのよ。あの儀式に必要な邪神の勾玉は、世界に二つとないもの」
「よく分からんな。なぜ二つ儀式を行う必要がある?」
「理由は、アンタ」
彼女は、今度はアトラスを指差した。
「というより、アンタみたいな強力な阻害者が現れることを見越して、二つにしたのかもね。多分どちらかに大きな邪魔が入ったら、その知らせを受けたタイランがもう一方の儀式へと急ぐつもりかも。または、単純に一方をカモフラージュに使っているかも」
この時、アトラスは急に立ち上がって窓の向こうを見つめた。何か大きな魔力の衝突が起こっていることに気づいたのだ。
その直後、青い色をした鳥が窓から入ってきて、ベルシェリカの肩に止まった。まるで隼のような俊敏さである。何かを口走っているような奇妙な鳴き声だった。
彼女はこうして多くの鳥や動物から、あらゆる情報を受け取っている。
「どうやら二人、魔教会の手によって攫われたみたい。いよいよ始まるわね」
「ちょっと待て。学園でも火花が散っているようだが」
「そう……相手は学園でも暴れているわ。でも、そこに戻っていたら儀式を止めるのは間に合わない。そして儀式に向かうとして、時間的に行ける箇所は一つ」
なんともまずい状況だ、と思い彼は拳を握り締める。
「攫われたのは聖女と、多分ルーサー演劇団の俳優ね。アトラス、東と西、どっちにする? ただ普通に進めば、魔力迷路に翻弄されるのは目に見えてるわ。でも、あたしは正しい道を分析できる。それとも、学園に行く?」
この知らせは衝撃だった。攫われたのは二人とも知っている間柄だ。このような運命があるものだろうか。
いや、散々聖女が警告していたではないか、と彼は初めて苦笑した。自分が思い悩んでいたことに呆れていたのである。
彼の答えは決まっていた。
「学園には頼れる奴らがいる。俺はあいつらを信じて、儀式を止めに……いや、潰させてもらうことにしよう」
「オッケー! じゃあ、どっちに行く?」
「答えは決まっている」
続けて発せられた答えに、ベルシェリカは驚いた。
彼の永きに渡り穏やかだった心に、苛烈なまでの闘争心が戻りつつある。




