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白獅子の紋章

 それから一日が経過した。


 グロウアス王立学園に、奇妙なほど平穏な時間が流れている。


 アトラスのもとには、リリカやマーセラスはもちろん、休み時間にはノアも頻繁に会いに来ていた。


 昼休みはグラウンドに集まり、これからのことを話し合うことになった。


「多分、もうすぐ。何かが起きる」


 リリカは首に下げた十字架に触れながら、静かに呟く。


「ねー? 待ってたって始まんないだろ。さっさとこっちから攻めていこうぜ。俺はあいつをブッチめられなかったのが、悔しいんだ」


 ノアが拳を握って主張する。しかし、その意見にマーセラスは苦笑していた。


「その相手がどこに隠れているか、未だに分からないんだよね」


 王子の暗殺未遂、広場での殺人行為。当然グロウアスという国が、今血眼になって敵を探している。


 あの猛毒の怪人が、これまで目立たずに潜伏していられたのも、凶行に走ることができたのも、全ては協力者がいるからだと考えられていた。


 憲兵達は必ずや協力者を探し出し、徹底的に潰すべく動いている。しかし今のところ見つかったという話は聞かない。


「餌を仕掛けるしかないだろうな」


 アトラスが静かにつぶやいた。彼も何か嫌なものを感じ取っていた。これは理屈では言い表せない、長年の戦士だけが持つ嗅覚かもしれない。


「王子を狙ったのだ。奴らの狙いは、恐らく反乱ではないか。それなりに偉い連中のな。半年、一年……さらに昔から準備していた可能性がある。余程美味しい餌をちらつかせない限り、動きすら見せないだろう」

「ありそー! あーやだやだ」


 ノアは苦いものを見るような顔で想像し、首を横に振った。これはグロウアスの権力争いではないか、というのがアトラスの予想である。


 しかし、最もなように見えて正解からは遠い。


 誰も気づくはずはなかった。神になるべく動いているなどと、普通は信じられないのだ。


「とにかく、僕とリリカも引き続き調べてみるよ。最近心なしか、学園のみんなも様子が変だよね。どこか怯えているっていうか」

「……魔力が、教えてくれてる。だからみんなも無意識で分かる……大きな力が迫ってる」


 リリカは今日、一度も笑っていない。迫りくる何かに向けて、気を引き締めているようだった。


 ◇


(魔力が教えてくれる……か)


 結局のところ、その日もアトラスはいつもどおり、寮に帰ってきていた。


 とにかく今は、ただ普通に過ごすしかない。そう思い、今や彼にとって楽園も同然の場に戻ってきた。


 だが、重々しいドアを開くと、向かい側の机に誰かが座っている。彼はそっとドアを締め、一度廊下に出た。


(………いる)


 まさかこんなにも早く戻るとは。一人だけになっていたはずの部屋に、途方もない暗雲が漂った気がした。


 あの背中は間違いなく、レグナス王子である。こうしていても仕方がないので、アトラスは嘆息しつつもう一度ドアを開け、今度は足を踏み入れた。


「王子、お帰りになられたのですか」

「……む? おお、アトラスか」


 くるりと椅子を回転させ、レグナスは今気づいた様子で立ち上がった。しかし、廊下の足音の時点でアトラスに気づいている。


「いや、正確には帰ったとは言い難いな。余にはやるべきことが山のように生まれてしまった。おかげで学生としてのひとときを過ごすこともできぬとは。難儀なものよ」

「それはお辛いことで」


 ここで彼は普段のように自分の領域に向かおうとしたのだが、レグナスは話を止める気はないようだった。


「少しここで、羽を休めようかと思っていたのだがな。そうであった、アトラスよ。お前に余は、一つ伝えねばらぬことがある」

「なんでしょうか」


 アトラスにとっては、嫌な予感しかない。しかしこの時、レグナスは普段の彼らしからぬ、少々不器用な仕草を見せた。


「アトラス・フォン・ロージアンよ。此度の活躍、誠に素晴らしきものであった。そして何より、余はお前に命を救われたのだ。厚く礼を言わせてもらう」

「当然のことをしたまでです」

「いいや、余は未来のグロウアス国王となる身。その身を救ったことは、国を救ったと同義だ。今はまだ、このような礼しかできんが——」


 すると、王子は机の中から何かを取り出し、アトラスに手渡した。小箱のようだが、鮮やかな金粉が付いており、中が透けて見える作りになっている。


「これは……」

「うむ。これは余が認めた者にのみ授ける、白獅子の紋章である。この紋章一つあれば、どのような貴族どもでさえ、お前に侮る態度を取ることはできぬ」


 紋章とは、グロウアスの王族が認めた者だけに授ける証明のような物である。


 厚い信頼と実力を高く認める僅かな者にしか、紋章を授けることはないとされる。貴族達にとって、王族から紋章を授けられるのは相応のステータスであった。


 ただ、そういったものを欲しがらない者もいる。この紋章はジャケットに縫い付けるものだが、どうしても付けたくないと彼は思う。


「私ほどの男が、王子の紋章を受け取るなど」

「アトラス、受け取ってくれ。余に恥をかかせるつもりか」

「いえ、決してそのような」

「余は正直、お前の働きにあるべき戦士の姿を見た。グロウアスの先代国王にも通じるかもしれぬ、自己犠牲もいとわぬまぶしき姿をな」


 思いの外レグナスが熱く語り始めたので、アトラスは戸惑っていた。


「私如き、先代国王の足元にも及びません」

「本当にそうか? 余は先代など追い抜かすつもりだぞ。しかし、一人ではそれ以上には羽ばたけぬ。余には強き仲間が必要だ。ところで——」


 まだまだ王子の話が続くと思われた、その時だった。廊下から慌ただしい大勢の走る音が聞こえたと思いきや、ドアが突然開かれる。


「無礼だぞ!」

「王子! 探しましたぞ!」


 王子の一喝にも怯まず踏み込んできたのは、彼の護衛騎士達であった。


「今すぐお城にお戻りくださいませ。このような……窓がガラ空きではございませんか! 危のうございます!」

「ええい! 余はまだ用事があるのだ」

「いけませぬ! すぐにお戻りいただきます!」

「余に恥をかかせる気か!」

「今は我慢なさいませ! お前達、王子を運べ!」


 反対も虚しく、王子はそのまま大勢の騎士達に連れられていった。実は彼は、城を抜け出していたのである。


 喧騒のなか呆然と見送るアトラスは、一つだけ後悔していた。彼の手には、白く輝く紋章がある。


(どさくさに紛れて返しておけば良かった。また、厄介なものを手にしてしまったぞ)


 彼の苦労は増える一方であった。

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