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猛毒の怪人

 話はレオナとタイランの件に戻る。


 正体不明の貴族に対し、二人の劇団員は内心では訝しんでいたが、表立って口にはできない。


 タイランは彼女に向かって、このように熱く誘いをかけた。


「ルーサー劇団員にして、世界でも史上類を見ない歌声の持ち主と称されるレオナ。私は君を誰よりも高く評価している。君のような女性が現れることを、もしかしたら待っていることだけが、私の人生だったかもしれぬ。今日はどうしても君に、身勝手なお願いに上がったんだ。勿論、君にお願いしたいのは、歌を披露してもらうこと。このグロウアスで三日後に開かれるパーティーは知っているね。グロウアスの貴族達が一堂に揃うあの場で、私の推薦のもとで歌ってほしい」


 三日後に貴族達を集めたパーティーが開かれることは、レオナも知っている。しかし、このような急な誘いがあるものだろうかと、首を傾げそうになった。


 無論、今回の王子の遠征にしても急ではあったが、事情が事情だけに不思議はなかった。今回は明らかに急な誘いである。


 しかし、隣に座っていた同僚の男は、この提案に大喜びであった。


「素晴らしい! 要するにグロウアスの公爵家が多く集まりになる場に、我々が呼ばれるということですね! それは願ってもないことです」

「我々? 私が誘っているのはレオナだけだよ」


 この一言で、タイランは明らかに機嫌を悪くした。慌て始めた男の顔を、彼はようやくしっかりと見つめる。


「さっきの話は聞いていたよ。鎧がどうとか言っていたね。随分と強引な話だ。なぜ、彼女の同意もなしに先に話を決めるのかね? 君に何の権限が?」

「あ、それは……」

「レオナ。この男の話など無視して構わんよ。本日の式では、君が望む衣装で出迎えれば良いではないか。そんな話よりもだ、私の願いは聞いてくれるかな?」


 タイランは同僚との気持ちのすれ違いを利用した。レオナに自分が思いやりのある貴族であるという印象を持たせようとし、この誘いを確実にしようとする。


「あ、あの……」


 レオナは、この誘いにどう答えるべきか迷っているようだった。劇団にとっても自分にとっても、これ以上素晴らしい誘いはない。


 それなのに、心の奥に何か引っ掛かりを感じたのである。タイランは微笑を浮かべて立ち上がると、少しだけ席から離れる。二階から下に映る広場を見下ろしていた。


「私にはね、長年叶えたい夢があるんだ。それを叶えてくれるのは、恐らく君だと思っている。君の歌が、世界を明るく照らしてくれるはずなんだよ。いきなりですまないね。でも、こうでも伝えなければ——」


 まるで劇の登場人物のように語り続ける口が、不意に止まった。広場の中央にいる何か。黒いローブを纏う存在を目にした途端、上品な仮面は剥ぎ取られてしまう。


「あの馬鹿が……」


 小さく呟いた声は、先ほどまでとは全く違う、黒い冷酷さに溢れていた。


 ◇


 黒いフードの奥で、彼は呟き続けていた。


 多くの場合、彼にとってそれは呪いの言葉である。神を呪い、世界を呪い、国を呪い、人を呪い、自分を呪う。


 しかし今回は、呪いというよりも愚痴に近いもので、ある人物への不満が口から吹き出していた。


「何が三日後だよぉ。何が囮の魔物を使うだよぉ。やることがいちいち面倒くせぇんだよ」


 男は周囲の人々と比較し、明らかに浮いていた。そのような時、王子の帰還祝いに向けて舞台を作ろうとしていた男の一人が、彼に近づいた。


「おい! そこはレグナス様の式で準備があるからよ。ちょっとどいてくれ」

「……」

「おい、聞いてんのか?」

「……何が三日後だ。クソが」

「は? いいから、そこをどけよ!」


 ぶつぶつと何か呟いているが、彼に対してではない。苛立った若い男は、黒いローブごと突き飛ばそうとした。


「あああー!?」


 だが、黒いローブは風に舞うだけで、その場を動くことはなかった。代わりに鮮血が飛び、若い男が悲鳴と共に倒れる。


 助かる見込みがない大量の血が、祝いの場に流れ出した。周囲から悲鳴が飛び、すぐに異変に気づいた憲兵達が彼めがけて走り出す。


 しかし、彼の領域付近まできて、誰もが足を止めた。


「どうした?」

「早く捕えよ! いや、もう切って構わん」

「いや、待て。あいつ、毒があるぞ」

「毒だって? ……あ、ああ!?」


 黒いローブが宙に浮いていく。やがて風に吹かれるがまま、ローブはどこかに飛ばされていった。


 彼の姿が現れた時、広場に集まる人々に恐怖が伝染していった。


 男は上半身が裸であり、筋骨隆々としている。しかし、ほぼ全てが紫色に変色しており、明らかに異常であった。


 体は魔力に包まれており、グロウアスの民にはその力の大きさがはっきりと認識できたほどである。


 さらには、この男には得体の知れない毒がある。彼を包む全身からは、異質なガスのような何かが渦巻いている。


 紫色の怪人は、ぶつぶつとした呟きをようやく止めると、今度は大声を張り上げた。


「俺がいれば必要ねえって言ったんだろうが!」


 すると、いつの間にか彼の周囲に、幾つのもの矢が現れた。次の瞬間、紫に濁った矢がありとあらゆる方向へと飛び交い、広場は大混乱に陥る。


 その矢は、王子を狙ったものと全く同じ形と色をしていた。


 ここはグロウアスの中心である。当然王子がいない場でも騎士達は大勢いる。通常の曲者なら、数分とかからず拘束されているに違いなかった。


 しかし、相手が猛毒を持っていることから、迂闊に近づくことができない。さらには尋常ではなく高い魔力を有している。


 彼らは毒を対処する人材を早急に呼びつけるとともに、一般市民達を逃し、少しずつ包囲することにした。


 男はその後も、ただ見境なく召喚した矢を放ち、毒魔法を放ちつづけた。被害を最小限に留めようとしても、どうしても限界がある。


 騎士達もようやく数が整い、遠間から嵐のような魔法と矢が男に放たれたが、効いている様子は見受けられない。


 そんな煮えきれない状況の中、白い閃光が、無傷だったはずの男の肌を切り裂いた。


「……ほらぁ。ちゃんと来たじゃん」


 男は卑しい顔で笑う。その視線の向こうにいたのは、白い甲冑に身を包んだ存在だ。レイピアを手にしている。


 兜で完全に顔を覆っており、傍目からその正体は分からない。だがもし顔が顕になったなら、知らない者はいないほど有名である。


(この毒は、私にしか防げない。早くなんとかしないと……)


 白い兜の奥で、レオナは焦りを覚える。先ほどのレイピアは渾身の一撃だった。しかし、あまり効果があったとは感じられない。


「待ってたよぉ。レオナちゃん、俺と一緒にいいとこ行かね?」

(私を知ってる?)


 紫の怪人は、猛烈な魔法と矢を浴びながらも笑いが止まらない。強大な魔力が生み出す防壁の魔法が、多くの攻撃を無意味なものとしていた。


「でも、その格好は違うと、俺は思うなぁ」


 怪人は両手を前に突き出すようにした。すると、周囲からいくつもの矢が召喚され、腕の周りで旋回している。


 ふっと息を吐くような仕草を見せた後、矢は猛烈な速度で一気に飛びかかった。


「!」


 レオナは瞬時に反応し、身を翻して矢をかわした。だが次の瞬間、またしても悲鳴が飛びかう。


 後ろにいた人々に矢が当たりかけていた。


「危ないねえ。今危なかったよ。避けちゃいけないよねえ」


 男は今の状況を楽しんでいるようだった。レオナは焦りを浮かべつつも、一つの考えが頭に浮かぶ。


(あれだけの魔法を使ったなら、次の魔法を放つまで時間があるはず)


 しかし、彼女の推測はあっさりと外れる。レオナは目を疑った。


 もうすでに無数の矢が、彼女を狙うべく浮かび上がっていたのだ。怪人の笑みと共に、それはもう一度放たれた。


 もはやレイピアで矢を迎撃しながら、一気に勝負をつけるしかない。そう思った彼女ではあったが、矢は尋常ではなく素早く、魔力の圧すらあった。


 結局半分程度しか切り落とすことができない。残り五本の矢が、しゃがみ込んだ姿勢の彼女に迫る。


 命中してしまえば鎧を纏っていても、無事に済むかは分からない。死の予感が走る。


 だがこの時、誰もが予想だにしないことが起きた。


 次に現れたのは、血で生まれたような赤い閃光であった。かつてない冴えを見せるそれは、たった五本の矢など一瞬で切り弾いてしまう。


 怪人は何が起きたのか分からなかった。レオナは前に立ったそれを見上げ、思考すら止まってしまう。


 その男は黒い鎧に身を包み、赤いサーベルを手にしていた。


 この世に存在するべきではなかった、本当の悪魔が現れた瞬間である。

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