弾かれた矢
それはまるで、ネズミの大群が押し寄せるが如き動きであった。
空にも陸にも大勢の魔物達がおり、こちらに攻め込んでくる。
空からは巨大化したカラスや、翼を生やした猿が。陸には異常に伸び上がった昆虫や、より強さと大きさを増したハイエナやサイ、象といった魔物が迫ってくる。
普通の人間には到底歯が立たない怪物ばかりだ。
しかし、そこは歴戦のグロウアスの騎士達である。前に出た大盾を持った部隊が押し止め、すぐさま剣や槍が敵を貫いてゆく。
遠間から迫ろうという魔物達には、容赦なく矢や魔法が飛んでいった。その精度は素晴らしく、ほとんどが魔物に致命傷を与えている。
(楽な戦いだ)
その戦いの最中、アトラスは特に張り切るようなことはしなかった。あくまで実戦に初めて参加した、慣れない学生を演じることにしたのである。
手にした大剣を扱うにも苦労した素振りを見せ、なんとか猿の魔物を二匹ほど倒していた。
(それにしても、これは目立つ)
一つだけ彼には不満がある。それは此度の討伐のために、父シェイドがわざわざ用意してくれた大剣だった。
ロージアンの倉庫から持ち出されたその剣は、その名もロージアンの宝剣と名付けられたもので、剣身が白く輝いている。
大陸でもほとんど採取することが困難である、白のクリスタルという素材を使っており、初代ロージアン家当主が愛用していたとされる。
切れ味も耐久性も素晴らしい。しかしこの大剣は、側から見ればかなり目立つ。父は千載一遇のチャンスとばかりに、息子が戦場で王子の目にとまるようこの剣を用意したのだ。
その配慮が、アトラスにとっては嫌だった。平凡な男を演じたい彼は、できれば周囲に紛れて目立たないことが理想である。しかし、この剣があってはそれは叶わない。
だからこそ、無理をしてでも下手な剣士を演じる必要があった。
彼がそんな苦労をしているとは知らない王子は、戦いの勝利を確信し不適な笑みを浮かべている。
「このまま攻め続けよ。一気に落とす!」
レグナス自身もまた、剣を抜いて魔物を警戒している。彼の周囲は特に騎士達が囲んでおり、指一本触れさせまいとしていた。
(このような大袈裟な護衛など、余には必要ないのだが)
しかし、こうした護衛に囲まれることを、本来レグナス自身は快く思っていない。自らの剣を魔物相手に試したい、という気持ちを抑えることに必死であった。
(アトラスの奴、随分と手間取っているようだな)
今のところ、人間側で命を落とした者はいない。圧倒的優勢にあった王子は、ふと自らが連れてきたルームメイトの活躍を目で追った。
だが、他の騎士達とは違い彼は苦戦しているようである。
(馬での戦いに慣れていないのか。または、あの剣が合っておらぬのか、どちらかではないか)
もしこれまでの経緯がなければ、王子は彼を歯牙にもかけなかったに違いない。しかし、アトラスのこれまでを見てきた彼は、今の姿が本質とは思えなかった。
そんなことを考えているうちに、魔物との戦いは早くも決着がつこうとしていた。空を埋めるようなカラスの大群や、翼を生やした猿達はみな地に落ちている。
草原を蹂躙していた魔物達は、ほとんどが肉塊に変わっている。残された魔物は明らかに少数となっており、勝利は間違いないものと思われた。
しかし、アトラスの疑念は時が経つほどに膨らんでいく。
(やはりおかしい。千の魔物というが、せいぜい六百程度しかいない。報告とやらは本当に正しかったのか。何か——)
この時、彼はあるものに気づいた。すぐさま馬を叩き、魔物達とは真逆の方向……つまり王子達がいる場所へと走らせる。
最前線にいた騎士達は、勝利も目前だというのに、いよいよ戦いが怖くなって逃げ出したのかとアトラスを疑った。
しかし周囲の視線など、今の彼からすればどうでも良かった。猛烈な勢いで馬を走らせ続ける。
(この魔力……あれか)
わずかだが感じられる魔力。それは小さいが異様なほど鋭い。彼以外にはこの速さで感知はできない。
それは一直線に向かってくる。軌道はおおよそ掴めており、狙いははっきりと分かっていた。
アトラスは馬を走らせ、騎士達の間をすり抜けながら、ただ突き進む。
「む? アトラス、どうし——」
余裕を持っていた王子の瞳に、こちらへと猛然と駆けてくるアトラスが映る。さらには大剣を構えていた。
「貴様、一体どういうつもりだ!」
この時、周囲にいた将軍や軍師は、まさか謀反を起こすつもりかと身構える。それでもアトラスは強引に割り込み、王子の側へと詰め寄った。
レグナスは突然の行為に戸惑い、動きが止まる。ロージアンの宝剣が白く輝いた。
次の瞬間、耳が壊れるのではと思うほどの、不快な金属音が響き渡った。
誰もがその光景に目を奪われる。黒く鋭利や矢が、白い大剣にぶつかり宙を舞う。回転しながら地面に突き刺さったそれは、不吉な黒い煙を放っている。
「なんだ!? 矢が飛んできたぞ」
「ああ、見ろ! 毒だ。毒が塗ってあるぞ」
「どこから飛んできた?」
「魔力があるぞ! 恐らく本来の弓矢に、魔法をかけて距離を大きく伸ばしたんだ」
「王子を暗殺しようとしたか!」
「犯人を探せ!」
周囲は割れんばかりの騒ぎとなった。しかし、狙われた王子本人は、まるで時が止まったかのように呆然としていた。
魔力により大幅に飛距離を伸ばし、かつ超速で放たれた矢。それは王子本人を狙うものであり、戦いに乗じた暗殺行為であった。
そして恐るべき一撃を、未然に察知して防ぐことは、アトラスにしかできなかった。
「暗殺者を探して参ります。見つけ次第報告します。……というわけで、先に王都に戻ります」
「あ! ま、待て」
呼び止める王子の小さな声は、彼の耳には届いていなかった。アトラスは馬を操り、そのまま矢が放たれた方角へと向かう。矢は明らかに王都の方角から放たれていた。
(やはり目立ちすぎる。この剣は)
致し方なかったとはいえ、またも注目を浴びることになってしまった。
どこか呑気な後悔をしつつ、彼は王都へと一人向かうのだった。




