千の魔物を倒す
「次の王の日だが、予定はあるか?」
次代の王が、怠そうにソファに寝そべったまま話しかけてくる。
「人と会う予定があります」
「ほう。ちなみにそれは誰だ?」
「王子もご覧になったでしょう。あの闘技場で」
(あの女か。女と遊びたいとは、やけに普通ではないか)
先日の闘技場でのこと以来、レグナスは今まで以上にルームメイトの正体を探りたがっていた。
「ふむ、結構なことだ。しかしアトラスよ……グロウアスの危機に、そのような浮ついた気持ちでどうする?」
「グロウアスの危機とは?」
まさか聖女の予言のことを知っていたのか。そう予想したアトラスだが、どうも違うらしい。
「グロウアス領内の遥か東に、多くの魔物達が集まっているという報告を受けている。いくらでも森や山があり、隠れるにはもってこいの場所だが、その数が途方もない」
「一体何匹ほどです?」
「千はくだらぬというぞ」
この時、アトラスは素直に納得できなかった。それほどの魔物が急激に一つの箇所に集まるなど、普通はありえない。
魔物というものは人間のように、集団行動を好まない者も多い。もし千匹も集まったとしたら、その場で殺し合いが始まるだけだ。
(魔物をまとめ上げることが……洗脳する力を持つ者がいるなら別だが)
遠い昔、前世の頃に彼はそうした力の持ち主を見た。そして殺した。
あの男……魔王でなければ、千の魔物をまとめ上げるなど不可能だ。アトラスはかつての嫌な記憶を思い出し、不快さに顔を俯かせた。
「このままでは近場に住む国民に害が及ぶ。一刻も早く動かねばならぬ。だからこそ、王の日に我らは戦いに出向くことに決めたのだ」
「準備が間に合わないのでは?」
「間に合わせる。そして此度の戦いは、余が指揮を取る」
どこまでも勇ましい王子だ、と素直に彼は感心した。
「ご武運をお祈りしています」
「祈る必要はない。お前には剣があるだろう」
ここでアトラスは首を傾げる。意味の分からない返しであった。
「せっかくの機会ぞ。同室のお前にも名誉を立てるチャンスをやろうというのだ。余の見立てでは、お前は相当に腕が立つ」
「買い被りでしょう。何しろ俺は、ただの魔法学科の生徒です」
(まったく! 何が魔法学科だ)
王子は思わず突っ込みたくなる気持ちを必死で抑える。
「少し話が横道に逸れるが、お前の父上は、本当によくできた男だな」
なぜここで父の話を? とアトラスは頭を悩ませた。
「偶然にも今日、城で話す機会があってな。今回の話をした途端、うちの勇敢な息子が断るはずがありません、と胸を張って答えていた。実に清々しい姿であった」
彼は王子の前だというのに、頭を抱えたくなった。まさか父に会っていたとは。
父シェイドならそう答えるだろう。息子に出世の大チャンスが来たと考えたかもしれない。本人にとっては大ピンチだとは夢にも思わない。
(まずいぞ。これでは家の名誉に関わる。断ることはできん。でも断らないと、後でノアに何を言われるか分からん)
「お前を見込んでのことだ。この仕事は他の生徒どもには危険過ぎる。よくよく考えるのだな」
王子は心の中で拳を握り締め、天に突き上げたい気持ちに駆られた。
(乗ったな、アトラス。今度こそは暴いてくれるぞ。お前の正体をな。そして余もまた、王としての一歩を踏み出してみせよう)
◇
「えー!? なんで! ちょっと待ってよ、俺との約束が先じゃん」
次の日、アトラスは学園の裏庭でノアに事情を説明したところ、案の定嫌な顔をされてしまう。
しかし、ここでずっと反対するほど彼女は子供でもなかった。
「……でも、近くの村とか危ないんでしょ? ……だったらしょうがないか」
「そうだ。しょうがないんだ」
「むう。やっぱしょうがなくない!」
しれっと話を終わらせようとした途端、急に肩を叩かれる。
「暴力はやめろ」
「納得できない! 俺も行く」
「お前は聖女を守ってくれ」
「でも!」
「王子はお前を連れてはいかない。それに、俺がいない間の学園内では、マーセラスしか聖女を守れないんだ。お前に頼みたい」
「……わかった」
すると、今度はなぜか寂しそうな顔になった。ノアが見せる初めての表情に、アトラスはいつになく罪悪感を覚える。
なぜか王の日に、ノアは街で自分と一緒にいたいという。そのくらいのことを叶えられなくてどうするのか。彼は小さく嘆息すると、彼女の頭を撫でた。
「ちょ、ちょっと! 何?」
「分かった」
「な、何がー?」
「王の日、遊びに行こう」
「へ? 何言ってんの? 魔物の討伐に行くんでしょ?」
アトラスは優しく笑う。ノアの顔がみるみる髪の色に近づく。
「倒した後に行こう」
「え、え!? 無理だよ。ってか、きっと一日じゃ終わんないよ」
「終わるさ。王子がそう意気込んでいる。レグナス王子は、戦略の上でも一流だぞ」
(王子ができなくても、俺が終わらせる)
彼は心の中で一言添えた。
「そもそも、行かなくていい」
二人が話をしている時、背後から熱を感じない声がした。振り向いた先にいたのは、聖女リリカだ。
「あなたは私を守る。王子だって教会は無視できない」
「無視できないだろうが、放っておける話じゃない。今回はマーセラスと、ここにいるノアが守ってくれる」
「……」
リリカはじっとノアを見つめた。人形のような瞳に見られ続けて、思わず赤毛の少女はたじろいだ。
「なんだよ」
「あなたでは、厳しい」
「はあ? 警護なんて楽勝だし!」
「私の守護者は、ここ」
そう言い、リリカは意外にも強引にアトラスの腕を引っ張って歩き出した。
(なんだ。この状況は?)
彼が困惑するなか、リリカは何も言わずに早足で去ろうとする。
「ちょ、待ってよ!」
納得がいかないとばかりにノアが追いかけてきて、アトラスは意味が分からない板挟みにあうのだった。
結局のところ、彼はやはり東の森に向かうことに決めた。領地の民を守るだけではない。ノアとの約束も守るし、聖女だって守る。
しかし最後は、王子だけの手柄にするつもりであった。
この時はアトラスを含め、誰も事件が起こることなど知る由もない。そして王の日はすぐにやってくる。




