約束
「ごめんね。道が分からなくなっちゃって。迷惑だったよね?」
レオナは気まずそうに、何度も道中でアトラスに謝っていた。
「気にするな。俺もまだまだ迷う。話は変わるが、今日の演劇は素晴らしかった」
「あ、やっぱりあなただったの。もしかして……って思ってたんだけど」
劇場出口の挨拶のことを、レオナはふと思い出す。何千という人と挨拶を交わした中で、なぜかふとアトラスが気になっていた。
「歌は昔からやっているのか」
「うん。ずっと昔から」
この時、なぜか彼女が話したくないものに触れた気がして、アトラスは続けて質問をするのをやめた。
レオナは芸術科の生徒であり、恐らく幼少から歌や演技を練習しているはず。だから、必ずしも楽しい思い出ばかりではないはず、と彼は推測した。
そして花が咲き誇る道の真ん中で足を止め、夜空を見つめていた。
「ここでも、ちゃんと星は見えるんだね。都会だっていうから、もう無理かもしれないって思ってたの」
「星が好きか?」
「うん。あなたは?」
「俺もだ。窮屈な時に見るのが良い」
「あ、分かるかも!」
「夏になるともっと良いものが見れるぞ」
「そうなんだ。夏までいられるといいな」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
ふと気になる一言が出たところで、彼女は苦笑いしつつ手を振る。
「ここで大丈夫。ありがとう」
「ああ、じゃあな」
そう言って二人は別れた。アトラスはそのまま帰って行ったが、レオナは一度立ち止まり、静かに振り返る。
(あの人……)
何か不思議な感覚がする、そう彼女は気になっていた。
アトラスもまた、レオナが変わっていると思う。入学式の時も、劇の最中も、そして今会った時も。彼女はずっと、心ここにあらずという風に映るのだ。
(何かをずっと気にかけているようだな。まあ、俺が考えたところでしょうがないが)
二人はまた、それぞれの日常に帰っていく。交わることは、もうないものかと思われた。
◇
次の日、学園はいつもどおりに授業が行われ、アトラスは眠気と戦い続けていた。
魔法学の授業はいよいよ本格的になったが、特に理解が難しいものではない。前々世では苦手だった勉学も、そう難しいものではないように思われた。
一日の中で気が晴れるのは体育の授業くらいだが、それも力を抑えながらである。爽快な気分とまではいかない。
それでも順調に一日は終わる。そろそろ寮に戻ろうかと考えていた頃だった。
「この後、時間ある?」
後ろから鈴音のような声がかかる。聖女リリカだ。
「時間ならあるが、どうした?」
「少しだけ、付き合ってほしい。マーセラスも」
「うん! いいよ」
マーセラスもまたこの時は暇であった。リリカが向かった先は、学園内にある教会で、いつもどおりに穏やかな時間が流れているように見える。
「今日は二人に、星を見せたい」
「星って、どういうこと?」
剣聖になるはずの男には、彼女の言葉が飲み込めなかった。アトラスもまた同じだったが、湧き上がってくる何かを感じている。
教会には今、シスターを除いては三人しかいない。リリカは祭壇の手前まで歩みを進めると、跪いて祈りを捧げた。
すると、いつの間にか教会の中が薄暗くなっていき、やがて本当に真っ暗になった。
「うわ? こ、これって」
マーセラスが驚いていると、天井付近にいくつもの星が煌めき始める。それらは星座とは違う並びとなっていて、星によって明らかに大きさや色が異なっていた。
「あの一際大きな星は、なんだ?」
アトラスは星々の輝きに魅せられている一方で、どうしても無視できぬ異物を見つける。
それは赤くおどろおどろしい星であり、何か蠢いているような動きであった。やがて星の輝きが全て消え、教会内が明るさを取り戻していた。リリカが祈りをやめたのだ。
「魔の星。あれは私達の敵。そして、今急速に大きくなってる。運命が、歪に変えられている」
「運命が? え、それってどういうこと?」
振り返ったリリカの表情に曇りが見える。想定していなかった何かに、明らかに脅威を感じていた。
「もうすぐ魔物が来る。それしか今は分からない」
「その魔物とやらは、厄介なのか?」
「あの大きさからすると、滅びの道もある」
「ほ、滅びの道だって!?」
冷静に話を聞くアトラスとは対照的に、マーセラスは驚きで声を上げてしまう。
「グロウアスの大神父たちにも連絡する。もしものことがあったら、二人にも手伝ってほしい」
「よく分からないよ。でも……」
「俺たちはこれがあるからな」
アトラスは腰に下げた白いナイフを、ちらと見せた。
「わ、分かった!」
「やるしかないな」
「二人とも、ありがとう」
この世が魔物や有害な何かに襲われた時、聖女は人々を守るために動かなくてはならない。
そして白き聖なるナイフを持つ者は、必ず聖女を守護しなくてはならない。
アトラスはその約束を破るつもりはなかった。だが、ふと邪な考えが頭を過った。
「しかし学園での守りが薄いのは、よろしくないな。もう少し人手が必要だ」
「え……」
聖女が珍しく首を傾げる仕草を見せる。
「またな」
「え、ちょっと待ってくれ! アトラス」
マーセラスに呼び止められても、彼は手を振って応えるのみだった。
◇
「え? 俺に聖女を守ってほしい??」
戦闘学科の教室にいたノアを、とりあえず裏庭まで引っ張ってきて、アトラスは事の次第を説明した。
あまりに荒唐無稽な話であり、実際には何も事件が起こっていないので、こういった事を話せる者は限られる。
聖女の予言については、盲目的に信じてくれる者と、恐らくはありそうだが信じられない、という二つに分かれることがほとんどであった。ちなみに、全く信じないと言うのはごく少数派である。
学園も教会派と非教会派がおり、現実的な問題が生じるまでは教師たちも動かないだろう。しかし、アトラスは何かが起こってからでは遅いと考えている。
ノアは素直に話を聞いてはくれたものの、やはり半信半疑であった。
「聖女の予言は、いつだって当たっている。しかも今回は、あまりに急だ」
「でもー、流石にそれはないんじゃない?」
「俺もそう信じたい。リリカの予言は確実ではないが、可能性が高い。だからお前に頼みたい」
明らかに自分を必要としてくれている。そんな意図が明確に伝わってきた時、ノアは少しだけ様子がおかしくなった。
「ん……んー。そっかー、そこまで言うなら、いいかも」
「そうか。助かる。では——」
「あ、でも!」
話が決まった、と思った時だった。ノアは慌ててアトラスを引き留めた。
「じゃあさ、一つだけ条件があるんだけど」
「なんだ?」
「王の日に、俺と外に遊びに行こうよ。それが条件」
王の日、と言うのは毎週やってくる休みの曜日である。最近になって名前が変わった曜日名であり、アトラスが前々世で過ごした日本でいえば、日曜日にあたるもの。
なんだそんなことか、とアトラスはほっとした。
「いいだろう」
「ほんと? やった! じゃあ楽しみにしてるね。絶対だからね!」
軽やかな足で、ノアは走り去っていった。アトラスはそんな彼女の意図がよく分からなかったが、とにかく同意を得られたことに安堵していた。
(今回の事をきっかけにして、このナイフをノアに譲ることができるかもしれん)
などという企みをしているとは、誰にも話さなかった。
しかし、悪いことは考えないほうが良いもの。その日の夜までは、彼は呑気な気分でいられた。




