動き出す闇
「素晴らしい。実に素晴らしい物語だったよ。君の演技は国宝ものだ」
その男は、貴族がよくするロール付きのカツラを被り、これでもかと身体中に宝石や金品を纏っていた。
すぐに演劇団の人々に歩み寄り、挨拶を交わしている。特にレオナにはしつこいほどに賛辞を述べている。劇団の面々はいずれも苦笑していた。
しかし、ルーサー演劇団への反応とは違い、ロージアン家のことは完全に無視している。
(まさに成金という風体だが、この世界にもいるのか)
「ふん。何処の馬の骨か知らんが、無礼な男だわい。もう行こう」
シェイドは挨拶をしようとしたが、あからさまに無視をされたので憤慨していた。貴族の振る舞いとしてありえないとばかりに、機嫌が悪くなっている。
「あはは、きっと劇のみんなに夢中になりすぎて、父上に気づかなかったんですよ」
それとなく、イルが父上を宥めた。一家はその後夜食をともにし、僅かの間だが以前よりも多くを語り合った。
長男が寮に帰るべき時間になっても、両親はなかなか解散しようとせず、イルが「そろそろ兄上は門限が」と伝えたことでようやく帰ることになった。
「最初は辛いかもしれんが、頑張れ。何度も言うが王子と同室になれたことは、最大の幸運だぞ」
「休みの日はいつでも帰ってらっしゃい」
父はグロウアスの第一王子と同室になったことは、これ以上ない好機だと食事中も今も力説している。
母は息子の身を案じているようで、体調や学園のみんなと上手くやれているか、そういったことが気になるようだった。
「ありがとうございます。では、今日はここで失礼します」
一家の暖かい気持ちを受け取り、なんだか落ち着かない気持ちで長男は学園に帰って行った。
◇
グロウアスの劇場からしばらく歩いた路地裏に、一軒の酒場があった。
薄暗くいかにも怪しげなその店に、入ろうとする者はほとんどいない。そのような場所に、金品をいくらも身につけた鴨のような貴族が入店するなど、本当に珍しいことであった。
「いらっしゃ、ああ! タイラン様。お世話になってます」
「地下には誰もいないな?」
「へ、へい。あの、今日も何かお話をされるので?」
「そうだ。あいつ以外は誰も通すなよ。今日はもう店じまいにしろ」
そう言い、彼は金貨を数枚カウンターに放り投げた。店主は慌てて金貨を拾い上げると、あいそ笑いを浮かべながら後頭部を掻いている。
「ありがとうございやす。そうしますわ」
タイランと呼ばれた男は、先ほどアトラス達が見た貴族風の男である。面倒くさそうに階段を降りながらカツラを外すと、乱暴に置いてあったテーブルに投げつけた。
そしてソファに寝そべり、ある者がやってくるのを待っている。数分とかからず、その男は現れた。
髭を蓄えたその男は、蝋燭の火すらつけていない地下室にやってきて、困惑しつつ周囲を見渡している。
「タイラン様? いらっしゃいますかな」
「ここだ」
髭の男は戸惑いながら、薄明かりに潜む影を見た。
「劇とやらを鑑賞していたよ。悪くはなかったな」
「左様でございますか。それはよろしゅうございました」
「良い知らせがあるのだろうな」
「は、はい!」
タイランの冷たい声に、男は背筋が凍る思いをした。これまでマーセラスの暗殺に動き、失敗していた彼は、なんとしても今回の報告で株を上げる必要がある。
「マーセラスはどうやら本当に、剣聖としての力を失っているようです。いえ、その息吹がないと申しますか。このままでいけば、本当に平凡で取るに足らない男になることでしょう」
「その平凡で取るに足らぬ男を、お前たちはどうにもできずにいたがな」
「も、申し訳ございません」
男は喉が渇き、喘ぐように話を続ける他なかった。
「とにかく、タイラン様。あなた様の邪魔ができる者は、もうこの地にも——否、世界中にすら存在しないと言って過言ではありませんぞ」
「お前の発言には重みが全くないな。……まあ良い、この私がわざわざグロウアスまで出向いた価値はあった。このような大きいだけの田舎にな。マーセラスの件はもう良い。しかし、奴がおかしな真似を始めるようなら、私に報告せよ」
「はい」
タイランは怠そうな仕草で、テーブルの上に置かれていた蝋燭台を指差した。するといつの間にかぼんやりと、蝋燭に火が灯される。
浮かび上がった刃の如き瞳を見て、髭の男は小さく震えた。
「生贄は見つかった」
「左様ですか。それは……一体どなたで」
「まだ秘密だ。しかし、すぐに分かる」
「……!?」
髭の男が思わず後ずさった。タイランが座るソファを囲むように、部屋の端々に黒いローブ姿の何かが立っていたのだ。四つの影が、怪しく揺らめいている。
「お前達、いよいよ仕事だぞ。私の期待に応えることができるか」
「勿論でございます」
影の一つが、しわがれた声で返事をする。
「では行くがよい」
髭の男が怯える横で、ローブ姿の影達は一つずつ消えていった。
「タイラン様。本当に始められるのですか。その、神になる儀式とやらを」
「ああ、次は失敗せぬ。どうやら、邪魔をできる者もいないようだしな」
男は上機嫌に酒を飲み、やがて立ち上がる。去り際に男の肩に手を置いた。
「よく学園に潜り込めたものだな。しかし油断はするなよ。何が起こるか分からぬのが、世の常であるぞ」
「は、はい」
本来、この髭面の男は魔族として、全く違う役割で世界を窮地に追い込む運命であった。
だが、奇妙な野心を持つ男が現れたことで、運命が強引に捻じ曲げられてしまう。
本来あったはずのシナリオには、もう戻れない。
◇
アトラスは学園の門を通り過ぎ、ようやく寮近くまで辿り着いていた。
今更ながらに学園は広く複雑で、この時期でも迷子になる生徒がいるほどである。
(劇場からここまで歩くだけで、山でも超えた気分だ)
常人離れした体力のおかげで疲れることはないが、ただ歩いていると本当に時間がかかる。
もう夜更けになっていたので、王子とて流石に部屋に帰っているはず。いろいろと詮索されるのではないか? という面倒な予感がする。
しかし、そう思っていると意外と無関心だったりするのが、彼にとってレグナスの不思議なところである。
そんなことを考え、寮に入ろうかという時だった。
(ん? あれは……)
寮から少し離れた道沿いで、周りを見渡しながらウロウロとしている人影を見つけた。
気になって近づいてみると、街頭の灯りに照らされた金髪が目にとまった。間違いなく見覚えがある。
「女子寮なら、こっちではないぞ」
「……え?」
「向こうだ。道を間違えている」
「あ、あっち?」
(迷子か。もう遅い時間になってしまったのは同じだし、案内するか)
彼女は劇場で主演を務めていたレオナであった。
困っている様子だったので、アトラスは彼女を女子寮まで案内することにした。




