全ては王子の活躍
これは面倒の極みだ、とアトラスは嘆息した。
先ほどまで黒一色であったゴーレムは、白かと思えば黄色に、黄色かと思えば青に……ありとあらゆる色に変貌を続けている。
結局のところ、ずっと変化が終わらない。
「こ……これは!?」
審判役を引き受けている教師は、その異様な変化に驚愕していた。四年にわたり生徒達の戦闘練習を任されていたが、このような出来事は初めてである。
アトラスが静かに剣を向けると、異常な姿となったゴーレムは目をギラつかせ、両腕を肩の高さまで水平に上げる。このような仕草をしたことも、かつてなかったことだ。
そして場は動いた。全ては一瞬の出来事。練磨兵とアトラスは瞬きすら許さない速度で激突した。コロシアムの中央で、あまりにも強烈な風が舞っている。
練習台として絶対に殺しをしないはずの両腕に、鋭利な爪が備わっていた。この変化はいつの間にか生じており、レグナスやマーセラス、ノア達観衆をあっと驚かせる。
「なんと……あれは……」
王子にとっては信じ難い変化である。練磨兵ゴーレムは体の色を変化させるだけで、形まで変えたことは今までなかった。鋭利な爪は、まるで熊でも一撃で殺せそうな迫力に満ちている。
その爪の一撃を、アトラスは剣で止めていた。ここで彼がコロシアム中央まで前に出たのは理由がある。
(やはり力が安定していないな)
急激に力を押し上げようとしたことで、練磨兵ゴーレムは極めて不安定な状態になっていた。
力が誤った方向に暴発し、観客を巻き込む可能性を考慮した彼は、周囲に影響が出ないよう……ゴーレムを力づくで中央まで押し返していた。
実のところ、一方的な力の差を見せていたのはアトラスであったが、周囲には分からないように演出している。お互いがコロシアム中央でぶつかり合ったかのように、そう錯覚するように動いていた。
(これで最新式か……)
巨大な右手の爪を剣で押さえながら、彼はなんとも残念な気持ちになる。まるで自身には及んでいないことに、戦いが始まって数秒で気づいていた。
しかし、機械は相手の心情など測ることはない。巨大な体をしならせ、猛烈な勢いで左の腕を振るってくる。
その爪をギリギリでかわしたかのように、アトラスは後方へと飛んだ。回転して着地すると、なぜかここで剣をだらりと地面に垂らした。
「……やるのだな……」
レグナスはこの時、自分でも気づかないうちに両手の拳を握りしめていた。
いよいよアトラスが本来の力を見せる。これまでどうしても知ることができなかった、あの恐怖の正体がついに判明する。そう確信していた。
他の生徒達も戦いにのめり込んでいる。この異様な怪物となったゴーレムに、一体どう戦うというのか。マーセラスは緊張で頭が痛くなりそうだった。
「だ、だめだ! このゴーレムは制御機能が壊れている!」
そんな中、審判役の教師だけは焦りで震えていた。通常の練磨兵が持つ、生徒に決して致命傷は与えないという制御機能。それが外れている。重要なパーツのいくつかが取れてしまっていた。
教師が外に助けを呼ぼうかと必死に考えている時、ふと意外なことが起こった。
殺意に溢れたゴーレムを前にして、アトラスは背を向けたのだ。
そして一歩、また一歩と王子に近づいていく。剣を持っていた右腕を抑えながら。
「いけませんな。王子」
「な、何をしておるか! ゴーレムが目の前に——」
「早く構えるんだ! ゴーレムが——」マーセラスが叫び、敵を指差した。
しかし敵は襲ってこない。それどころか、少しずつ……あらゆる色に変化し続ける体が崩れて始めていた。
「……」
王子はこの瞬間、何が起こったのか理解できず、ただ突っ立っていた。
他の生徒達も、口を開けたまま舞台を見守っている。
やがてゴーレムの全身に切り傷が走り、完全に崩壊して床に散らばってしまった。
「……すでに貴方が倒していたではないですか。崩壊直前の相手と戦えなどと、怖い悪戯をお考えになる。しかし危なかった。俺ではきっと、奴が万全なら殺されていたに違いない」
その時、王子についていた二人の生徒が口々に叫んだ。
「あ、あああ! あの切られた跡は全部、レグナス様が傷をつけたところじゃないか!」
「本当だ……つ、つまりレグナス様が先ほどの華麗な剣で……要するに、時間差で倒されてしまったということか」
観衆達が騒ぎ、王子はようやく気づいて周囲を見渡した。
(余が倒しただと? バカな)
しかし本人は一番よく知っている。そのようなことはないと。
だが、確かに剣の跡は全て、王子が切りつけた箇所と寸分も違っていなかった。それに、アトラスが剣を振るっていたところを、彼は見ていない。
「そ——そのとおりだ」
ここで話に便乗した来たのは、審判役の教師である。練磨兵の変化が異常であることは気づいていた。
だがここで、王子の活躍ということにすれば、自らの管理責任に非があったかもしれない事実を誤魔化せるのだ。
「恐らく先ほどの変化は、レグナス君の剣により、倒される際の風前の灯のようなものだろう。いやー、本当に。期待の一年生だよ!」
「さすがはレグナス様!」
「王子ー!」
突如として湧き上がる歓声を、王子は受け止めることができない。自らの剣に、みんなが思うような力はないのだ。
(馬鹿な……あれは違う。アトラスだ! アトラスが何かをしたのだ。しかし……奴が剣を振るっていたか? なぜ……なぜだ?)
「おや、そろそろ昼休みが終わるな。では、失礼」
次代の王を褒め称える声が響くなか、彼はあっさりとその場を離れていった。引き止めようとしたレグナスだったが、興奮した生徒達に囲まれ、思うように動けない。
アトラスは一人、気楽に闘技場の通路を歩いていく。
(とにかく、これで目立ち過ぎることは回避できた。全ては王子の活躍だ)
上手くいった。大した活躍をしたように見えないし、腕をおさえて怪我をしているフリまでした。あれなら誰も気づかないはず。
だが、誰かが背後から駆けてきて彼の肩を叩いた。ノアである。
「スッゲーじゃん! ねえ、いいの?」
「ん? 何がだ?」
「だってあのゴーレム、アトラスが倒したでしょ?」
「いやいや、王子だ」
彼は否定しながらも、キラキラした赤毛少女の瞳に、嫌な予感を覚えてしまう。
「うっそー! だって俺、見たよ。めっちゃ速くゴーレムを切りつけてた! 強いとは思ってたけど、想像以上だった!」
「……知らんな」
彼女だけは、目にも映らぬはずの剣撃が見えていたのだ。
(見えていたのか。厄介なやつだ)
その後もノアは興奮して質問を続けてきたので、アトラスは授業を言い訳にして走り出した。
「あ、待ってー! あの動き、どうやってるのか教えてよ!」
興奮した少女に追いかけられ、彼は結局失敗したような気分になってしまう。
こうした日常は、その後も定期的に続いていくことになる。




