練習用の闘技場で
(噂をすれば影が差す……だったか)
アトラスは懐かしい言葉を思い出しながら、レグナスについていく。
「いやはや、実にこの学園は良い。王都にあるものならほぼ全て違う。しかし、特に秀でたものはこの先にある。知っているか?」
「いえ」
王子のすぐ後ろに続くアトラスは、本当にこの先に何があるかを知らない。学園のグラウンドを通り過ぎ、体育館や武道館とは違う球体の建物へと入って行った。
以前弟と二人で見学に来た時、この場所は関係者以外立ち入り禁止となっていたのだ。
「僕もここに入ったのは初めてだよ。もうやり合ってる音が聞こえる。昼休みなのに、熱心なことだね」
マーセラスはこの建物が何かを知っていた。薄暗い通路を通り過ぎた際にあったのは、まさに闘技場だった。
グロウアス王立学園では、戦闘を学ばせるために練習用のゴーレムと戦うことが許されている。このような施設を用意している学園は実に珍しい。
「本来は戦闘学科のために用意されていた場所だが、昨今では学園に在学中であれば挑戦可能となっている。ほう、随分と腕の立つ者がおるようだな」
(あれは……ノアか)
王子達は今、闘技場の観客席にあたる場所で、その戦いを見つめていた。
赤毛の少女が、赤く巨大なゴーレムと戦いを繰り広げている。彼女とはつい最近再会したばかりである。
「はっ!」
勇ましい掛け声と共に、無数の突きと蹴りが巨大に突き刺さる。衝撃で後退しながらも、ゴーレムは拳を振り回し反撃に出ていた。
「あのゴーレムは戦闘練習用に作られたものだ。正式名称は練磨兵ゴーレムという。面白いことに、奴は相手に合わせて自らの強さを変化させる。生徒が練習として最適な、ほぼ互角の強さになるようにな」
赤い巨体には、いくつかの魔石が埋め込まれていた。能力を上昇したり下降させたり調整する力を有し、かつあらゆる攻撃手段を学ぶことができるという。
「練磨兵は、強さの段階に応じて全身の色が変わるらしいぞ。現在最も強い姿は黒色になるということだが……おや、勝負あったようだな」
彼らの視線の先には、至近距離からの蹴りを掴まれてしまい、片手で持ち上げられているノアの姿があった。
乱暴に細い体を振り上げ、硬い闘技場の床に叩きつけようとしている。
「だ、大丈夫なのか!?」
マーセラスが焦っていた。アトラスもこの状況には目を見開いている。
「心配はない。致命傷にはならぬよう、攻撃には調整を……」
「必要ないでしょう」
アトラスはただ静かに呟いた。その言葉を裏付けるように、後少しで床に叩きつけられるはずの少女が、自分の力でゴーレムから距離を取り地面に着地している。
「ふぅ! あっぶな!」
振り上げられた瞬間、咄嗟に足を掴む指を思い切り殴りつけ破壊していた。そしてすぐさま距離を詰めると、潜り込んだ腹に突き上げるような掌底を喰らわせる。
巨体が空中に浮かび上がり、観客状態の生徒達がわっと声を上げた。すぐさまノアは闘技場の壁めがけて走り、高い跳躍を見せる。
三角跳びでゴーレムに迫ると、今度は矢のような蹴りを喰らわせた。しかも一発ではない。突き抜けるように蹴りを決めると、今度は反対側の壁を蹴ってもう一発。
気づけば数えきれないくらいの蹴りを喰らわせた後、着地と同時に突きを繰り出す。
仰向けに倒れがゴーレムの胸が、少女の拳で陥没していた。
「そこまでだ」
すると、闘技場最前列に立っていた髭を整えた男が叫ぶ。次の瞬間には、ゴーレムの目の光が消え、学園関係者数名によって担ぎ出されていた。
練磨兵ゴーレムは練習用の存在であり、本当に危険なことがあればすぐに動きを止めるとされている。そしてゴーレムは、学園に何十体も用意されていた。
「よっしゃー! 今日も絶好調。お! アトラース、見てた?」
上機嫌になったノアが、嬉しそうに手を振ってくる。アトラスもまた手を振って応えた。
「思っていたよりはやるな、あの娘。負けるものとばかり考えていたが、余の見込みはまだまだ甘いらしい。さて、次のゴーレムが用意されてきたぞ」
王子についてきた二人とマーセラスは、白いゴーレムが歩いてくる姿に驚きを隠せなかった。先ほどよりも体格が大きく感じられる。
「あれは最新式でな。旧型よりもさらに細かく戦力分析をし、実に戦い甲斐がある作りをしているらしい」
「次に予約をしていた生徒、前へ」
練磨兵ゴーレムとの模擬実戦は、予約制となっていた。
「普通科一年、レグナス・ツー・グロウアスだ」
そう言い、王子は観客席から身を翻し、優雅に闘技場への中心に立った。
「まさか王子がやるとは……」
「本当だね。これはけっこう危ない」
アトラスとマーセラスは、まさかの王子が挑戦するという事態に驚いている。何食わぬ顔で腰に差した剣を抜く姿は強者の風格があった。
だが、もしものことが起こらないとは限らない。嫌な予感に駆られる男達とは対照に、赤毛の少女は呑気である。
ノアはニコニコしながらアトラスの隣にやってきて、「どうだった? ねえ俺どうだった?」と盛んに感想を欲しがっている。
「さすがだな。ここまで強くなっているとは思わなかった」
「え? えへへ! そうかなー。でも、まだ全然だけどね!」
すると、少女はわかりやすく喜んでいる。隣で見ていたマーセラスには、まるで彼女が尻尾を振っている犬のようにすら見えてしまう。
(まずは余の腕を見せるとしよう。そしてこの後、絶対に貴様の力を見定めてみせる)
レグナスはまだ伝えていない。この次の予約にはアトラスの名前が入っていることを。
勝手な真似をさせれば右に出る者がいない王子の前で、ゴーレムは徐々に変貌していく。
それは現状最も強いとされる、黒き練磨兵の姿であった。




