王子の誘い
(まさか……! アトラスと余が同じ部屋だというのか……)
レグナスは狼狽が顔に出ないよう必死であった。
実はこの采配は、特別な事情が含まれているわけではなかった。
グロウアス王立学園は代々、家柄で差をつけることを良しとしない風潮があり、だからこそ部屋割りも可能な限り平等であろうとしたのである。
しかし、次代の王となることがほぼ決まっている第一王子とあれば、部屋の割合程度は融通を利かせなければ、後々どうなるか分からない。そう思い学園関係者達は、このような広さの違いだけは配慮したのだった。
「お久しぶりです。レグナス王子。私を覚えていらっしゃいますか。アトラス・フォン・ロージアンです。ロージアン侯爵家の長男です」
動揺するレグナスの目に、アトラスは不気味なほど冷静に映る。負けてられぬとばかりに、レグナスもまた余裕のフリをした。
「うむ。……以前会ったことがあったな。しかし、随分と昔のことだった気がするが。……ああ、そうだ。思い出したぞ、以前余はお前に、失礼な言いがかりをつけたことがあった。そうだな?」
遠い記憶を探る真似をする王子であったが、実際のところは定期的に思い出しているトラウマである。
「ええ。その節は失礼しました」
「とんでもないことだ。非は余にこそあった。子供の頃の失礼など、水に流そうではないか。ともあれ、よろしく頼むぞ」
「願ってもないお言葉。ありがとうございます」
この時、アトラスはひとまず穏便に挨拶を終えようとした。その気持ちはレグナスの同様である。
だが、アトラスは王子がどれほど自分に執着を持っていたかなど知りようもない。
一人は次代の王の機嫌を損ねないことだけを考え、もう一人は好機に震えていた。
レグナスはあの頃の屈辱を、水に流すつもりなどさらさらない。むしろ、同室になったこの機会に、過去の恐怖を必ずや乗り越えてみせる、と熱く魂を燃やすことになる。
反対にアトラスは、すぐに別のことに関心が向いた。王子自身というより、なぜ王子が普通科に入学するのかを疑問に思っていた。
◇
次の日、アトラスは初めての授業に参加していた。
魔法学はしばらくの間は座学らしく、誰もが分厚い教科書と、教師の黒板を交互に睨んでいる。
リリカは後ろでどんな顔をしているのだろう、とふと気になっているが、きっと彼女はいつでも淡々としているに違いなかった。
人形のように無表情な時があり、それこそが彼女の神秘性をさらに高めている。
そのようなことをぼんやりと考え、アトラス自身は勉強に打ち込もうとしない。周囲との温度差は明らかであった。
やっとのことで昼休みになると、マーセラスの誘いで食堂に行くことになった。リリカも一緒となり、この後も三人で食事をする機会は増えていく。
「それはきっと、先代の国王が普通科出身だからじゃないかな」
マーセラスはいつしか知識を得ていたようで、すぐに答えを彼なりに見出していた。
「先代の国王様は、ありとあらゆる人達と交流をすることで、多彩な視点を磨こうとしていたらしいよ。それにグロウアスの普通科は、世界でも特別博学な人を世に出しているんだ。普通科に所属するのは、ある意味一番狭き門であり、名誉でもあるってこと」
「そういうものなのか」
アトラスにはよく理解できない世界だった。しかし、先代の国王を超えていこうというのなら、選択肢はそれしかない……という考えは理解できる。
「厄介なものだ。次の覇権を手にする男と同室になるなど」
「どうしてそう思うの?」
リリカは首を傾げる。小さい口で魚を食べている姿は、まるで小動物を見守っている気分になった。
「無礼だ不敬だと、卒業後に首を飛ばしにくるかもしれないだろう。まさか在学中はないとは思うが」
「逆に好かれれば、貴方も貴方の家も、今より認められる」
「その為に神経を使う気にはなれん」
アトラスはあくまで気ままでいたい。こういう心理はなぜか、リリカには通じないようだ。マーセラスは苦笑していた。
「とにかく、普通にしていれば大丈夫だよ」
「まあな。それにしても、どうも最近は関わる人間が多すぎる」
「それは、僕らは大陸最大の学園に入学したんだから、そうなるよね」
この時、リリカは小さく首を横に振った。
「私には見える。貴方達の運命の星が。同じように強く輝いているから、いつの間にか引かれあってしまう。これは決まっていたこと」
「その星の光を、どうにか小さくできないか?」
聖女はなぜかこの時、少しだけ微笑んだ。
「あなたの光は、小さくなってほしくない」
「ん?」
「用事があるから、先に行く」
静かに立ち去っていく小さな後ろ姿。アトラスは奇妙な返答に戸惑っている。だが考え事をするゆとりはなかった。すれ違うように、三人の男達がやって来たからだ。
「ほう。このような席にいたのか。平民ではあるまいに、もう少し中央を陣取っても良かろう」
堂々とした姿で食事中の二人を見下ろすのは、ルームメイトとなったレグナスだった。すでに二人の男が、彼と親しくなるべく同行しているようだ。
マーセラスは慌てて立ち上がり、王子に軽く頭を下げた。
「レグナス王子。お初にお目にかかります。マーセラスと申します。その、」
「うむ。聖女の守護者であったな。お前が巻き込まれた事件のことは存じている。難儀であったな。ところで」
挨拶をそこそこに切り上げ、レグナスはアトラスに目をやった。
「学園の昼休憩とは長いものだ。少し眠くなってしまってな。体を動かせば多少はマシになると思うが……どうだ? お前も付き合わんか」
「はあ……」
まさか王子から誘いが来るとは。アトラスとしては、面倒な予感しかなかった。
 




