学園の見学
さらに一年が経過し、アトラスは十一歳になった。
確実に心身ともに成長していく時期だが、彼はあくまで呆けのふりをして過ごしている。
しかし、ロージアン家はそんな彼を責めるつもりはなかった。
(居心地が良すぎて、どうも落ち着かないな。そんなこともあるのか)
ここにきて、見放すでもなく見守っている両親は意外だったし、変わらず慕う弟も不思議に思っている。
そして一番気掛かりなのは、リリカが渡してきた白い鞘におさめられたナイフだ。
後から知ったことだが、このナイフは聖女が特別な間柄であると認めた存在にしか渡さない物だという。
特別な間柄、というのが具体的にどういった関係かにもよるが、いずれにしても彼女に認められることは、アトラスにとっては面倒である。
そんなことをぼんやり考えながら、邸の屋根上で昼寝をしようとした時だった。
「ん?」
いつになく感じる強い視線。気になって周囲に目をやると、じっと庭の外からこちらを見上げている者がいた。
(以前もここに来ていたな)
燃えるような赤髪は短く、半袖半ズボンという気楽な格好をしている。
アトラスと目が合うと、相手はハッとした顔になった。
「どうした? 屋根の上で昼寝しているのは珍しいか?」
「あ、うん! すげー珍しい!」
「そうでもないぞ。誰だってしているだろう」
「でも、貴族はそんなことしてない」
その子供は、アトラスと歳は変わらない。だが、あっけらかんとした態度や見た目のせいで、実際より幼く映る。
しかも、話しかけられたのがよほど嬉しかったのか、数分後には自分も屋根の上に上がり、アトラスの隣にいた。
「随分と身軽だな」
「うん。拳法を習ってるんだ」
(ほう。この世界にも拳法があるというのか)
アトラスが興味を示すなり、小さな体が右に左に舞い、子供にしては見事な蹴りや突きを見せてくれる。
「もう大人にも勝てる! 俺はいつか最強になる」
「これは驚いた。確かにお前なら、なれるかもしれない」
前世でも武術の達人は多くいたが、この年齢でここまで動ける者を見たのは初めてだ、と彼は素直に感心した。
すると、魔導書の勉強に明け暮れていた弟が屋根上にやってきて、あっと驚く。
「え? 誰!? なんか凄い!」
この時から、三人は時折一緒に遊ぶようになる。
だが、一年後には赤髪の子は親の事情でいなくなってしまう。
イルは寂しがっていたし、アトラスもまた残念だと思う。前々世の日本にいた時とは違い、携帯やSNSで繋がることはできない世界である。
しかし、三人は再会することが決まっている。それも運命によって。
実はこの小さな拳法使いは、剣聖の仲間となるはずの存在であった。名をノアといい、剣聖達の中でも際立った戦闘能力を有することになる。
だがそんな運命を、アトラスは少しだけ狂わせている。本人にはまだその自覚がなかった。
◇
さらに一年が経過し、アトラスは十二歳。イルは十歳を迎えていた。
この頃、ロージアン家はグロウアスでの地位を高めるため、精力的に他方と交流を進めており、両親が家にいないことが多くなった。
そしてある時、父シェイドはアトラスを応接室に呼び出し、ある話を持ちかけた。
「アトラスよ。お前もそろそろ、学園に入学する試験を受ける時だ。知っているな?」
「いえ、まったく」
「なんと! お前ときたら困ったものだ」
父は呆れていたが、変わりのない息子に安心してもいる。
「良いか。グロウアス王立学園のことは知っておろう。大陸のみならず、世界でも有数の貴族や将来有望な若者が集まる学舎のことだ。しかし学園に入るためには、十二歳の段階で試験を受けてもらう必要がある。それに合格してこそ、三年後に入学が許されるのだ」
アトラスはその説明を聞き、不思議な気持ちになった。魂はすでに中年を超えているのに、学校に入ろうとしていることが奇妙でならない。
それともう一つ、入学の三年前に試験を受けるというのも、前々世の常識とは違っている。
「一体、試験とはどういうものでしょうか」
「それなんだが、入りたいクラスによって違う」
父はあらかじめ用意していた、パンフレットに似た紙を渡してきた。
用紙を広げると、普通科、商業科、魔法科、芸術科、戦闘学科という科の中から、入りたい科を選ぶという説明が書かれていた。
(随分と沢山あるのだな。だが、俺としては一択かな)
特に内容を吟味することなく、彼はどれにするかを決めていた。
「私は、普通科に入りたいです」
「ふむ。その理由は?」
「他の科に興味がありません。というか、私では無理でしょう」
「ふぅむ。ワシにはそうは思えんがな。ところでどうじゃ? 一度見学にでも行ってみんか」
アトラスに断る理由はない。念の為見学に行くことは悪いことではない。だから同意したのだが。
「よし! では明日、早速見学に行くことにしよう。それと、ロージアンの貴族達にも、改めてお前を紹介しなくてはな」
(父上の仕事にも付き合わされるのか。これは参ったな)
シェイドは今でもアトラスを評価していた。だからこそ、もう少し彼を有名にしたいと考えている。
一見豪快で細かいところを見ていないような父は、息子が実は優れた力を有していたことを見抜いていたのである。




