王子の執着
グロウアス城の庭で一人、剣を振り続ける少年がいた。
名をレグナスといい、大国グロウアスの第一王子である。
次期国王最右翼と称され、国内でも有数の人気を得ていた。その人格と風貌、文武において目覚ましい成長を遂げており、なんと剣に至っては武術大会で優勝するほど。
しかも、グロウアスの大人が参加する大会に、まだ十歳そこそこの少年が優勝してしまったのだ。かつてない快挙である。
民はかつてない国王が登場する日も近い、と驚きと歓喜で勝利の栄光を讃えたが、本人はさほど感動していなかった。
(俺が求めていた相手はいなかった。それにしても奴め、なぜ出場しなかった?)
七歳の頃に出会った少年、アトラスに与えられた恐怖を、彼は今もなお忘れていなかった。
むしろ時が流れるほどに、あの時感じた恐怖は大きく心を支配しているような気持ちさえしたのである。
実は以前、レグナスはロージアンの領内に武術大会の知らせを出すよう指示をしたことがある。
次期王最右翼である彼は、すでに国事に影響のない瑣末なことなら命令する権利を持っていた。
その権利を用いて、アトラスが参加してくることを期待したのだが、その願望は叶わなかった。
直接出場するよう手紙を送ることもできたが、それは彼の誇りが許さない。
悶々とした気持ちで稽古を終えた後、たまたま大臣達が広間で話し合いをしているところを見つけ、彼は足を止めた。
どうやらラーナ島で、大きな事件が起こったらしい。かの島はグロウアスとも関係が深く、大臣達は困惑しているようだ。
「どうした? 一体何の話だ?」
「レグナス様! 実はラーナ島で、魔物による殺人事件が起こりまして」
「ほう。穏やかではないな。詳しく聞かせてくれ」
グロウアスもラーナ島も、ここしばらく魔物による殺人など起こっていなかったので、大臣達同様、レグナスもまた強い関心を持った。
ラーナ島で起こったのは、マーマン二匹による子供の誘拐及び、数名の大人の惨殺だ。拐われていたのはマーセラスという島の外から来た少年であったという。
マーマン二匹は最終的には仲間割れを起こし、相互相打ちの形となり亡くなっていたところを、憲兵達が発見したのだとか。
レグナスは一連の説明を聞いているうちに、ふと別のことを考えていた。それは実際に魔物と相対した時、自分は充分に戦い、勝つことができるのかということ。
たしかに稽古では、明らかに腕を上げている。武術大会だって最年少で優勝した。
しかし、本当の殺し合いの場に立ったなら? 考えずにはいられない疑問であった。
その後、一連の報告を聞き終えたと思った矢先、ふと気になる一言が大臣から漏れる。
「現場にいた子供達も気の毒でした。しかもラーナ島ではなく、我らがグロウアスの貴族の子供達でしたからな」
「ほう。どこの貴族だ?」
「ロージアン侯爵家です」
「……なに?」
ロージアンという響きを、レグナスは決して忘れていなかった。
「知っている家だ。その子供達が現場にいたということは、襲われていたのか」
「どうやら隠れていたらしく、襲われることはなかったようですよ。少年二人ですが、大したものです。彼らが通報したことで、事が明るみになったのですから」
(やはりアトラスか!)
王子の目に色が変わったことに、気づいている者はいない。彼はいかにも興味なさげではあったが、心に火がついていた。
「しかしおかしい話だな。誘拐した子供を連れ出そうというところで、仲間割れして殺し合うなど。そのようなことがあるだろうか」
「ええ、ええ。それはもう、我々としても疑わしいと思っておりますよ。ですが、それ以外に考えられないんです。刃物で切られた跡は、そりゃもう見事でしたし、現場には子供しかいなかったのです」
子供には、人間の大人よりも大きいマーマンを倒せるはずがない。そう大臣達は言っているし、多くの大人にとって共通の認識である。
しかし、レグナスは納得できなかった。というよりも、まさかアトラスが倒したのではないか、という思いが膨らみ、心をざわつかせている。
ただ、これ以上話を聞いたところで、真相は分かりようがなかった。
「この件については詳細が分かり次第、俺にも報告をせよ」
それだけ告げると、王子は無表情でその場を後にする。大臣たちはなぜ王子がこの事件に執着するのか、理解ができなかった。
(奴だ。きっと奴に違いない。マーマン二匹を倒すなど、俺にできるか?)
彼の心の中で、アトラスはいつしかライバルになりつつあった。
(いや、できぬ。俺がどれほど強くなっているとしても、それは練習……偽の実力でしかない。本当の殺し合いにおいて、奴は一歩も二歩も先んじている。そうとしか思えぬ)
レグナスはその後も修練と勉学を続け、人脈を広げることも手を抜かなかった。次代の王になることに邁進しつつ、いつも心の奥には幼少期の恐怖が燻っていた。
(王に負けは許されぬ。恐怖など以ての外だ。だが俺はアイツに心の奥で恐怖している。それが耐えられぬ。王になる前に解決せねばならない)
当の本人は、そんなことなど知らない。まして、王子が自分に会いにくる未来が待っていることなど、考えてもいないのである。




