一番楽ができる人生
最初に現れたのは、いかにも英雄という表現が似合う、端正な顔立ちをした美男子だった。
その姿は十代後半から二十歳ほどで、プラチナのような鎧に身を包んでいる。
「彼は聖王レグナス。この世界で最も栄える予定の国、グロウアスの国王よ。もちろん、いきなりこの姿に転生するわけじゃないわ。どの人生であれ、当然だけど必ず赤子から始まるわ。……どう?」
「いきなり随分と高待遇だな。だが俺は、王になるつもりはない」
「あら? どうして?」
「王に苦労はつきものだ。名誉の代わりに自由を失う」
「じゃあ次を見てみる?」
アリアナが呟くと、レグナスの姿は白い床の端に移動しうっすらと透けた。
「消えるのではないのか」
「ええ。やっぱりこっちのほうが良かったかもしれない、とあなたが思い直した時のために、一度召喚した存在は残しておくことにするわ」
「さすがに太っ腹すぎるな」
魂に顔があれば苦笑していた。彼女はもう一度手を振り上げ、今度は桃色の稲妻を床に落とした。先ほどと同じ、あまりにも派手な演出である。
次に登場したのは、銀髪と青い法衣が見栄えする美女であった。
「何だと……」
「彼女の名前はリリカ。世界有数の聖女にして、剣聖マーセラスの右腕よ。ちなみに剣聖マーセラスは、私の管理する世界において最も重要な立ち位置の男。世界の主役、と言って差し支えないわね」
「遠慮しておく」
「あら、美女になれるチャンスよ?」
「TS転生はしたくない。それにこんな美人になったら、それこそ気苦労が絶えん。選択次第では、国すら滅ぼしかねない」
「TS? よく分からないけれど、そういう前例を見たことがあるのかしら。では次ね」
アリアナは少し残念そうに呟いた後、もう一度雷を落とした。今度は新緑のような色の輝きで、さっきの二人とは雰囲気が違う。
光が消え去った後に立っていたのは、漆黒のジャケットに身を包んだ中年の男だった。先の二人とは違い、何か薄暗い雰囲気を纏っている。
「最大手盗賊ギルドの影の王、ジェラルドよ。私が管理する世界においても、裏稼業の存在は溢れんばかりにいて、そういう連中の中でも彼はトップ。楽な人生をお求めなら、いかが?」
「その【楽】は一時だ。この男には死相が見える。関わるべきではない男だし、まして本人に転生などもってのほかだな。もう少し平凡な人生にしてくれないか」
天使は苦笑しつつも、男の前に沢山の人生を見せ続けた。
地位、美貌、富、名声、超常の力。ガチャで現れる人々は、誰もが羨むほどの何かを過剰に手にしている者ばかりであった。
大当たりばかりのくじ引きをしているようで、男はなんだか落ち着かない気分になる。もうやめようかと考え始めていた時だった。
何度目だったろうか、黒い雷が白い床に落ちた。これは先ほどまでとは違い、随分と地味な演出だと、魂だけになった男はふと違和感を覚える。
どこにでもいそうな黒髪をした男が、黒いジャケットを羽織って立っている。
背が高く切長の瞳をしているが、先ほどまで登場していた男たちほど二枚目ではない。
「今回はダメね、では次——」
「待った。この男は誰だ?」
天使は止められたのが意外だったが、すぐに淡々と説明を始めた。
「アトラス・フォン・ロージアン。ロージアン侯爵家っていう、それは立派な名家の長男よ。私が管理する世界においては、主人公の最初の障害になる男。でも、そこまでの男なの」
「最初の障害とはなんだ?」
「彼は小物の悪役貴族。物語を彩るための、最初の潤滑油といったところかしら」
どうやら天使としては、この男は勧めたくない様子だった。しかし、魂はここで考える。
「そいつが悪役じゃなくなったら、どうなる?」
「何もない、つまらない男になるわよ。アトラスは長男だけど、弟がとっても優秀に育つから、家を継ぐこともできない。ただ、寂しく人生を終えるんじゃないかしら」
何もない男になる。その一言に、どうしてか魂は惹かれた。そして、数秒とかからず決断する。
「この男でいい」
「はい。じゃあ次……え?」
「この男だ。アトラス・フォン・ロージアンで決めた」
「あら、まあ! 本当に良いの? 悪役であり、主人公達に倒されて終わる人生よ」
魂の炎は先程より強く揺れている。男の意思は決まっていた。
「悪役をしなければいいのだろう」
「そうだけど……つまらない男でも、かまわないと?」
「一向にかまわぬ」
「そう……分かったわ。意外と面白いかもしれないし」
「どういうことだ?」
「いいえ、こちらの話よ。では、お喋りはここまでとしましょう」
ガチャで召喚した人々の姿が、一つ……また一つと消えていく。
天使は玉座の前まで戻り、静かに振り返った。瞳を閉じ、手招きをするような仕草で別れの言葉を口ずさむ。
「あなたはアトラス・フォン・ロージアンとして、我らが最高神が創造した新たな世界へと生を受ける。喜びなさい。怒りなさい。笑いなさい。泣きなさい。全ては自由よ。自由であることを、神がもたらした恩恵を決して忘れてはいけない。あなたの新しい人生に、幸あらんことを」
天使の声が終わった時、何かが始まった。真っ暗になり、猛烈な勢いで何処かに流されていく。
魂が新たな肉体へと向かっているのだ。
(悪役をしない。ただそれだけで、俺は平凡で楽な生き方ができるはずだ)
改めて思った。怠惰でどうしようもない自分が嫌いだった一度目。苛烈で喜びとは縁のない殺し合いばかりの二度目。
せめて三度目くらいは、マシな生き方をしよう。
彼はたしかに、良い選択をしたはずだった。