風の刃
この世界において、武具に魔法の力が込められているものは少なくない。
それらは魔導士がするように、脳裏で発動文字を思い描くといった作業を必要としない分、使用は簡単であると思われた。
しかし魔法というものは結局のところ、才能に左右される部分が大きい。
筋骨隆々の戦士達の中には、魔力を持たない者が多かった。だから魔法付きの武具を扱える戦士は少ない。
アトラスは鞘から剣を抜くと、美しい白刃を眺めた後、静かに構えてみる。
イルはその様子を横からじっと見つめていた。ほんの僅かな動きも見逃すまいとしている。
(ああ、大体使い方は前世と同じだな)
握った手の先に魔力を集中していくと、魔石が怪しく輝き出した。うっすらとした新緑の光が剣全体を覆っていき、程なくして奇妙な風が周囲に吹いてくる。
やがてアトラスは剣を上段に構え、誰もいない方向へ軽く振り下ろした。草とほぼ変わらぬ色の輝きが光となり、刃となって飛んでゆく。
それは紛れもなく風の魔法そのものであった。
「わああ! カッコいい! お兄ちゃん、どうやったの!?」
一連の動きを見て、弟は飛び上がって喜んだ。すぐに兄に駆け寄ってくる。
「この魔石のあたりに、魔力を流し込むことを想像するんだ。そうすれば、上手くいけば扱える」
「凄いや! でもお兄ちゃん、魔力なかったんじゃないの?」
「本当に多少はあったらしい。魔法の武具というものは、多少あれば十分に使えるものなんだ」
ここにきて、アトラスは別に魔力を隠そうともしなくなった。ないことを偽り続けるのも、また大変な気がした。そして確かに、この時は大した魔力ではなかったのである。
「ふーん! でも普通に使えるって凄いよぉ。ねえねえ、僕もやっていい?」
「ああ」
興奮気味のイルは剣を受け取ると、すぐに言われたとおりに魔力を集中してみる。
庭で見守る騎士達は、先ほどのアトラスの姿を見てどよめいていた。
「まさか、九歳にして魔法剣を放てるとは」
「やはり相当な武芸の才がおありなのだろう」
「戦士でも半数は使えないというからな」
「アトラス様は、武人としての才を持っている!」
「驚いた……!」
子供でありながら、あっさりと魔法剣を使えたことが、彼らにとっては衝撃だったのだ。
店主もまた、呆然とした顔で庭の光景を見つめている。長く武器と防具を売り捌く仕事を続けていたが、九歳にして魔法武具を操れる者はほとんど見たことがなかった。
続いて剣を振ることになったイルは、やる気が身体中から湧き出ているかのようだった。
しばらく瞳を閉じて集中し、魔力を解き放っていく。
「魔石に注ぐ……魔石に注ぐ……」
イルは少しの間、ぶつぶつと独り言を漏らしながら、少年にしては高い魔力を注ごうとしている。
だが、何か実感が湧かない。どうしても普通に剣を持っている感覚と変わらなかった。
焦りつつ、痺れを切らしたかのようにイルは目を開け、前方に大きく剣を振るってみた。
「たぁっ!」
この瞬間、騎士達は「おおっ!」と歓声を上げたが、望んでいた効果は発揮されなかった。
緑色の刃は現れず、ただ剣を振ったに過ぎなかったのである。
「あれえ? なんで?」
「いろいろとコツがあるんだ。魔法と魔法剣は違う」
「ええー。すぐできると思ったのに」
その後、少しだけ落ちこんだ弟を、兄は優しく宥めていた。
庭から戻り、また明るさを取り戻したイルは、先ほどのショートソードをアトラスに手渡した。
「お兄ちゃん、この剣買ったら? 僕よりずっと上手いし、お兄ちゃんに合ってる気がする」
「そうかな」
「うん、きっとそうだよ! でも、たまには僕にも使わせてね。絶対使えるようになるんだ」
弟はなんとなく、自分より兄のほうが持つべきではないかと思った。イルは好奇心旺盛で、なんでも欲しがるところがあるが、最近では人に譲ることも覚えている。
騎士達はそんな二人の仲を見て、ロージアンという家の将来が明るいと思わずにはいられなかった。
二人の幼い貴族を見て、店主もまた嬉しくなったらしい。
「いやぁ、アトラス様は大したものですよ。一見すると普通に使ってましたけど、あれは驚くほど実戦的な使い方です。剣を振る前後も、魔法が出た後もちっとも隙がないんですから」
「手を抜いているから、そう見えるんじゃないか」
「いやいや! あなた様はきっと、剣士でもやっていけますよ。もしかしたら、レグナス王子ともいい勝負になるかもですね」
レグナスという名を聞いて、イルがあっと叫ぶ。
「グロウアスで一番の王子様だよね。やっぱり強いの?」
「それはもう。まだ九歳ですがね、すでに大人相手にも武術会で勝っちゃうくらいですよ。あの方は間違いなく、天才そのものでしょうなぁ」
「武術会?」
知らない単語に、弟の興味が膨らむ。
「昔から開かれてる、グロウアスの大会でしてね。好きな武器を使って試合をして、勝てば名誉と富がガッポリ、負ければ全部持っていかれるっていう刺激的な大会でさぁ」
「面白そう! ねえお兄ちゃん、観に行かない? ううん、参加しちゃおっか!」
「怖い大人がいっぱいだぞ。やめておいたほうがいい」
やはりそういうのもあるのか、とアトラスは心の中で考えた。前世でも闘技場があったが、恐らくは似たようなものではないだろうか、と。
ただ、この世界は平和そのものだし、きっと前世のそれほど物騒ではないだろうが。彼が生きてきたかつての世界は、あらゆる面で厳しく、汚かったのだ。
「おじさん! また大会のこと教えてね。王子のことも知りたい」
「あっしに分かることなら、何なりと!」
「ありがとう。またお邪魔する」
律儀にお礼をいうアトラスに、店主は慌てたように頭を下げた。
(貴族といえば、そりゃあ偉そうなのに、このお二人はなんと気持ちが良いのだろう。さすがはあのシェイド様のお子さんだ)
去っていく後ろ姿を見て、武具屋の店主は感心していた。
子供とはいえ、二人は貴族らしさがない。しかし、いずれは権威と誇り、少しの見栄で争い合う世界に入っていくことになる。
できれば二人には、変わってほしくないと思う者も多い。だが、世界の汚れに触れてしまえば、どんな綺麗な心も失われてしまうことがある。
さらには世界では、魔物の脅威が少しずつ膨れ上がっていた。その危険性が決定的な形で現れるまで、あと六年という時間がある。
アトラスとイルは、それからもしばらくは穏やかな毎日を過ごした。
この世界で大きな役割を持つレグナス王子と、聖女リリカもまた、二人とは違う生き方で前に進んでいる。
だが、時には触れ合うこともある。一年後、とある島に旅行をすることになったアトラスは、運命に導かれるようにして、ある者と出会うことになった。




