神と歌姫と怪物と
人と似ているようで人ではない。
城の屋上に堂々と立つその男は、魔族と称される人外であった。
魔族は姿こそ人間に近いが、その力と体格は比較にならない。魔力もほとんどの人間など相手にならず、極めてずる賢い存在でもある。
彼は自らを魔族達の王……つまり魔王であると宣言し、手に入れた軍勢を利用して世界中を破壊し続けていた。
このまま勢力を伸ばすことを怠けず、ただ粛々と戦いと略奪を繰り返すだけで、世界の王となることは時間の問題である。
しかし、男は自分が王で終わるつもりはなかった。彼が望んだのは、自らが神になることである。
男は自らの地位に満足していなかった。名のある魔公爵の倅であり、美しき姿も力も実績も、親に与えられたものでしかなかった。
世襲で全てを手に入れたなどと、どうして納得できようか。男は決して誰もが手に入らぬ高みを求めていた。
そうして考え続けた結論が、神になることだったのだ。
人は決して神にはなれない。人だけではなく、多くの種族もそれは共通している。神とは生まれ持って手に入れた至上の特権であり、なりたいと思うことすら傲慢の極み。
そんな常識すら、増長し続ける自我の持ち主には通じなかった。彼は何十年という時間をかけて探し続けていたのだ。
そしてついに見つけた。破壊神という自らに相応しい神になる為の方法を。
屋上の中心には、不気味な魔法陣が描かれている。ローブを纏った部下達を集め、松明を四方に設置していた。
魔法陣の中心には、黒く長い柱が埋められており、そこに一人の少女が鎖で括り付けられていた。
少女の金髪が風に靡いている。瞳はまるで死んだようであった。
「この女で間違いないな? モニカ姫……奇跡の歌を持つ女というのは?」
「はい。間違いございませぬ」
王の前に跪く、翼の生えた猿が断言する。
「ならば良い。でかしたぞ。お前には極上の褒美をやるとしよう。いよいよこの時が来たというわけだ」
王は笑いを抑えられなかった。ある国に侵略を行ったが、戦いは一進一退。進まぬ状況でありながらも、手を尽くしてようやく拐った姫である。
彼はその国を取るよりも、モニカ姫が欲しかった。彼女の美しい姿を欲したからではない。異名の元となった歌でもない。
自らが神となるために、汚れを知らぬ高貴な女の魂が、どうしても必要だったのだ。
「では、始めるがよい」
王の指示により、漆黒のローブに身を包んだ魔族達が、モニカの周囲に何かを備えている。
動物の死骸、奇妙な本、野菜、人骨、糞、ありとあらゆる物で彼女を囲う。
生贄の準備を終えると、一人の魔族が書物を片手に朗読を始めた。破滅の書と呼ばれる禁断の書物である。
すでに滅び去った悪しき文明の、極めて歪な言葉。女はこの不快な言葉に、顔を俯かせる。
「ほう。ようやく目を覚ましたか。高貴な女よ、汚れを知らぬ魂よ。貴様は我が力の源となり……」
男は語りながら、何かに気づいた。
得意げに続けていた口上を止め、無表情となり足速に女に迫る。そして顎を掴み、強引に顔を上げさせた。
王の瞳から、徐々に怒りの炎が湧き上がる。彼は静かに瞳を閉じた。
「おい。お前達は確かに、モニカを連れてきたのだったな」
「へ? は、はい! モニカ姫ですよ」
猿の魔物が慌てて叫ぶ。まさかここで、意味の分からない誤解を招いたのかと焦ったのだ。
「これはモニカではない」
「そ、そんな筈ありません。だって」
「馬鹿めが! 影を掴まされたのだ」
怒りに震える王は、金髪を鷲掴みにすると強引に引っぺがした。よく出来た偽物の髪は奪われ、中から美しい紫髪が姿を現す。
続いて耳につけていたイヤリングを奪い取ると、人の耳とは思えない尖りが入ったものに変わった。彼女はハーフエルフであった。
猿を含め、この儀式を見守っていた百を超える上級の魔物達が愕然とした。そして、この失態に震え出したのである。
モニカの影となった少女は、男に掴まれた時であっても、特別動揺した様子は見せなかった。彼女は絶望していた。すでに心が麻痺している。
「おのれら、一体どうこの不始末をつける? 我に恥をかかせた罪は重い。このような女では、我が野望を叶えることはできぬ」
しかしこの時、破滅の書を読んでいないローブの者が一人、恐る恐る足を踏み出した。
「お言葉ですが魔王様。その者……確かに資格を持っております」
「なに?」
「よくよくご覧くださいませ、その女子を。そしてまさに始まりつつあります、儀式の空気を」
王はもう一度、モニカを装っていた少女を見つめた。美しいその姿は、たしかにモニカに引けを取らない。
しかし知性はどうだ? 高貴な血はどうだ? その身は欲に溺れているのではないか?
全ての条件を満たしていなければ、破壊の神は現れない。答えは今なお止まらず進む儀式にあった。
「揺れている……揺れているぞ」
男は少女から手を離し、周囲を注意深く見回した。なるほど、黒く歪な闇の風が、彼女を中心として回っている。
不吉な火がそこかしこに、唐突に現れては消えてを繰り返している。夜の闇が膨らみ、空から赤い雷がいくつも鳴り響いている。
これは文献にあったものと同じであった。かつて破壊神を呼び出そうとした者の、哀れな末路を描いた記録と何ら変わらない。
「なるほど。よく分かった。お前は本物よりも最適な偽物であったということか」
直後、王は弾けんばかりに笑った。一度は恥晒しな失態を犯したと思っていたそれが、本物以上の成功に繋がろうとしている。
あの国の阿呆どもが、となじらずにはいられない。滑稽なミスを犯したのは我らではないと、心から嘲笑したい気持ちに駆られていた。
「お前らの不始末、今宵限りは水に流すとしよう。破壊の神となる夢が、ようやく叶う。ようやくだ」
王はおかしくて堪らなくなった。彼の笑い声が続くなか、儀式は徐々に本格的な段階に移っていく。
闇に包まれた空が、まるで真紅に染まっていくようだった。魔物達は予感していた。
この地に、かつてない恐ろしい存在が呼び出されようとしている。だが、きっとその神は自分達の敵ではなく、永劫の守護を与えてくれるはずなのだ、と。
だが、ここで一つの計算違いが起こる。破滅の呪詛が唐突に消えた。
代わりに短い悲鳴が発せられ、書物を手にしていたローブの男はうつ伏せに倒れた。王の笑いが止まる。
甲冑と剣の形の光が現れ、徐々に実体化していくような奇妙な現象だった。
「……誰ぞ? 我が栄光の場に水をさす者は」
「……ようやく会えたな」
現れたのは隻眼、隻腕の男。腕も片方しかなくなっている。右手には今も血が滴る魔剣を握りしめていた。
「……アイオロス……」
男の姿が視界に入った時、虚ろな少女の瞳に光が戻った。
漆黒の稲妻が男の周囲を巡り、赤い刃が怪しく輝く。何より、彼だけが持ち得る黒き魔力が、少女の心を激しく揺さぶった。




