08.棄てられ令嬢補佐をする。
「出来るだけ公爵様には近づかない方が良いって、あたし言いましたよね?! それがなんで一対一でお手伝いすることになってるんですかぁ」
「その、すみません……」
食堂で仁王立ちのエマに、平謝りの私。
なんでこんなことになっているかと言えば、私が思いっきり言いつけを破ったせいなので、頭を下げる他ありません。
「大体、なんであんなこと急に言い出したんですか」
「あの仕事量をお一人でやるのは辛そうだな~と」
恐る恐るそう言ってはみたものの、それを聞いたエマの目は、明確に訴えていました。何を言ってるんだこいつは、と。
「あの氷の公爵様ですよ? 苦にもしてませんって」
エマの言うそれが、一般的に思い浮かべられる氷の公爵の姿なのはわかります。だからこそ、エマが辞めておけと言う理由も。
しかし、私はそうじゃないことを知ってしまっているので、それを唯々諾々と受け取るわけにもいけないのです。
「で、でもしてるかもしれませんから。だったら力になれる分はなりたいかなー……なんて」
呆れを越えて、脳の処理がストップしてしまったエマが、あんぐりと口を開けました。
「心配してるようなことにはならないと思うので! 多分!」
「……だんだんとフェイのことが理解出来てきましたよぅ」
特大の溜息と共にエマは私を解放すると、早く行くように、と言ってくれます。
貴女の忠告を無碍にするようでごめんなさい。
エマが心配してくれているのはわかるんです。
けど、それ以上に私にはやりたいことがありますから。
「これが貴方の分。邪魔したらすぐに追い出すから」
分厚い紙束を手渡されながら、執務室で私を出迎えた第一声はこれでした。
当然と言えば当然ですが、全く信用されていないようです。
「こっちにあるのは見せられない物だから、見ないように」
「はい」
それだけでやり取りを終えると、リメリアさんはスイッチを切り替えるように、目の前のお仕事に集中しはじめました。
これは突っ立っている場合ではありませんね。言い出した手前、私も頑張らなければ。
「……」
「……」
カリカリ、カリカリ。会話は無く、ペンを走らせる音だけが室内に響きます。
時折、窺うような視線が私に向けられるくらいで、やり取りらしいやり取り一切はありません。
身じろぎの音すら聞こえる静寂の中、私が渡された分を終わらせるのにそう時間はかかりませんでした。
「こっち、終わりましたよ」
「……随分と早いのね」
リメリアさんが若干疑わし気に片眉をあげます。けれど、渡したモノに不備ないことを確認すると、自然と彼女の表情は緩みました。
「貴方、意外と出来るのね」
「覚えがありますから」
家長にもなれるようにと母に仕込まれていたので、読み書き算術他は少し自信があるのです。
渡された物自体も、試しを兼ねてなのか、重要な物や煩雑な物は省いてある感じでしたしね。
「次はどうしましょうか?」
「なら、これを選り分けて。私の確認が必要な物はこっちに、そうじゃないのはこっち」
私の目の前に、どこから出て来たのかと言いたいくらいの書類がどっさりと置かれます。
先ほどまでの物はある程度選別された形跡があったのですが、こちらは区別なしと言った感じです。それでも、見せられないような物は流石に省いてあるとは思いますが。
村からの税収から、どこから流れ着いたのかわからないような嘆願書まで。ペラペラとそれらに目を通していく内に、ここに来てから私の中で薄々募っていたとある疑惑が、確信に変わっていきました。
どうでもいい報告や願書が、あまりにも多すぎるのです。
自領ならともかく近隣領でのトラブルや、公爵を経由しなくても成り立つような報告ばかり。
恐らくリメリアさんを疎ましく思う貴族や役人の、政務に負担を掛けようという小さな嫌がらせの一環なのでしょうが。
全く、貴族というのはどこにでも同じような悩みが転がっているものなのですね。
まとめて不要の位置に叩き込みます。
「ん?」
流れ作業で薄紙に乗った悪意を処理していく中、私が目を止めたのは、ある関所の収支報告書でした。
「これとこれ、確認して貰ってもいいですか」
「テレイ地方の関所じゃない。これがどうかしたの?」
「ここのお金の流れが少し、おかしい気がします」
隣領と接する関所の、不自然な物品の購入や僅かな収支のズレ。
それらは日を追うごとに少しづつ積み重なっていて、全てを合わせれば相当な量になっています。
「確かに不自然ね」
数字を追っていく内に違和感を共有したリメリアさんが、顔を顰めました。
やはり、彼女の与り知らないお金の流れのようです。
「横領か賄賂か。詳しいことは分かりませんけど、ここに何らかの不正があるのは間違いないと思います」
「調べておくわ」
証拠となるその報告書を、リメリアさんが机の引き出しに大事そうに仕舞いこみます。
大捕り物というわけではありませんが、少しは役に立てたでしょうか。
さて残りも。と、意気込むもそれ以降は大きな異変も無く、淡々と紙との睨めっこが続きました。
「これで最後ですね」
何故か二つ隣の領から流れついた、狩猟に関する嘆願書を不要物に叩き込みます。
すっかり机の上が綺麗になったところで、リメリアさんも丁度、最後の一枚を処理し終えていました。
「まさか、本当にただ手伝いに来ただけだなんてね」
拍子抜けしたように、リメリアさんがふうと一息つきます。
彼女がが私を信じていないのは分かっていましたが、そこから疑われていたとは。
「それ以外だと、何を想像されていたんですか?」
「窃盗、謀略、暗殺。なんでも」
しれっと言ってのけたリメリアさんの言葉には、言い方に見合わず確かな重さがありました。
重さは多分、そこに実感が籠っているからでしょう。
この人は、そういう生を歩んできたのです。騙され、惑わされ、背後から斬られる。
当たり前のようにそれが横行する、薄暗い道を。
だからこそ、放っておけないわけですが。
「疑われるのは、立場上仕方ありません。口先で私を信じてと言っても意味は無いでしょうが、どうにか信じて頂けるよう頑張ります」
私の決意表明を、しかし、彼女は鼻で嗤いました。
「訳も無しに私の元に人は来ない。取り入ろうとしているなら、無駄よ」
攻撃的な鋭い視線に、緩むことのない無表情の仮面。それはまるで、他人を拒む分厚い氷壁のようです。
なのにそれが私には、最初に会った日に見た寂しげな笑みに見えました。
「確かに、リメリア様に近づいた訳ならありますね。とっておきの訳が」
だったら、私から勇気を出して私は踏み込みます。
もしもあの日見たリメリアさんが一時の幻で、本質が噂通りの人でも。
血濡れの公爵に気に入らないと処罰されたとしても、その時はきっと笑って流せますから。
「貴女は家無しの私を拾ってくれました。ご飯をくれました。命をくれました。だから少しでも、助けて貰った恩を返したいと思うんです。これが私の行動原理で、理由です」
胸を張り、真っすぐに彼女の目を見つめます。
すると、困惑ともつかない中途半端な心境が、僅かに歪んだリメリアさんの表情を通して私に伝わってきました。
「貴方を助けた? あり得ない。勝手にそう思っているとしても、ただの勘違いよ。私を誰だと思っているの。私は、リメリア・フロイシス・スティンレートよ」
一段と強くなる口調の意図は、明確な拒絶。
これ以上近づくなと言う彼女なりの最後通牒でしょう。
だからこそ、私はその拒絶を、あえて無視しました。
「事実を挙げただけです。大体、公爵の恐ろしい噂なら幾らでも聞きますけど、私も他の皆も、実際今まで何もされてないじゃないですか」
噂でも風聞でも社交界でも、血濡れの公爵の話は幾つも聞いたことがあります。
けれど、私がこの目で見たのは寂しがりで強がりな、動物好きのリメリアさんですから。
こればっかりは、どこで見たのか言えないので口には出せませんけどね。
「これだけして貰って、突然手伝いたいだなんて言い出しても受け入れてくれて、何を恐れろと言うんですか」
「それは……」
リメリアさんが、珍しく言葉に詰まりました。
ここは申し訳ありませんが、畳みかけさせてもらいます。
「勿論、何を言っても今すぐ私を信じることは出来ないと思います。なので、その分まで自分が勝手にリメリア様を信じます。
巷で言われてるような人じゃない、本当は優しい人なんですよって」
"私たちは疑うことが多いからこそ、他人を信じることから始めなさい"。ずっと大事にしている、亡き母に教わった言葉です。
私の生き方の根本で、お手本。
私に出来るのは、それを全力でぶつけることだけ。
「私が勝手に信じるだけ。なので、そう思っていても良いでしょうか」
「……好きになさい。今日はもう寝るから、エマを呼んで」
私の熱意虚しく、リメリアさんはふい、とそっぽを向いてしまいました。
まだまだ氷壁は厚いようです。




