07.棄てられ令嬢企てる。
結局、リメリアさんの朝問題は一旦保留したまま、すぐに次のお仕事が始まりました。
清掃、洗濯、ベッドメイクにお屋敷の点検。言葉にすればどれも簡単ですが、お屋敷が広いだけあってどれか一つとっても重労働です。
ですが、そんな中でもエマさんの手際は素晴らしいの一言でした。途中、
「あたしも貴族みたいに魔法が使えれば、もっと楽出来るんですけどね」
と溢してはいましたが、あれは貴族の中でも一部しか使えないので仕方ありません。私だって使えませんから。
雑談を交えつつ、朝とは打って変わって生き生きと仕事をするエマさんに手順を教わりながら、私も見様見真似でこなしていきます。
慣れない多忙の中で時間を忘れて動き回っていると、いつの間にか、空は赤く焼けていました。
本日の業務は残すところリメリアさんの夕食の給仕と、就寝前の準備だけだそうです。
「やーっと終わりますねぇ。フェイさんが意外と出来て助かりました」
「エマさんの教え方が良かったんです。あと、実は全くの未経験と言う訳ではなかったので」
ことあるごとに義母様にこき使われていたせいですが、そんな日々がこんなところで花開くとは。
「嬉しい誤算でした。それでは一日の締めに取り掛かる前に一つ、フェイさんに大事なお話があります」
エマさんがぴっと人差し指を立てます。
「正式にフェイさんが仕事を終えて使用人となったところで、実はここ、人数が少なすぎて使用人に階級とか上下がないのですよ。なので、これからは自分のことはエマと呼んでください。あたしもフェイと呼ぶので」
「分かりましたエマさ、エマ」
私がそう呼ぶと、エマは満足げに頷きました。
「それじゃフェイ、最後の大仕事にいきますよぅ」
「その前に、私からも少し聞いていいですか?」
勢いよく一歩目を踏み出したエマが、気勢を削がれてつんのめります。
「な、なんですかぁ」
「いえ、その。給仕の後からリメリア様が自室で就寝されるまで、かなり時間が空きますよね。私たちは何をするんです?」
「休憩ですねー。公爵様はギリギリまでお仕事をされるので、その分こっちは暇なんですよ」
「なるほど。なら、その間は自由ということですよね」
これなら私の考えていた計画、リメリアさんへの恩返し作戦その一が実行出来そうです。
夕餉の時間、広い食堂の奥でぽつりと座るリメリアさんの前に、私たちが次々と料理を運んでいきます。
食欲を刺激する匂いと湯気立つ料理を前にしても、彼女の無感情な瞳はピクリとも動きません。
ただ淡々と、物言わぬ機械のように食事を口に運んでいきます。
やがてパウロの料理を完食したリメリアさんが、席を立ちました。
行くとすれば、ここでしょう。
「一つよろしいでしょうか」
静寂だった食堂に、私の声が反響します。
「なに」
冷気で出来た矢のような瞳が、ゆらりと私を射抜きました。
分かっていても身が竦むのをなんとか堪えながら、私はゆっくりと跪きます。
「お願いがございます」
私なりに考えた、私が彼女のために出来得ること。これはその一歩目です。
「この後、私は休憩に入ります。その時間を利用してやりたいことがあるのです」
私を見下ろすリメリアさんは、例えるなら断頭台の刃のようでした。
分かっていても、いつその刃が振り下ろされるか解らない、そんな錯覚をしてしまうような空気を纏っているのです。
あるいは、猫として見たリメリアさんの姿こそが錯覚だったのかもしれないと。
それでも。あの夜に見た彼女の姿は、私が踏み出すに足りるものでした。
「私に、私にリメリア様のお仕事の手伝いをさせてはいただけないでしょうか!」
「え」
「はい?!」
エマの大声が食堂にわんわんと響き、彼女ははっとして口を抑えます。
エマの目は雄弁に、一体何を言ってるのか、と訴えていました。
けれど、すみません。その訴えを聞くことはできません。
「文字は一通り読めますし、算術もある程度収めています。私ならリメリア様のお仕事を手伝えると思うのですがどうでしょうか」
「……何を企んでいるの?」
リメリアさんの瞳が胡乱気に細められました。
「何も。せっかくなのでお力になれれば、と。気に入らなければこの場でどうにでもなさってください」
「……」
それは思案か葛藤か。たっぷり数十拍の間をおいて、リメリアさんの唇が再び音を紡ぎます。
「この後、執務室に来なさい」
それだけ言い残しリメリアさんは食堂を去っていきました。
作戦の第一関門を突破したことを喜ぶ前に、エマにたっぷりと怒られたことは言うまでもありません。