06.棄てられ令嬢朝を迎える。
仄かな暖かさと瞼越しにでも感じる光の眩しさ。私の記念すべき使用人生活一日目は、窓から差し込む陽光によって始まりました。
太陽に優しく揺り起こされた私は、ぼんやりとした昨夜の記憶の輪郭を辿りながら、また猫に戻っていたことを思い出して慌てて身を起こします。
すると、丁度私を起こしに部屋に入ってきたエマさんと目が合いました。
「おはようございますぅ。起こす前にしっかり起きてますね、感心感心」
「……おはようございます」
目線の高さも手足の長さも、エマさんの反応まで含めておかしいところは特になし。
自身の身体に異常がないことに胸を撫でおろしつつ、私はエマさんに朝支度を手伝って貰って、朝食をとるために厨房へと向かいました。
「今日は業務を教えていきますねー。朝は時間が無いので軽く食事をとったら、その後すぐ公爵様の朝食の給仕ですよぅ」
「私たちの朝食が先? 食事は身分順などではないのですね」
「昔はそうだったみたいですよ。けど、今の公爵様の朝が遅いのでいつの間にか変わってました。お、ちょうどいい頃合いみたいですよー」
厨房に近づくにつれて、小麦の焼ける香ばしい匂いが漂ってきます。
「良い匂いですね」
「でしょー。ここの料理長、パウロは腕が良いんですよ。ほら、あの人です。おはようございますー」
エマさんが手を振る先に居たのは長身の、気難しそうに眉を顰めた青年でした。
彼はエマさんの声に気が付くと、手元の料理を見据えたまま横目だけで私たちを流し見ます。
「おはようございます。昨日このお屋敷に勤めることになりました、フェイです。よろしくおねがいします」
私の会釈に対しパウロさんはこくりと頷くだけで、そそくさと出来上がった料理の盛り付けに移っていました。
「き、気にしないでくださいね。無口なだけで、悪い人じゃないんですよぅ」
「そ、そうですか」
おろおろしているエマさんを傍目に、パウロさんが私に向かって手招きをします。
私がそちらに行くと、彼は綺麗に盛り付けられた二人分の朝食をそっと私に差し出しました。
「これを頂いていいんですよね。……あれ?」
パウロさんが身振り手振りで、私とエマさんの分を指し示します。
何故か私の分にだけは、おまけのようにちょこんと果物が付け加えられているのでした。
パウロさんはパウロさんでばっちり親指を立てて、言外に持っていけとアピールしているので、間違いではないのでしょう。
「いいなー。おまけをつけてくれたんですよ。パウロなりの歓迎です」
「そうなんですか?」
得意げに、うんうんと大仰に頷くパウロさん。
「ありがとうございます。歓迎してくださってすごく嬉しいです」
私が笑いかけると、彼は恥じらうように、人差し指で軽く鼻の下を擦ったのでした。
どうやら彼は無口なだけで、感情表現は豊かな方のようです。
ところで彼の朝食はどうだったかと言うと、なんともおいしいの一言に尽きました。
一応、私も貴族の端くれでしたし、目利きのために色々と口にしてきたつもりですが、そんな私を容易に唸らせるほどのモノが彼の料理にはあります。
今はゆっくりと食べている時間がないことだけが残念で仕方ありません。
「おいしかったです」
「そうでしょう。パウロの料理は一級品なのです」
「ですね。ありがとうございましたパウロさん。それと、これからもよろしくお願いします」
「!」
パウロさんが照れくさそうにコック帽を深々とかぶり直しました。
「それでは公爵様の分を運んでいきますよー。食事は基本的に部屋で摂られることが多いので、何も言われなければ朝はお部屋に運びます」
「わかりました」
エマさんと二人、からころとカートを押しながら、やがてリメリアさんの寝室へとたどり着きます。
リメリアさんの寝室の前で、エマさんはこれから死地に赴く兵士のように悲愴な顔で、ゴクリと唾を飲みこみました。
「い、いきますよぅ」
食欲を刺激する、香ばしいパンの匂いを伴って入室すると、その匂いに釣られたようにリメリアさんがもぞもぞとベッドから這い出いだしてきます。
「ん」
とろんと溶けた瞳で私たちを一目みると、リメリアさんが覚束ない足取りでとてとてと椅子に座りました。
そんな彼女の髪を、真っ青な顔をしているエマさんが、手つきだけは流暢に梳かしていきます。
着替えに髪のセットにと、誰も一言も発さないまま、朝支度だけは淡々と進んでいきました。
最後に食事を終えたリメリアさんが執務室に赴く様子を見送ったというところで、エマさんが漸く息を大きく吐きます。
「一番難しい仕事はこれで終わりですぅ……」
さながら一仕事終えた職人のように、額に流れる汗を拭うエマさん。
彼女は、見事にやりきった人の顔をしていました。
「掃除や洗濯の方が大変じゃありません?」
「フェイさんは分かってませんよぅ! 公爵様の機嫌が一番悪いのは寝起き。そんな時に失敗したら、どんな罰が下されるか解ったもんじゃないんですよ」
熱弁するエマさんには悪いのですが、私は機嫌が悪いどころか起き抜けでぼんやりしたリメリアさんも可愛いと思ったくらいです。
やっぱり、素の彼女を知っているというところが大きいのでしょうか。
「だったら、朝のお仕事を覚えたら私が変わりましょうか? 私は新人ですから、罰を受けないかもしれませんし」
そもそも、リメリアさんが多少のことで罰を下すとは思っていませんし。
「それは! いえ、でもそのぅ。流石にそれはフェイさんが辛いですし……」
後二押し、と言ったところでしょうか。