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04.棄てられ令嬢謁見する。

 

「ちょっと待ってくださいね。確かこの辺りに――あった。これ前の人のなんですけど、着れそうですか?」

「んー、うん。いけそうです」


 物置のような部屋の奥でエマさんが私に手渡したのは、彼女の着ている物と同じエプロン服です。

 白を基調とした標準的な作りながらも可愛くまとまっているそれに袖を通すと、幸運にも身体のサイズはピタリと合っていました。

 胸元だけ若干苦しくありますが、贅沢は言えないので我慢です。


「わぁ、似合ってますよぅ」

「そうですか? 良かった」


 くるりとその場で回ってみれば、ワンポイントのフリルがふわりと風で靡きます。

 エマさんと一緒になってお披露目会を一通り楽しんだところで、彼女は私に向き直り、ぴっと人差し指を立てました。


「では、これから公爵様に顔合わせに行くんですが、注意するべきことを言っておきますね」


 彼女の神妙な表情につられ、私もゴクリと喉を鳴らします。


「いいですか。まず、絶対に目を合わせないでください」

「……はえ?」


 予想から斜め上に飛んで行った注意に、気の抜けた楽器のような高音が飛び出しました。


「はえ? じゃないですよぅ。公爵様と会う時は常に俯くか、少し横を向くんです。万一にでも目が合わないように」


 言っていることが猛獣に対する時のそれなのですが、エマさんの表情は冗談を言っているようには見えません。


「何故目を合わせてはいけないんですか?」

「何が琴線に触れるか解らないからですぅ。目を合わせるとまず睨まれますし、不機嫌なところに居合わせただけで処罰されただとか、そういう話にはこと欠きませんから」


 リメリアさんのことを思い浮かべたのか、彼女がぶるりと身体を震わせます。


 エマさんの反応を見るに彼女がリメリアさんを恐れているのは間違い無いのですが、どうにもしっくりきません。

 睨まれる、というのはあの人の目つきが鋭いこともあって、そう思うのも理解できます。

 けれど、寝室で見たあれがリメリアさんの本音だとしたら、誰かを適当な理由で処罰するというのはあまり想像がつかないのです。

 まだほんの少しを垣間見ただけなので、確たることは言えませんが……。


「本当にそのような方なのでしょうか?」

「そのような方ですよぅ!」


 断固たる意思で食い気味に言われたので、これに関してこれ以上詰めるのは無理なようです。

 血濡れの公爵の数々の噂からすれば、エマさんの態度の方が妥当と言えば妥当なのかもしれませんが。


「分かりました。私は俯き気味にしていればいいのですね」

「そですね。多少睨まれたり怖い思いはするかもですけど、極力我慢してください。後は先輩の自分が紹介するので」


 エマさんはふんす、と荒めの鼻息を漏らすと私の手を取りました。

 どうやら、先輩として私の手を引いてくださるようです。


 手を引かれて歩く内、不意に、昔のことが頭を過りました。

 思えば、手を引かれて歩くなんて母が生きていた頃以来です。

 母が亡くなってからの私はいつも誰かの手を引くばかりで、誰かに頼ることなんて出来ませんでしたから。


 私の半歩先を行くエマさんの背が、少しだけ、大きく見えました。





 ……見えたはずだったのですが、執務室前に到着する頃には、エマさんは空気の抜けた風船のように萎んでいました。


「い、いいですか。自分が話すので、フェイさんは最低限の返事だけでお願いしますぅ」

「えっと、大丈夫ですか? 随分と震えてますが」

「だだ、大丈夫ですよぅ。今日は少し寒いなー!」


 本日の天気は快晴。南国出身の方でも寒いとは言わないような気温だと思うのですが、本当に大丈夫でしょうか。


 エマさんは扉の前に立つと震える手でノッカーを握りこみ、こつんと一度ノックしました。

 しばらくあってから、部屋の中から声が返ってきます。


「……誰」

「エマです。人手の件、お、お話したいことが」

「――入りなさい」


 やや待ってから聞こえた冷やかな声に、招かれるようにしてエマさんが扉を開きます。


 その部屋を見た時、一番最初に感じたのは無機質さでした。

 何が足りないわけでもなく、公爵という格に見合うような家具たちが置いてあるにも関わらず、主の顔が見えない部屋。

 そんな部屋の奥、大机に積み上げられた紙束の山の向こうに、リメリアさんは座していました。


「手短に話しなさい」


 僅かな感情の震えも無い平坦な声。そうではない顔を知っている私ですら、その声には背筋に薄ら寒い物を感じます。

 きっとこれが、噂に聴く血濡れの公爵の姿ということなのでしょう。

 一瞥すらされていないのにその威圧感に怯え、震えあがっているエマさんがそれでも半歩、前に出ます。


「あ、新しく使用人として雇いたい方がいます。こちらに」

「フェイです」


 事前に言われた通り俯き、深く頭を下げていると、無感動な「そう」という声が頭上を飛び越えていきました。


「元々、人手は自由にしろと言っていた。エマが雇いたいというなら好きにすればいい」


 話は、そこで終わりでした。身元の確認も面接も何もなし。

 エマさんがあれだけ怯えていたにしては、なんだか拍子抜けな気分です。


 そこで肩透かしにあったせいでしょうか。

 気が抜けた私は、ずっと俯かせていた視線を言いつけよりも僅かばかり持ち上げました。

 その時、気まぐれに手元の書類から目を離していたリメリアさんと、視線が交錯したのです。


「待ちなさい」


 人間一人くらいなら容易に凍えさせることが出来るような冷気を帯びた音。

 嫌でも足を縫い付けられるようなそれは、間違いなく、私に向けて発されたものでした。


「顔をあげて、よくみせなさい」

「は、はい」


 初めて正面から相対する、血濡れの公爵としての彼女の迫力にバクバクと心臓が悲鳴をあげます。


 けれど、心臓が緊張で縮み上がっていたのもほんの一瞬。

 顔を上げ、真っ直ぐにリメリアさんと向き合った途端、悲鳴の意味は別物へと代わりました。


「――っ!!」


 音が、消えた。そう錯覚してしまうくらい、私は彼女の顔に魅入ってしまいました。

 元々綺麗な人ではあったのです。けれど、改めて向き合ったリメリアさんの濡れたルビーのような瞳が、透き通る氷のような髪が、すらりとした鼻筋が。

 私の目を捉えて離しません。


 ね、猫の時は見上げたり横顔ばっかりだったせいでしょうか?! いえ、元から素敵ではあるんですよ。けれど正面から見るとその比ではないといいますか。

 もしかしたら、猫の時と人間の時で美的感覚が少し変わるとか何かあるのかも?


 心の中で謎の言い訳をしながら言葉を失っている私と、こちらも何故かだんまりのリメリアさん。

 こうして並ぶと、身長はリメリアさんの方が低いんですねー……。


「……」

「……」


 数秒、無言で互いの顔を見つめ合うだけの時間が流れます。

 エマさんがこっそりと私の肩を揺らさなければ、もう数十秒はそうしていたかもしれません。


「ぁ、あの、私の顔に何か」

「――なんでもないわ」


 絞り出すような声で私が問いかけると、リメリアさんがふいと顔を逸らしました。


「フェイ、と言ったわね。この屋敷で余計なことはしないように。もしも何かあったら、それが貴方の最期よ」


 リメリアさんの脅すような低い声に、隣に居たエマさんの背筋が綺麗な直線を描きました。








「フェイさん何をやったんですかぁ! あんな公爵様初めて見ましたよ」


 隣を歩くエマさんが、涙目で私の肩をぽかぽかと叩きます。

 何を、と言われましても。それは私も知りたいところなのですが、心当たりが全くない以上、私に出来ることは追及からそっと目を逸らすことくらいです。


「さぁ。なんだったんでしょうね」

「なんだったんでしょうね、じゃないですよぅ!」


 慄きながらも膨れるとは、エマさんも器用なことです。


「全く。初日でさよならかと思いましたよ。あっ、ここがフェイさんのお部屋です」


 彼女の案内の下辿りついた私の今日からの寝床は、全く予想していなかったものでした。


「ここって、この部屋全部ですか?」

「そうですよ。この部屋ぜーんぶフェイさんのです」


 正直、望外もいいところです。住み込みの新米使用人なんて、屋根裏か、良くて大部屋に雑魚寝だと思っていました。

 それが個室で、備え付けのクローゼットやベッドまでついてくるなんて。


「ふっふっふ、驚いていますね? ここのお屋敷、ちょっと公爵様に出くわす以外は実はかなりおいしいお仕事なのです」

「えぇ。本当に、思ってもないほどの厚遇です」

「遇するだけじゃなくて働いても貰いますよ。今日はもう時間も無いし、明日からですけどね」


 おやすみなさい。それだけ言って、エマさんは着替えを渡すと向かいの部屋へと下がっていきます。

 外を見ると、空には一部の隙間もない真っ黒な暗幕が垂れ掛かっていました。道理で疲労を感じるわけです。


「フェイ……ふふっ、フェイですか」


 随分と、濃密な一日でした。新しい人に出会い、新しい居場所を貰い、新しい名まで。


「フェイリア・エルドリンドはきっと、今日、死んだのですね」


 感傷に任せ、真っ白い雲のようなベッドに身体を預けると、思いのほか、身体は雲海深くへと沈み込みます。


「ここが、私の新しい出発点」


 白いキャンパスの上に乗った一筆目が、きっと今日という日なのでしょう。


 騒がしくも楽しかった一日に思いを馳せようとして、けれど、慣れないことばかりで疲れていたのか意識は闇へとすぐに溶けだし始めました。

 心地よい泥濘が身体中を包んでいきます。

 ドロドロに溶けきってしまう寸前、じくりと、どこかで感じたような痛みが胸に走りました。





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