33.棄てられ令嬢未来を想う。
あの後リメリアさんに連れられた私は、大事な話のために彼女の私室へとやってきていました。
夜、この場所で、猫姿以外でこうしているのはなんだか変な感じです。
「そう。フェイの獣化も呪い、だったのね」
「はい。さっき話した通り、家を出る時に少し」
リメリアさんが私の隣に座り直し、二人分の重さでベッドが常より深く沈みます。
「それにしても、術者が分からないのは面倒ね」
「あんまり不便も無いので、そんなに気にはしてないんですけどね」
深夜にちょっと猫になるくらいで、今のところ呪いそのものに害もありません。
リメリアさんに隠すことも無くなったので猶更です。
「現にこうして人に戻れてますし、別に解呪出来ないなら出来ないでいいかなと。なんで戻れてるのかは謎ですけど」
「また呑気な……。ちなみに、戻る理由なら心当たりがあるわよ」
そう言うと何故かリメリアさんは自身の両手で、私の手をすっぽりと包みこみました。
夜の寒気で冷たくなった手先が体温で溶かされて、とてもぽかぽかとします。
「えっと、これは?」
「どう感じる?」
どう、と言われましても。
素直に言うなら心地良い、ですけど、それだとちょっと言い方があれでしょうか。
「かなり暖かい、です?」
「フェイはそう感じるのね。……私ね、実は魔力の調整が下手なの」
調整が、下手……?
ルチアを追い詰める時にあれだけの大立ち回りをした人が、何を言っているのでしょう。
あれで魔力の扱いが下手だったら、得意な人なんて存在しないんじゃないでしょうか。
「なにか変な勘違いをしてない? 魔法じゃなくて、魔力そのものの話だからね」
私の内心を見透かしたように、リメリアさんが釘を刺します。
「私は普通よりちょっと魔力が多くてね。普段から体外にまで魔力が溢れてるの。感情的になったりすると、特に。貴女の言う暖かさの正体は、魔力なのよ」
言われてみれば確かに、リメリアさんの近くに居る時に、正体不明の熱を感じることが多々あった気がします。
それが魔力だと言われれば、そういうものだと納得しかないところではありますが。
「それはわかりましたけど、それと呪いとの関係は?」
「呪いっていうのは、厳密には対象の魔力を変質させる魔法なのよ。魔法が使えなくても、魔力自体は誰でも持ってるからね。で、詳しい理論は置いておくけど、繊細な変質だからちょっとでも狂えばそれは成立しない。だから呪いっていうの重ね掛けとかは出来なくて、一人に対して一種しか効かないの」
要するに、既に呪いの被術者であるリメリアさんに、新しく獣化の呪いを掛けようとしても不可能である、と。
呪いの存在を知った時は恐ろしい魔法もあるものだと思いましたが、掛かる手間暇といい、存外使い勝手の悪いものなのかもしれません。
「それで、本題。多分だけど、フェイの呪いが解けた理由は私の魔力にあてられて、一時的に魔力が変質していたからじゃないかと思う。フェイに私の呪いが効かなかったにも似たような理由。偶然だけど、二つの呪いが重なって変な方向に作用しちゃったのよ」
「あぁ、そういうことだったんですね」
思い返して見ると、心当たりしかありません。
私の時折感じていたあの熱。それは常にリメリアさんと共にありましたし、強い熱を感じる時はそれだけリメリアさんの感情が揺れていそうな時ばかりでした。
そして強い魔力にあてられた時の私は、早めに獣化が解けていた、と。
「だったら、私はやっぱり呪いに感謝しないといけないかもしれませんね」
「どうして? 獣化のせいで余計な騒動に巻き込まれたり、そもそも死にかけたりしたのよ?」
まあ、確かにあの日、私たちが出会った最初の日。リメリアさんが偶然あの場所を通らなければ、私は死んでいたわけですが。
「だって私たちが出会えた切っ掛けでもありますし、私がリメリアさんに対して要らない不信感を抱かずに済んだ理由でもわけで。だからプラスかマイナスかで言えば、プラスの方が大きすぎて申し訳ないくらいです。ちょっと死にかけたことくらい、貴方とこうして居られることでとっくにチャラなんですよ」
熱ですっかり温まった指を動かし、私の手を包んでいたリメリアさんの細指に絡めます。
つまるところ、今が良ければ全て良し、なのです。こうしているだけでも、私はそうなって良かったと思っていますから。
絡めた私の指の間へと、細指が躊躇いがちに入り込んできて、しばし、安らぎに満ちた沈黙が流れます。
「……ねえ。フェイは、元の家に戻りたいとは思わないの?」
それはなだらかな一本道に突然現れた岐路のようでした。
私が気負わず答えられるよう、出来るだけ平静を装って。
けれど少しだけ声に震えを残して、彼女は問います。
「私の力なら貴女の冤罪を晴らすことも、貴族家に戻すことが出来ると思う。呪いの主だって、辿ることも不可能じゃないわ。だから、元通り。全部元通りにして前の生活に戻ることも、出来るの」
紅の瞳が私を直視しようとして、僅かばかり逸らされます。
全く、仕方のない人です。
リメリアさんが珍しく感情が隠しきれていないことも、それだけ揺れてくれることを嬉しく思う私も。
「去る者追わずでは居られない、責任は取ってもらうって言ったのは貴女じゃないですか。なのに」
自分はそう思ってる癖に、やっぱり最後は相手の気持ちを考えて、委ねてしまう。
そういう貴女だからこそ放っておけないし、私は……あれ?
なんでしょうか、この言葉にし難い気持ちは。好ましいとは、少し違うような……?
いきなり言葉を切ってしまった私に、リメリアさんが不安で溢れそうな瞳を差し向けます。
っと、いけません。ここで黙ると、またややこしい方にいってしまいそうです。
「っとにかく、もうちょっと我儘言ったっていいと思いますよ。雇ってやるからこっちに居ろ、とか」
「でも、それじゃあ結局フェイの気持ちを無視してるみたいで……」
「それもちょっと心外です。私はずっと言ってますよ? ここに居られて良かったって」
とは言え、今まで呪いのせいで、騙し合い以外での他人との関わりを持つことの難しかったリメリアさんのことです。
言葉なんて直截すぎるくらいで、丁度いいのかもしれませんね。
「じゃあ、いいですか? 私はここを離れるつもりはありません。これからも貴女の傍で生きていきます。尤もリメリアさんから直接出ていけと言われれば別ですけど」
「言わないわよそんなこと! 今後一生、言う予定も無いわ」
「ならずっと一緒、ですね」
私が言葉尻を捉えると、とられたリメリアさんが八つ当たり気味に私の胸へと飛び込んできます。
今朝干したばかりで太陽の匂いの残るシーツが、倒れ込んだ私たちを柔らかく受け止めてくれました。
「わかった!十分わかったわよ!……フェイはそういうところがズルイのよ」
「ズル……? そうでしょうか」
あまり心当たりが無いのですが。
そんな私の思考が伝わってしまったのか、私の胸でリメリアさんが深く溜め息を吐きます。
「そう言えば呪いのことでもう一つ、言うことがあったのを思い出したんだけど」
話の急な方向転換に、私はなんだか嫌な予感を覚えます。
「それは一体どういう話なんです?」
「フェイの呪いが解ける条件が私の魔力に関わっているということは、意図的に魔力操作すれば獣化をさせることも出来るのよね」
「呪いが根治してるわけではないですし、それは確かにそうですが」
この場合は獣化というより、呪いが掛った状態に戻る、と言った方が正しいのでしょうか。
原理として簡単ですが、それにしてもなんでこのタイミングでその話を……?
ベッドの上に寝転がった状態の私を押さえるように、リメリアさんが上に乗っかります。
なぜだかちょっと、目が怖いような。
「あの……?」
「私ね、フェイのあの姿も好きなの。でもぎゅっとしようとすると逃げてたでしょ。一度、撫でまわしてみたくって」
目の前の捕食者から悪寒を感じて、今は無いはずの尻尾と頭上の耳がぶるりと震えます。
「いや、それはちょっとその」
「さっき、たまには我儘を言ったって良いって言ってくれたでしょう。だから、ね」
リメリアさんが私の頬に手を当てるとそこから熱が吸われていき、私の身体もしゅるしゅると縮んでいきます。
そんな私を、遥か頭上から見下ろす方が目の前に。
「……改めてフェイだと思って見ると、いつにも増して可愛いわね。先に謝っておくわ、止まりそうにないから」
「にゃあ!!?」
それからの出来事は、割愛します。
ただ一つ、私が今日学んだのは、口は禍の元だという当たり前の事実でした。




