27.棄てられ令嬢また罪を着る。
私にとっては今朝ぶりに来るリメリアさんの私室。
その扉の前でルチアは自身の髪をぐしゃぐしゃに崩すと、まるで走ってきた直後のようにわざとらしく息を乱しました。
「っ公爵様! 緊急でお話したいことがあるんですが」
真に迫る演技で声を張り上げるルチアに、一拍の間を置いてから部屋の主が応えます。
「……入りなさい」
ルチアと一緒に扉を潜るとこの時間のリメリアさんにしては珍しく、何をするでもない様子でベッドに座っていました。
いつもより気だるそうで、よく見ると目元が少し赤く腫れてているのは……もしかして、泣いていたのでしょうか。
チクリと。胸に針が刺さったような痛みを感じます。
こうした方が良いなんて勝手に決めて、私はそんな貴女を傷つけてしまったんですね……。
「みゃっ」
抜け出そうとする私をルチアが抑え込み、リメリアさんの前に突き出します。
もう少しのところに彼女が居るのに、この短い手足では触れることも叶いません。
「この猫に、見覚えはありますか」
「あるけれど、この子がどうしたというの?」
「さっき執務室で、盗みを働こうとしていたところを捕まえたんです」
そういうこと、ですか。
リメリアさんと私が決裂した今、このタイミングで物言えぬ私に罪を着せて追い出してしまおう、と。
これからの成り行きを想像し口の中に苦いものが溢れますが、捕らえられた私に出来ることは精々ルチアの手の中で暴れることくらいです。
身体を捩る私とルチアを交互に見るリメリアさんが怪訝そうに首を傾げます。
「ただの子猫よ?」
「一見ただの猫っすけど……獣化の魔法というのをご存じですか」
「また珍しい魔法を。見たことはないけど、知識では知ってるわ。……まさか、その子が?」
ルチアが内ポケットから一冊の古びた本を取り出しました。
それは例の書庫にあった内の一冊で――。
私に罪を被って貰う。ルチアが誰かから託された計画の全てを、今更ながらに理解したのでした。
「見たんっす。執務室でこれを落としたある人を。その人が、猫に変わるところも」
ドクドクと、私の小さな心臓が鼓動を速めます。
けれどどれだけ血液が力強く身体を巡っても、この非力な身ではルチアの手から逃れる事も叶いません。
待ってください、私には言わなきゃいけないことがあるのに。
また、冤罪で棄てられるなんて。
私がどんなに叫ぼうともこの喉からは甲高い音が鳴るだけで、言葉を紡いではくれません。
ルチアを、止めることも。
「自分の見た人。この猫の正体は――」
「待って」
ルチアが私の名を口にする寸でのところで、リメリアさんが制止を掛けます。
「その子を一度、こっちに渡して」
ボロを出したくないルチアは一瞬躊躇いを見せましたが、断るのは不自然と考えたのか、私をすんなりと引き渡します。
リメリアさんの手つきはルチアのそれと比べるとずっと優しく、暖かでした。
感じ慣れた体温に、私の心臓の音も少しだけ小さくなります。
「そういうことだったのね」
腕にすっぽり収まった私のお腹を、リメリアさんが指の腹で優しくなぞりました。
痛みはなく、くすぐったい感触に私は短くにゃあと鳴きます。
あぁ、分かって、しまったんですね。
「道理で治癒魔法の効きが悪いわけよね。私自身が一度、治療してるんだから」
たった一つ、獣化というピースを得て、リメリアさんの中で今までの出来事が繋がりを作っていきます。
全てを悟った彼女は、切ない顔で私に笑いかけました。
「ヒントは幾らでもあったのに。貴女がここに来た日付も、夜にしか現れないことも。私の困り事をまるで聞いてきたみたいに的確に解決してくれたことも」
目を潤ませたリメリアさんが、自身の額と私の額をこつんと合わせました。
「ねえ、フェイ」
鼻と鼻がぶつかるような距離で、私にだけ聞こえるように小さく、小さく言葉を紡ぎます。
「ごめんなさい」
どうして私はこんなに近いのに、謝らないでくださいと、たった一言声をかけることすら出来ないのでしょう。
「出てってなんて言って今更かもしれないけど、私は貴女にずっと救われてた。
貴女が心の中で何を考えていたのだとしても、最初からそういうつもりだったのだとしても。貴女と居る時間は楽しかった」
一つだけの、しかし致命的で作為的なズレが、私と彼女の距離を引き離します。
違うんです。私は本心から、貴女のことを。
どれだけ叫んでも、私の言葉がリメリアさんに届くことはありません。
それどころか三文芝居の悲劇のような最悪の辻褄が、彼女の中で通っていくのを感じます。
私はきっと初めからリメリアさんに敵対する誰かの手の者で、盗人で、獣化の魔法の使い手で。
リメリアさんを陥れるためにだけに、彼女の心を痛めつけるためだけにここに来た、裏切り者。
そんなの、納得できるわけがありません。
何より一番怖いのは、リメリアさんに私の気持ちを誤解されたまま終わることです。
作為も意図も何も無い、ただ傍に居るだけで暖かくて胸がいっぱいになるから、隣に居たい。
そんな私の気持ちを何よりも、母との約束よりも大切な、この人に。
どうか、一言で良いんです。リメリアさんと、話を――。
「今まで、ありがとう」
震える声で別れの言葉を口にして、リメリアさんが私を一層強く抱きしめた、その時でした。
胸の内に、ぽぅと小さく火が灯ります。
冷え切っていた指の先に、熱が戻ったような気がしました。
柔らかな光をもった灯火は、じわりと広がるように、確かな熱を身体中へと伝えていきます。
毎夜私を人間に引き戻してくれていた、あの熱を。




