26.棄てられ令嬢襲われる。
パウロお手製のパンとスープで胃袋を満たし、気力は十分。
お腹の底から湧き上がってくる力は、まるでパウロとエマの応援が応援してくれているようです。
実際食堂を出る時も、随分色々と言われましたしね。
二人分の後押しを受け取って、私のやるべきことは最早、隠し事と想いを胸に描く大事な人へと届けるだけになりました。
一度は勝手に諦め、彼女の信頼と期待も裏切ってしまった私ですが、それでも。
許して貰えるかは分かりませんが、きっと伝えるべきなのです。
「よしっ」
窓から柔らかな日差しの差しこむ廊下で、自分を鼓舞するための拳を小さく握りました。
私の暖かな想いを包むような太陽の光に後ろから、私ではない影が差します。
「それですんなり去ってくれればよかったんすけどねえ」
声を掛けられ振り向き様、背中側で両腕を抑えられ地面に押し倒されます。
そんな状態でも床に激突しなかったのは、彼女なりの気遣いだとでも言うのでしょうか。
そして私を押し倒した当人――ルチアが、背骨越しで私の心臓に強く手の平を押し当てました。
「フェイのことはけっこー好きだったし、本当はこんなことしたくなかった、ってのも言い訳っすかね。まあ、ごめんなさい」
言葉と一緒にルチアの手から、熱が私の内側を這うように流れ込んできます。
「こ、れは、何をした、んですか」
私の物ではない温度が勝手に身体を湯だたせて、心臓が耳のすぐ隣にあるみたいに、鼓動が直接耳に伝わります。
浅く息を繰り返す私を、何のつもりかルチアがゆっくり摩りました。
「そんなに慌てなくても、ただの獣化の魔法っすよ。自分の推測が間違ってなければ、フェイも使えるでしょう?」
身体の内側を熱さがをのたうつように暴れまわり、私の体躯をどんどんと縮めます。
これ以上は消えてしまうというところで、胃から太陽を吐き出すように大きく咳き込むと、熱はすっかり空気に溶けていきました。
「にゃあっ!?」
「やっぱり。かなり珍しい魔法だから、ほとんどの人は適合出来ないんすけどね。親和性もかなり高いし、何よりその可愛らしい姿、ちょっと羨ましくなるっすね」
なんでそんなことを、と。驚く暇も思考を巡らせる暇もなく、小さくなった私を逃がさないようルチアに両脇からがっちりと挟みこまれます。
ほとんど治っていたお腹の傷が、予想外に強く掴まれたことで僅かに痛みました。
「……申し訳ないんすけど、フェイには罪を被って貰うっすよ。元々盗み目的で、フェイは最初から公爵の元にいたって筋書だそうです。
恨んでるだかなんだか知らないけど、スティンレート公爵に幸せになられると困る人が居るんで」
「みゃあ!!」
リメリアさんに何をする気ですか!
藻掻き、力の限り暴れても、私の小さな体ではルチアの手は締め付ける万力のようにピクリとも動きません。
そんな私の悪あがきを、ルチアは何かを堪えるような顔で見つめていました。
「理不尽っすよね。気持ちは、解らなくもないっす。けど自分にも大事な人が居るんで、自分と父の命のため、このまま物言えない状態で捕まってください。……貴族様に目を付けられるなんて、運が悪かったんっすよ。お互いに」
ルチアは懺悔を済ませたように立ち上がると、私を抱え込んでそのままの足で階段を登って行きます。
「フェイのことも、ここでの生活も、結構気に入ってたんっすけどね。こんな風に終わるなんて。貴族の手駒になんか成るもんじゃないっすよ、本当」
カツ、カツ、と。踵が階段を打ち鳴らす音と共に、私たちは上へ上へと登って行きます。
「食堂から出て来た時、良い顔してたっすよね。フェイが何に悩んで何を決めたのかはわかんないっすけど、そんな顔が出来るのは、ちょっと羨ましいっす」
決して軽やかではないその足取りに、彼女は何を載せているのでしょう。
「どっちを選んでも苦しいから。自分は後悔ばっかりっすよ」
ずっと何かに締め付けられるように、言い訳を続けるように、彼女は言葉を零し続けました。
ルチア、貴女は一体、その手に何を抱えているんですか。
その考えの一欠けらでも知ることは出来ないかとルチアの瞳を覗こうとしても、彼女の黄色がかったそれは、私の視線とぶつかることはありません。
そうしているうちに、ルチアは階段を登り切ってしまいました。
この時間ならリメリアさんが居るのは執務室でしょう。
段々近づいてくる扉に私が心臓を跳ねさせていると、しかし、ルチアはその扉を無視して更に先へと歩を進めます。
そしてまるで予め知っていたかのように、リメリアさんの寝室の前で立ち止まりました。
耳を澄ませば、室内から聞こえてくるのは僅かな息遣い。確かにこの部屋の中にリメリアさんは居るようです。
でも、なんでこんな時間に?
私の中に浮かんだ些細な疑問は、しかし、それを紐解いているような時間もありません。
ルチアが私を小脇に抱え直して、もう片方の手を内に浅く丸めます。
そうしてノックをするために腕をあげ、けれど彼女はピタリと動きを止めました。
「ほんとうに、ごめんなさい」
それは誰に対しての謝罪だったのか。
言葉が空間と混ざりどこにもなくなってしまったところで、彼女は改めて、私にとっても変化の岐路となるはずのその扉の表面を叩きました。




