25.棄てられ令嬢本心を探す。
「エマ、少しいいですか」
「あ、丁度良かったです。フェイのこと探してたんですよー。お土産がありまして、って、どうしたんですかその顔色?!」
食堂で休憩をしていたであろうエマが、ぎょっとした表情で私の顔を覗き込みます。
やっぱり、そんなに酷い顔をしてますか、今の私は。
それが解かったところで、取り繕うような心の余裕もありませんが。
「すみません。先に、私の話をいいですか」
「え、えぇ」
「……」
エマの返事から一瞬、空白の時間が生まれます。
それは私の、別れを告げることへの躊躇いが生んだ空白でした。
……この後に及んで私はまだ、ここに居たいと望んでしまっているのですね。
自分自身で、何も答えないことを選んでおいて。
内心にこびりつく後悔を振り払うように、私はエマに向かって仰々しいくらいに頭を下げます。
「短い間でしたけど、お世話になりました。エマも、パウロも」
私の言葉を聞いたエマは大きく目を見開き、パウロまでが手を止めて、厨房からこちらに顔を出しました。
「!」
「な、何を言ってるんですかぁ!?」
「そのままの意味です」
二人に詰め寄られ、私は出口近くまで押されるようにして移動します。
……このまま、何も話さずに出ていってはいけないでしょうか。
いえ、それは流石に不義理が過ぎますね。
「出ていくって、そんないきなり。どうしてですか」
「そう決まったので」
「どういう経緯で? 何か脅迫されたとか」
「……いえ、そういうものではなく。その、リメリアさんに出ていくように、と。あぁ、悪いのは私で、リメリアさんに否はなくて」
纏まらない言葉で説明を続けていると、エマとパウロが、二人して顔を見合わせました。
「……喧嘩? にしたって、出ていけって聞き間違いなんじゃ。だって自分やルチアならともかく、フェイに? あの公爵様が?」
二人とも全く納得がいかないような面持ちで、しきりに首を傾げたり腕を組んでは唸ります。
「だってフェイにだけは甘々なあの公爵様ですよ? フェイだってまあ、公爵様のことを憎からず思ってたんでしょう?」
「それは、そうですけど」
今だってリメリアさんのことは好きですし、居れるのならば一緒に居たいです。
だけどそれは無理な話で――。
そんな未練を見透かすように、エマが私の瞳を覗き込みます。
「何があったんですか。話してください」
「それ、は」
話すべきか否か。私の中で、小さくない葛藤が産まれます。
今すぐ逃げだしてしまいたくなるような思いの末、これまで一緒に働いて来た同僚兼友人の見たことのないくらい真剣な表情が、私に口を開かせました。
「……どうしても、リメリアさんに言えない隠し事があるんです。その隠し事がある限り、リメリアさんは私に不信感を抱き続けることになります。
それであの人に迷惑をかけるくらいなら、私は居ないほうがいいと思うので」
私が去ればリメリアさんに迷惑もかけず、エルドリンドの名にも傷はつかない。
きっと去って行った使用人のことなんて、リメリアさんは時間と共に忘れていってくれることでしょう。
だから、私はこれで良いんです。
「そういうことですから。私は、これで。お世話になりました」
色んな感情を飲み込み、私を掴んでいたエマの手をそっと引き剥がします。
もう、いいでしょう。
これ以上はただの未練、伝えるべきことは既に無いはずですから。
そうして二人に背を向けた時でした。背後から、知らない男性の声が聞こえてきたのは。
「お前は、それでいいのか」
声のした方を振り向いても、食堂には当然のようにエマとパウロの二人しか居ません。
ですがそのエマの驚愕の表情が、釘付けになった視線が、声の出所を物語っていました。
「もしかして今の、パウロですか?」
「俺のことはいい。お前はそれでいいのかと聞いているんだ」
パウロの有無を言わせぬ雰囲気が、逸れそうになった話を無理矢理元の道に引き戻します。
「どうなんだ」
「良いも何も、それしかないんです」
「何故だ。そうまでして、その隠し事とやらは隠し通す必要のあることなのか」
食堂の出口を塞ぐように、パウロが立ち位置を変えました。
彼が納得すべきところまでは話さないと、通してくれそうにありません。
「死んだ母との約束があるんです。その秘密を明かすことは、母との約束を破ることになるので」
「だったら、捨ててしまえ。そんなもの」
あっさりとそう言ってのけたパウロに、私は一瞬、自分の耳を疑いました。
パウロのことは寡黙だけど、良識ある人だと思っていたのに。
私の大事な約束をそんなもの呼ばわりするなんて。
「そんな、そんな簡単に棄てられるわけないじゃないですか!」
感情のまま声を荒げると、喉の奥で血の味がしました。
「母は私の大事な人で、目標で!」
「では聞くが、その母とやらはお前の幸福を願っていないのか? 約束とやらとお前の幸福、どっちを優先しろと言う?」
パウロの言葉に心臓を一突きにされたような衝撃が、私の身体を駆け抜けました。
あまりの衝撃に、私の口ははくはくと開け閉めを繰り返すばかりで、パウロに対する答えを返してはくれません。
その間にもパウロの容赦のない、けれど慈悲に溢れた追撃は続きます。
「お前がそうまで言って固執するんだ。その母とやらは、善き人物だったんだろう。
だったら猶のこと、約束なんて捨てろ。母親もそれを望んでいるはずだ」
そんな、勝手なこと。
パウロの言うことは余りに核心をついているようでいて、だけどそれは、長年の母との約束を否定されたようで、簡単には認めがたいものでした。
「なんで、そんなことが分かるんですか。私の母が、約束よりも私を優先するなんて」
「俺も、人の親だからだ」
今までの詰問が嘘のような、とても穏やかな海のような声色で、パウロはそう言いました。
「今のお前は見てられん。いいか、良き親ほど、子の幸せを願っているものだ。子に愛される親は、それ以上に子を愛している。
何を約束したかは知らんが、お前の幸福とその何かの両立出来ないなら、自ずと答えは決まっているだろう。
母親のためにと言うのなら、そんな顔をこそ辞めるべきだ」
私の中で、ポキリと何かが折れた音がしました。
それはずっと私を支えていた柱であり、けれど、もう老朽化してしまった、いつかは替えなければいけないものだったのでしょう。
「いいんでしょうか、そんな、簡単に約束を捨ててしまっても」
「いいかどうか、聞いてみると良い。己の内に答えはあるだろう」
考えてみれば、簡単なことでした。
母は優しくて、でもすごく厳しくて、やっぱり私に甘かった。
だからそんな、大好きだった母が私に言うとすれば
「好きなようにやりなさい。貴方の足かせになるなら、家なんて棄ててしまいなさい、と。そう言うんじゃないでしょうか」
私は、母の今際の際に、家を任された事実だけを見ていました。
だけど、それは違うのでしょう。母は失意の私が寄って立つところを用意してくれただけ。
その時に託すものなんて、別になんでもよかったはずです。
だって母は、私に何かを強制したことなんて、無かったんですから。
「だったら、答えはわかっているな」
パウロが優しい、どこか母を思い出させるような顔で、私に問います。
もう、私に迷いはありませんでした。
言い訳をするのは、もうおしまい。
私の一番大事なモノは、人は、私が知らぬふりをしていただけで、とうに心に決まっていたのですから。
「お世話になりましたって言葉、撤回してもいいですか。やっぱり、私はここに居たいので」
「……」
パウロはいつものように無言で親指だけを立てると、やるべきことは終えたとばかりに厨房の中へと帰っていきます。
「パウロに、エマもありがとうございました。それでは、用事が出来たのでいって」
きます。そう言い切る前に、私のお腹が鳴りました。
それを知ってか、厨房からは包丁の小気味良く振るわれる音が聞こえ始めます。
「まあ、食べないと力が出ませんからねぇ。ほら、座って座って」
エマが私の肩を掴み、半ば強制的に席につかせました。
「いえ、でも急がないと」
「戦に臨むなら、腹ごしらえはしてからの方がいいですよー。それとも、その不健康そうな顔で公爵様の前に出るんですか?」
エマの言葉にはぐぅの音も出ません。……お腹は鳴るのに。
「わかりました。リメリアさんに心配かけるよりはマシですからね」
「それでいいのですよー。ところで……」
エマは私を言いくるめると、自身は厨房へと顔を覗かせます。
「ちょっと、パウロー! あなたが喋るところ初めてみたんですけど?! フェイだけじゃなくて自分とも話してみてくださいよー。ほらもう一回、もう一回だけ!」
聞きなれた騒がしい声が響き、すぐ後には、いつものように食欲をそそる、極上の匂いが漂ってきたのでした。




