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R01.血濡れの公爵苦悩する。

※リメリア視点です

 


 ゴトン、石でも踏んづけたのか、馬車が跳ねるように大きく揺れる。

 すると縮み上がった御者が、血相を変えてこちらを振り向いた。

 ほんの少し跳ねた肩が壁に当たっただけだが、私が気分を害したとでも思ったのだろうか。


 別に、何もしないのに。


 社交会へ向かうために臨時で雇ったこの御者とだって、初対面と言う訳でもない。所用で馬車を使う度、何度も顔を合わせているのにこれだ。

 こういう時にふと、私は自分が『血濡れの公爵』であることを痛感する。

 一挙手一投足が恐怖を抱かせ、存在するだけで人を遠ざける、そんな異名。

 近頃はある人物のお陰で、忘れかけていた感覚だった。


 その人――フェイは今、どうしているだろう。

 何の気なしに窓を覗くと、屋敷はとうに豆粒のように小さくなっていた。

 その距離を感じて、自分の中に思いがけず寂寥感が沸きあがる。


「あの屋敷に愛着なんて無いと思っていたのに。……フェイのお陰、かな」


 フェイ。エマの紹介でやってきた使用人で、不思議な人。

 彼女はいきなり現れては、私の懐にするりと入りこんで来た。

 散々拒絶したのにも関わらず、何度も私にぶつかっては、私の手を引こうとしてくれる。

『呪いがあるから、誰かと近しくなってはいけない』

 そう自分に言い聞かせていたのに、今ではもう、フェイは私の中で何にも代えがたい存在になってしまっていた。


 彼女の顔を見るだけで、嬉しい。声を聞くだけで、私は自然と笑顔になってしまう。

 近くに居るだけで、自分では冷めきったと思っていた氷の心臓に、熱を持った血が通うのだ。

 もう、自分を誤魔化すことが出来ない。きっと、私のこの想いは――


 切なく甘い感情に浸っていると、また、私を乗せた馬車が跳ねた。


 先ほどよりも幾分強く、身体の芯を揺らすような衝撃に、思考が強制的に現実に引き戻される。


「っ」


 軽く打った頭を右手で押さえていると、顔色の抜けた業者が、泡を食ったように頭を下げ始めた。


「もも、申し訳ありません! いつもはこんなことないはずなのですが」

「いいから。前を見て走らせなさい」


 怯え切った様子で言い訳を始めた御者の言葉を、私はぴしゃりと切って落とす。

 こちらにその気がないのに聞かされる、言い訳や命乞いの言葉は、もう飽き飽きだ。

 私は普通にさえしてくれれば、文句は無いのに。

 呪いは、ただの利害関係でさえまともに結ばせてはくれない。


 何度か言い聞かせ、ようやく業者が震えながら自分の仕事に戻ったところで、私はさっき後頭部を打ち付けた座席に、再び背中を預けた。


「利害、か」


 フェイとよく話すようになってから、ずっと私を苛んでいる不安。

 例えば目の前の御者なら、金銭を対価として私を運ぶ。

 エマは待遇で、パウロなら自身の腕を奮える職を欲して、屋敷で働いている。


 じゃあフェイは? フェイは、何を欲しているのだろう。


 彼女が何を求めて屋敷に来たのか、私は知らない。

 本人は衣食住と言っていたけれど、それだけでは、私なんかにあそこまでしてくれる説明が付かなかった。

 私は彼女にたくさん貰ってばかりだけど、私が彼女したことは、そう多く無いのだから。


 どうしても埋まらないパズルの空白のように、そこだけが抜け落ちている。

 他に思いつくピースなんて、私の地位か財産か。蹴落とす為、裏切りや謀り事のため、前準備として……


 経験から導きだされる昏い感情を、私は冠りを振ることで払ってのける。


 フェイは、フェイだけはそのどれとも違う……はずだ。

 あの笑顔が、言葉が、繕った偽物だなんて思わない。思いたくない。


 どれだけ自分にそう言い聞かせても、心の奥底に沈めたはずの疑念は、いつだって顔を出す機会を伺っていた。

 私はフェイでさえ、心から信じる事が出来ないのだろうか。



 小窓から見える景色の中に、屋敷はとうに見えなくなっていた。








 目のくらむような金と、淀み無い白で彩られた壁に、遠近感を失わせるような高い天井。

 あちこちに掛けられた絵画や陶器は、それ一つで一人の人生を買えるほどのものだろう。

 入口からちょっと眺めるだけで、これだ。

 メイスリンの黄金庭、そんな風に揶揄されるこのホールこそが、今日の私の戦場だ。


 ホール内では既に何十もの貴族たちが踊るように、入れ替わり立ち代わり語らいを交わしていた。

 商談、駆け引き、謀略、牽制。

 気を緩めた者、弱みを気取られた者から、背中を刺されて死ぬ。

 そんな見た目が華やかなだけの殺し合いに、ようやく私も足を踏み入れた。


 その瞬間、会場を包んでいたざわめきが、ピタリと止む。

 私の公爵という位は、この欲の城の中ですら一等目を惹くほどのものがあるらしい。

 どう取り入るか、どう蹴落とすか。そんな遠慮も配慮も排除した、好奇の視線が私に向かって一身に注がれる。


 ――いつものことじゃない。もう、慣れたものよ。


 何一つ感情を、弱みを表に出さないようにして、私は奥へと歩みを進める。

 幸い、私の前を遮る者は誰も居ない。

 私をどうにかする機会は窺っていても、自分から『血濡れの公爵』に食い殺されたくはないようだ。


 目の前の、小男を除いて。


「きょ、今日もお綺麗ですね。スティンレードこ、公爵。ヒヒッ」


 瘦せこけた頬を引くつかせ、吃音気味に話すこの男の名は、イスタッカ伯爵。

 情報を扱うことを得意とし、その情報で他人を強請る、ハイエナのような男だ。

 それでいて情報の正確性だけは確かなのだから質が悪い。

 今日私に声をかけたのも、大方、私に商品を売るか、商品でたかる腹づもりだろう。


「おべっかはいいわ。本題を」

「あ、相変わらず、性急ですねえ。わ、私の声は通りが悪いのでここで話すと、ほ、他の方の声で、掻き消されてしまうかもしれません」


 ここでは言えない、ということだろう。

 私がバルコニーに向かって歩き出すと、イスタッカも後に続く。

 誰も居ない夜空の下は、会場内の淀んだ空気よりは幾分かマシだった。


「それで?」

「こ、これを、お見せしたかったんですよ」


 イスタッカがいそいそと懐から取り出したのは、古びた一枚の紙きれ。

 どこか見覚えのあるそれの正体を看破した時、私の思考は硬直した。


「どこで、これを」

「あ、あなたが一番、おわかりなのでは」


 イスタッカの不快な引き笑いが、私の耳を素通りしていく。


 そんなわけがない、これが、ここにあるはずがない。


「質の悪い冗談は辞めなさい」

「じょ、冗談ではな、ないと、もう、わかっておられるのでは」


 見覚えのある紙切れの正体は、スティンレードの秘奥、呪いを綴った日誌の一ページだった。

 でも、それが流出するはずがない。

 だってあの通路の存在を知っているのは私と――フェイだけだから。


「に、西の商人が、や、屋敷に出入りしておられるようで」


 大陸の最西端にあるこの国に、西は無い。

 だからその言葉の意味するところは


「間者なんて、そんなもの居るわけが……!」

「な、ない、と、言えますか?」


 イスタッカが日誌の破片をチラつかせる。

 幾度も目を通したことのあるそれは、間違いなく本物だ。

 つまり、誰かがあの書庫に入り、盗みだしたという証左に他ならない。


「それを、どこで手に入れたの」

「し、商人の主から、か、買い取りまして」

「その主は、誰」

「じ、自分からはとても。知りたければ、商人に直接、訊ねてみては? こ、心当たりが、おありのようですから」


 違う。心当たりなんてない。

 あっていいわけがない。それを認めてしまったら、私はフェイのことを疑わないといけなくなる。


 何度も何度も否定して、他の犯人を捜そうとするたびに、沈めた疑念がここぞとばかりに顔を出した。

 違うと言いたいのに、信じたいのに。


 あの通路を開ける時は、いつだって細心の注意を払っていた。

 だからそれの存在を知るのは、私とフェイしか居ない。その事実が、私に重くのしかかる。


 フェイなら、フェイだけは、何度だって自由にそれを持ちだす機会があった。


 フェイは、でも、それでも私は……。



「こ、これはお渡しします。お、お気持ちは期待していますよ」


 私が堂々巡りを繰り返している内にイスタッカは去り、そこからのことは、自分でもあまりよく覚えていない。

 気付けば私は、帰りの馬車に揺られていた。


 私は祈るような気持ちで、渡された日誌を再確認する。

 その紙は、偽物になってくれてはいなかった。



 心臓が、ギシギシと嫌な音を立てて軋む。

 感情は否定したがっているのに、理性が、現実が、フェイを疑えと訴えかけてくる。

 一度切っ掛けを与えられてしまったら、もう止まらなかった。


 どうしてフェイは、あの屋敷に来たのか。

 カチリ、決して埋まらなかったパズルの空白に、何かが嵌る音がする。


 どうしてフェイは、私によくしてくれるのか。

 カチリ。


 どうしてフェイは、いつも何かを隠しているような素振りをするのか。

 カチリ。


 全部のピースが嵌ってしまった時、心の奥底に抑え込んでいたはずの泥が、ぶわりと吹き出した。

 そんなわけないと否定すればするほどに、フェイとの思い出がその泥に、黒く、黒く塗りつぶされいく。


 私の前でフェイがどんな顔で笑っていたのか、もう、思い出せなかった。


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