23.棄てられ令嬢遭遇する。
リメリアさん不在の猫生活二日目。早速ですが、失敗しました。
この姿でも出入りできるよう、ちょっとだけ開けておいた自室のドアを、エマに締められてしまったのです。
エマからしてみれば不用心ということで、閉めてくれたのは彼女なりの気遣いだと思うのですが、困りました。
用意しておいた食料が、部屋の中にしかないんです。
「みゃー……」
私の失敗を批難するように、お腹の虫がきゅうきゅうと鳴きます。
このまま開かずの扉の前で佇んでいてもどうしようもありません。
最悪、屋敷の裏手辺りに何か無いでしょうか。木の実、とか。
「にゃう……」
そんなこんなで屋敷の周りをくるっと一周してみたのですが、案の定成果は無し。
遠くに探しに行こうにも、この身体で迷子になったら帰って来れる気がしません。
空はこんなにも晴れやかなのに、私の気持ちはどこまでも地に落ちていきます。
「みゃうぅ……?」
世の無常を声に乗せて鳴いていると、どこからかガサゴソと何かの擦れる音がしました。
「?」
音の出所を探してみても、周辺には草木くらいしかありません。
おっかなびっくりで音に近寄っていくと、一番よく音が聞こえたのは木の真下、それも私が以前、リメリアさんの部屋から落っこちた場所です。
なんとなしに上を見上げてみると、私の頭上に丁度、黒い大きな何が降ってきていました。
「にゃあっ?!」
紙一重で身をかわし、その黒い塊から距離を取ります。
見た目の割に軽い音で地面に落っこちた塊は、四つ足でむくりと立ち上がりました。
私が塊だと思っていたそれは、私よりも一回りほど大きな黒い犬だったのです。
「……」
犬はこちらに目を向けると、ジロリと私を睨みつけました。
わ、私、なにかしてしまったんでしょうか。
目の前に居る子は、犬の中では小柄な部類ですが、更に小さい私では襲われたら一たまりもありません。
多分、今の私は自然界の最下層なので。
誰が見てもわかるくらいの退け腰で逃げる用意をしていると、黒い犬はふん、と荒く鼻息を吐くきました。
「みゃっ?!」
襲われる。そう思った私は咄嗟に飛び退こうとして、足を絡ませて転げます。
ほんと、向いてないです自然界。
もはや成すがまま、そう思われたのですが、私の覚悟した痛みは一向に襲ってきません。
閉じてしまった目を、恐る恐る開くと、私の身体はまだ無事でした。
「にゃ?」
犬が、そっぽを向いていたのです。
何故か身体を微小に震わせながら。
プルプルと何かを堪えるようにしながら、黒い犬はそのままどこかへ行ってしまいました。
……なんだったんでしょう。
さっきの犬のことを思い返しつつ、私は空を見上げます。
上から降ってくるなんて、木登りでもしていたんでしょうか。
それにしてもあの子、どこかで見たことあるような気が――。
記憶の箱をひっくり返しての考えごとは、私のお腹の虫が許してはくれませんでした。
で、いつのまにかここに居るわけなんですが。
「まーお」
「……」
厨房の裏口で、仁王立ちのパウロが私の侵入を防ぐように立ちはだかります。
香ばしいスープの匂いが私をここまで連れて来ちゃいましたけど、考えてみれば厨房なんて動物ご禁制ですよね……。
無言で私を見下ろすパウロも、心なしか表情が怖く見えますし。
流石にパウロをすり抜けて厨房に入るのも良くないですし、結局、おいしそうな匂いで余計にお腹が空いただけでした。
後ろ髪を引かれる思いで踵を返し、とぼとぼと歩き出します。
そんな私の後ろから、差し出すように一枚のお皿が置かれました。
お皿の上では蒸した芋と茹でたお肉が、程よく湯気を立ち昇らせています。
振り返ると、パウロが力強く頷きました。
「……!」
「みゃぁ……っ!」
人間の姿だったら、思わず感涙で咽び泣いているところでした。
表情は相変わらずピクリともしないのに、心なしかニコニコしているように見えるパウロに見守られながら、私は追加でもう一枚貰ったお肉を平らげます。
「にゃふぅ」
もう満腹です、満腹。調子に乗って食べ過ぎたせいで、しばらく動けそうにありません。
私がその場でへたり込み、パウロが厨房に戻ろうとしたところで、廊下の方から底抜けに明るい声が聞こえてきました。
「パウロー、お腹空いたんっすけどー!」
パウロが厨房に居ないことを不自然に思ったのか、ルチアはつかつかと厨房の中へと入ってきます。
「こんなところで何を、って、ありゃ?」
裏口にひょっこり顔を出したルチアと、目が合いました。
「さっきの……」
ルチアは何かを呟き、私のことを頭の先から尻尾の先までじっくり眺めると、何を思ったのか私の身体をがしっと掴みます。
それから触診でもするように、べたべたと私を触り始めました。
私の首に、お腹に、半ば引っ掴むような形で、粗雑に手を当てていきます。
「ふーん、そういうことっすか」
ぱっと手を離し、私を解放したルチアの眼は、何故だかやけに冷たく感じました。
が、それも一瞬のこと。彼女はいつものように明るく笑うと、私に背を向け、さっと立ち上がります。
「さ、ご飯ご飯っと」
スキップを刻みながら厨房へと戻っていく彼女は、やっぱりいつものルチアです。
でもさっきの、いつもの彼女ではないような雰囲気はなんだったんでしょう。
それに立ち上がった時、一瞬だけズボンの裾が捲れて見えたくるぶしが、赤く腫れていたのも。
私の直面した謎は謎のまま、夜が訪れます。
幾ら考えてもルチアの行動の意味はわかりませんし、考えているうちにこんな夜更けになってしまいました。
謎解きも手詰まりになり、なんとなくお決まりの窓から外を眺めます。
するとたまたま、見覚えのある馬車が闇夜に紛れて、門前に到着するのが見えました。
あれは確かリメリアさんの乗って行った馬車ですが、帰宅予定は明日のはずです。
それにこんな遅い時間に帰って来ても、皆寝静まっているので、着替えや諸々も出来ません。
何かが、おかしい気がします。
急いで階段を駆け下りると、玄関には、リメリアさんも着いたところでした。
彼女は私を見るなり駆け寄ってくると、そのまま私を乱暴に抱きしめます。
私の額に、ぴちゃんと何か暖かいものが落ちました。
「どう、しよう」
彼女は、泣いていました。誰も居ない夜更けとは言え、人目もはばからずに。
その涙をどうにか止めようと、私は手を伸ばします。
伸ばした指先が彼女の頬に届こうというところで、苦しみに歪んだリメリアさんの口から、私を凍り付かせる言葉が零れ落ちました。
「フェイが私をずっと裏切っていたなんて、そんなの嘘、よね……?」




