22.棄てられ令嬢街へ行く。
リメリアさんが館を発った次の日。
文字通り小動物と化した私は一応、色んなところをうろついてみたり、毎夜の行動をなぞってみたりと、何とか戻ろうと奮闘はしてみたのですが、結果はお察しといったところで。
やっぱり元に戻る鍵は、リメリアさん本人なんでしょうか。
とにもかくにも、これからリメリアさんが戻ってくるまでの最低二日間は、このまま猫生活なのが確定したというわけです。
「んなぁー……」
日当たりの良い窓枠から、開いた窓の外へ向かって、尻尾がだらりと垂れました。
全てを諦めた私は、やることもやれることもないので、絶賛日向ぼっこの真っ最中です。
「にゃふぅ」
やんわりと程よく撫でつける陽光が、私の喉奥から大欠伸を引き出します。
瞼が、段々と重力に逆らえなくなってきました。
「……みゃ」
身体を丸め、完全に寝入る体制になる寸前、私のぴょこんと逆立った耳が、聞きなれた声を捉えました。
「公爵様もフェイも居ないし、今日はもう暇ですねえ」
洗濯を終えたらしいエマが、玄関先でグッと伸びをします。
「自分も、そろそろお休みを満喫しましょうかね」
鼻歌混じりのエマは、足取り軽く使用人部屋の方へと向かって行きます。
そういえば、普段の皆が何をしているかって、意外と知らないんですよね。
持て余した暇の上に、むくむくと好奇心が芽を出してきました。
……ちょっとだけ、エマを追ってみるのもいいかもしれません。
もし見ちゃいけなさそうな雰囲気を感じたら、その場で退散しますから。
「あら?」
「みゃあ」
匂いを頼りにエマの後を追って行った私は、彼女の自室の前で、丁度部屋から出て来た彼女にばったりと鉢合わせました。
エマは普段の装いと違い、緑と茶色を基調にしたブラウスとロングスカートに着替えています。
手には籠を持っているので、どこかにお出かけでしょうか。
「白い猫ちゃん? どこかから迷い込んだんでしょうかー」
エマは屈むと、一指し指の腹で、私の喉を引っ掻くようにして摩りました。
ついでに私の喉も、私の意志とは無関係にゴロゴロと鳴ります。
違うんですよ? 甘えてるとかではなく、これはもうこの身体の性のようなものなので……
「にゃふー」
「ふふっ。ダメですよー、こんなとこに来ちゃ。ここには偉くてこわーい人がいますから。捕まって食べられちゃいますよー」
「にゃあ……」
すみません、その人に食べられるどころか食べさせてもらってます。
その後も私の喉で一しきり演奏を楽しんだエマは、太陽の傾きを見て、すくっと立ち上がりました。
「さてと、それじゃあ自分はもう行きますねぇ」
歩き出したエマの後を、小さな歩幅で、てててと着いて行きます。
「おや、着いてくるんですか? 街まで結構遠いですよー?」
「みゃーお」
エマは街に行くんですね。
なら私にはお構いなく。距離は知りませんが、歩けそうになかったら、途中で勝手に引き返しますから。
私の意志が伝わったかどうかは定かではありませんが、エマは私が着いてきやすいよう、歩幅を僅かに狭めてくれました。
裏口から屋敷を出て、時折エマが私の方を振り向いたりしながら、舗装された道を歩いていきます。
進むうち、段々と道の土汚れの色が濃くなっていき、歩道がやがて土と見分けのつかないような色になってきた頃、エマの足音以外の音、街の喧噪が私の耳へと飛び込んできました。
「聞いた? 隣のマチルダさんの話。もうすぐ出産ですって」
「今年は凶作だってなあ。今の内に買い溜めとかねえと」
「ねえママ、今日は市場には行かないのー?」
「おっけー! じゃあ今度、化け物屋敷で度胸試しな!」
矢継ぎ早に聞こえてくる、声、声、声。
足早に人が交差し、波のように途切れることの無い雑踏と、隙間なく敷き詰められた建造物が織りなす重厚さに、私は圧倒されました。
街を往く人々の顔も常に明るく前を向いていて、こんなに活気のある街は初めて見ます。
これが、公爵のお膝元ですか。
わかっているつもりではあったのですが、いざこうして目の当たりにすると、リメリアさんの持つ権威の巨大さを実感します。
むしろ、多少ここから距離があるとはいえ、同じ街の中にあるはずのお屋敷の周りが、不自然に静かすぎるくらいです。
「ようやく着きましたよぉ。遠いんですよねぇ、屋敷から都市部までが」
エマが嘆息し、雑踏の中へと踏み出そうとしたところで、彼女は何かに気付いて足を止めました。
「このままだとはぐれちゃいますねぇ」
エマは私を籠に中に放り込むと、人混みを平然と進んでいきます。
「みゃっ」
「ちょっと揺れるけど、我慢してくださいねー」
「みゃ、みゃあっ!」
注意も虚しく、激しく揺れた籠の中を、もんどりうって転がります。
籠の中の暗さも相まって、私は地上に居るはずなのに、暗雲立ち込める大海原で、嵐に襲われる船上にいるようでした。
「にゃぁぁ……」
「生きてますかー?」
げっそりとした私が籠の隅でうずくまっていると、突如、雲に覆われていたはずの空が裂け、光が射しこみます。
天の切れ目からは太陽の代わりに、エマが私を覗き込んでいました。
「着きましたよ」
「にゃう?」
エマの声でよろよろと麻の船から顔を出すと、ここは街の広場の片隅のようです。
揺れのせいで気づきませんでしたが、なんだか色んな食べ物の良い匂い辺りに漂っています。
ぽつぽつと出店のような物がある辺り、今日は市の開かれる日なんでしょうか。
私が物珍し気にくるくると視界を回していると、エマはその出店の内の一つ、さっきから特においしそうな匂いをまき散らしているお店に近寄っていきました。
「ここのお店、おいしいんですよー。サーレさーん、いつものください。あと、この子の食べれそうな物って何かありませんかー?」
「おっ、エマちゃん。今日は小さな友達付きかい。ちょっと待ってな、今とびきりの用意すっから」
「はい」
手慣れた様子で注文を済ませるエマは、きっとこのお店の常連なのでしょう。
この気さくな店主さんも、勝手知ったるという感じですし。
「いつもの豚串と、そっちのチビにそのままの味はきついだろうし、これな。切れっ端だからサービスにしとくよ」
「ありがとうございますー」
「みゃあー」
エマと声を揃えてお礼を言うと、店主さんが私に向かってお肉をぽいと放り投げます。
籠を汚さないよう細心の注意を払って、私はそれを口でキャッチしました。
ちょっと硬めの繊維ごとお肉を嚙み切ると、塩味だけのおおざっぱで、けれど直感的においしい味が口の中に広がります。
「にゃふ」
「お口にあったみたいですねぇ」
「そいつは嬉しいね。ほれ、もう一枚」
再び降ってきた店主のご厚意を平らげる頃には、エマもすっかり串を空にしていました。
「お腹もいっぱいになりましたし、そろそろ行きましょうかー。サーレさん、また来ますねー」
「みゃー」
差し出された籠に乗り込むと、再び公爵領行きエマ号が出航します。
今度はエマは大通りではなく路地を進んでいったので、私も籠から顔を出す余裕がありました。
慌ただしい大通りとは打って変わって、入り組んだ路地は人気もなく、また、同じような道が続くせいで自分がどこに居るのかさえも分かりません。
そんな裏道を、エマはまるで自分の庭のようにすいすいと進んでいきます。
「あったあった。潰れてなくて安心しました」
エマが足を止めたのは奥まった小道にある、目の前を通っても見落としてしまいそうな、看板だけをぶら下げたお店の扉の前でした。
「お邪魔しますー」
カラン、ドアベルの軽快な音が鳴り、店のカウンターで欠伸をしていた老婆が、今しがた入ってきたエマへと気怠い視線を向けます。
「おや、エマじゃないか。久しぶりだね。最近顔を見ないから、心配してたよ」
「お久ぶりですー。このところ忙しくて、中々来れなかったんですよー。なんせ新しい人が入ったので」
雑談もほどほどにエマは老婆から視線を外すと、代わりに店内に所狭しと並べられた雑貨に目を輝かせました。
「んー、この感じ、堪りませんねぇ」
細やかな花の意匠が彫られた小物入れや、見事な艶のある櫛などを、エマは一つ一つ品定めするように手に取ります。
私も目利きにそれほど自信があるわけではないですが、ここに売られているのは、かなりの逸品ばかりでしょう。
結構な額のお給金をエマが何に使っているのか、なんとなくわかった気がします。
「これなんていいですかねー」
その中からエマが手に取ったのは、手のひら大の小物入れでした。
いまにも花弁をはらりと落としそうな精巧なダリアの花が、月に向かって咲くように彫刻されています。
「これをくださいー」
「おや、珍しいね。それでいいのかい? あたしの勘では、そっちを選ぶと思ってたんだがね」
老婆が指さしたのは、薔薇が描かれている明るい色をした小箱でした。
確かに私も、エマに似合うのはどちらかと言えば小箱の方だと思いますが。
「そっちでいいのかい?」
「これはお土産なのでいいんですよー」
「土産、ねえ」
お金を受け取りながら、老婆が深く息を吐きます。
「それだけ懐に余裕があるのはいいが、あんた、まだあの屋敷を辞めないつもりかい」
次は自分の分を見繕うつもりでいたエマの動きが、ピタリと止まりました。
「あたしなんかは恐ろしくて仕方ないがね。あんたがいつ、あの公爵に殺されちまうのか、わかったもんじゃない」
「大丈夫ですよー。そりゃヒヤリとすることもありますけど、最近はある人のおかげで笑顔も増えてますし。何より辞めちゃったら、こんなのとても買いにこれないじゃないですかー。それに」
浮かべる笑顔に明確な拒否を浮かべ、エマは先ほど老婆が指さした小箱を、お金と一緒にカウンターに置きました。
「こういうのを気兼ねなく買えるくらいになろうねって、約束したので。だから、辞められませんよー」
「……そうかい」
老婆はお金を乱暴に受け取ると、追い返すように、エマをシッシッと手で払います。
「ほれ、買ったなら出てった出ってた。他の客の邪魔だよ」
「他の客って、いっつもガラガラじゃないですかー」
エマと一緒に店から追い出され、私たちはそのまま屋敷への帰路に着きました。
「今日はどうでしたかー?」
「みゃお」
「なるほどなるほどー」
「みゃー?」
通じてるんだか通じていないんだか、お互い適当な相槌を打ちながら、紅く染り始めた空の下を一人と一匹で歩いていきます。
なんとなくで着いて来てしまいましたが、悪くない一日でした。
お肉はおいしかったし、リメリアさんの治める街もこの目で見れて、エマの知らない一面も知れましたからね。
エマがああいったインテリアが好きだなんて、私もいつもお世話になっていますし、今度何かプレゼントしてみましょうか。
脳内で、先ほどの雑貨屋にあった、エマに似合いそうなものを幾つか浮かべます。
小箱の近くにあった櫛か、小物入れの隣に置いてあった髪留めか。どれも似合いそうで、中々難しい問題です。
そういえば、あのお土産は誰に渡すのでしょうか? てっきり街の知り合いの誰かに渡すものだと思ってたんですが、普通にお屋敷に持って帰ってきてしまいましたし。
私のささやかな疑問は、見惚れるような夕焼けの中に、そのうち溶けて消えていってしまいました。




