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21.棄てられ令嬢早とちりをする。

 



 リメリアさんに呪いの話を打ち明けられてから、数日。

 お仕事をしたり、書庫で調べものをしている間も、私の感情はずっと、出口のない迷路をさ迷っているようにあやふやでした。

 母との約束か、恩人か。

 屋敷で過ごす日々に楽しさを感じるたび、感情を食べて成長する怪物のように、後ろめたさが日に日に大きくなっていきます。


 充実しているはずなのに、どこか息苦しさを感じる、そんなある日のことでした。



 執務室での書類作業の終わり際、リメリアさんが思い出したように口を開きます。


「あぁ、明日から来なくていいから」


 世界の時間が、止まりました。

 手元からバサバサと紙束が零れ落ちていくのに、受け止めるための指が動きません。

 鼓膜の中で耳鳴りがキーンと音をたてて、外界と私を遮断します。


 なんで、やっぱり、隠し事のせいで、言わなきゃいけなかった。

 遅すぎる自問自答が滴となって、ほろりと、頬を伝いました。


「そういうことだから、フェイは――フェイ?!」


 私の涙に気付いたリメリアさんが、大慌てで駆けよってきます。


 そう、ですよね。私が捲いた種なのに、事ここに及んで泣き落としなんて。

 心配をかけるくらいなら、潔く去るべきでしょう。


「今まで、お世話になりました」

「な、何か勘違いしていない? 私は明日からの予定の話をしてるのだけど……」


 貸して貰ったハンカチをびしょびしょにしながら聞いた話によると、リメリアさんは明日から、三日ほどかけて社交界に赴く予定があるとのことでした。

 なので執務もそれに合わせてお休み、と。


 全く、私の早とちりだったようです……。


「すみません、早合点でした。ハンカチもこんなにしてしまって」

「構わないわよ。私も、話の切り出し方が悪かったわ」

「そんなことは」


 涙を吸ったハンカチを、気恥ずかしさごとポケットに仕舞い込んでしまいます。

 ボロ宿の天井みたいに雨漏りしたこれを、そのまま返すわけにはいきませんし。


「とにかく、そういうわけだから。三、四日は帰ってこないわ」

「わかりました。しかし、社交会ならお付きの使用人の一人くらい、必要では?」


 リメリアさんも大貴族ですし、社交界となれば何かと入用のはずです。

 ということで立候補のつもりで聞いてみたのに、リメリアさんは返事を言い辛そうに顔を背けました。


「要らないわ。人手が必要なら都度雇うし、向こうについてからも借り受けるつもりだから」

「何故です? 人手にしたって、最初から居た方が良い気がしますが」

「……私と居たら、悪し様に言われてしまうじゃない」

「気にしませんよ、私は」

「私が気にするの! ……フェイが悪く言われたら、我慢できる気がしないのよ」


 仏頂面のリメリアさんは、ぷくりと頬を膨らませて言いました。

 かわい……ではなく。一緒に行くことがリメリアさんの心労に繋がってしまうのなら、無理強いするのは本意ではありません。


「今回はわかりました。でも、本当に必要ならいつでもご一緒しますからね」

「えぇ、その時はお願いするわ。ところで、フェイは私の知らない間に、この部屋に入ったりした?」

「いいえ? 私もエマも、ここに入る時は必ずリメリアさんに伝えますし、それ以外の時は鍵を閉めているので、誰も入れないはずですが」

「なら、気のせいかしら」


 リメリアさんがどこか腑に落ちない様子で、しきりに首を傾げます。


「何かあったんですか?」

「そういうわけでは無いの。ただ、物が少し動いている気がして」


 試しにリメリアさんと同じところで立ってみても、私にはその違いが判りませんでした。


「私には変わらないように見えますが」

「そう、よね。きっと勘違いね」


 疑念を払拭するように、リメリアさんが冠を振ります。

 ……私よりも記憶力の良い彼女が、そんな勘違いをするでしょうか。

 ヤスリを掛けそこなったみたいなささくれが、頭の隅に引っかかります。

 が、それを口にする前に、リメリアさんは次の話に行ってしまっていました。


「じゃあ、明日からのこと、お願いね」

「えぇ、はい。……ん? 明日からってことは」


 一つ、大事なことを失念していました。

 私が猫から人に戻る原因はまだ判然として居ませんが、戻った時は全て、リメリアさんが絡んでいたのです。

 その、何らかのトリガーであろうリメリアさんが明日から不在ということは、つまり


「ちょっと急ぎの用を思い出したので、お先に失礼します!」

「え? えぇ」


 困惑するリメリアさんを置いて、私は執務室を飛び出しました。

 今の時間なら、まだ食堂で休憩しているはずです。




「居たっ! エマ、ちょっとお休みをとらせてもらえませんか!」

「うわっ!? どしたんですかいきなり」


 走り込んで来た私に目を白黒させながら、エマが傾けようとしていたカップから口を離しました。


 私の直接の雇い主はリメリアさんですが、仕事を割り振っているのはエマなのです。

 つまり、私の休日を握っているのも彼女ということで。


「急で悪いのですが、明後日から二日ほど、どうしても休みが欲しいんです」

「フェイは働きすぎですし、それは構いません。けど、またどうしてですかー?」

「えーっと、それは」


 猫から戻れないかもしれないからです。とは流石に言えず、口ごもっていると、エマは何かを察したように頷きました。


「言えないなら構いませんよぉ。ここに来るような人は大体事情がありますし。ルチアなんかも、急にふらっと休んだりするんですよー」


 それはそれで、良いんでしょうか。


「とにかく、休みすぎたりしなければ、幾らでも工面しますからねー。気軽に言ってください」

「ありがとうございます。本当、いつも迷惑ばかりで」

「気にしなくていいですよー。元々、公爵様不在でお仕事も減ってましたし、ほとんどお休みみたいな日でしたから。あ、でもお休み明けはその分働いてくださいねー」


 エマの冗談めかした口調から、私たちのやり取りは談笑へと変わっていきます。


 こうして私は、人でなくなることによる欠勤という、凡そが経験したことの無いであろう危機を事前に回避できたのでした。


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