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18.棄てられ令嬢秘密を知る。

 


 いつになく真剣な表情のリメリアさんが、緊張も隠さず、深くと息を吐き出します。


「いつか言ったわよね。どんなに通じていてもいずれ疑い合うことになる、って」

「覚えてます。それが、呪いのせいだとも」


 忘れもしません。夜の執務室で彼女が見せた、諦めたような表情も何もかも。


「私の身にはある呪いが掛けられている。その効力は、被術者に対する認識の歪曲」


 あの時を想起させるような顔で、リメリアさんは言葉を続けます。


「言葉の全てに疑惑を向けられ、その姿を恐怖される、隔絶の呪い。スティンレート家の代々継承してきた秘奥であり、十年前、父が私に向けて遺した唯一の物よ」


 私が二つの姿で聞いたこと、それらを繋ぎ合わせて、なんとなく予測は出来ていました。

 けれど、やはりその事実を知った衝撃は、少なくありません。


「ではリメリアさんにその呪いを掛けたのは、御父上なのですか」

「そうよ」

「どうして」


 部屋の隅に捨て置かれていた、薄汚れた鏡の破片を、リメリアさんが拾い上げます。


「嫌いだったのよ、私が。正確に言うなら、母によく似た私が」


 灰に塗れた鏡は、彼女の手元で、一体何を写しているのでしょう。


「だから、あの男は私から全てを奪うことにした。家も財も友も意義も居場所も、最後に全部失った私を嗤うためだけに、私を育てた。

 馬鹿な私はことが起きる直前まで、あの男を父と信じていたの。厳しいけど、それは私を想ってのことなんだって。もうすぐ捨てられるとも知らずにね」


 まるでその時の自分に重ねるように、部屋の隅へと、汚れ切った鏡の破片を放り捨てます。

 破片は、小さく音を立ててひび割れました。


「あの男は私から立場を奪うためだけに、知らない内に弟、跡継ぎまでどこかで作っていてね。

 きっと呪った後は、私の生きて来た痕跡の全てを、消してしまうつもりだったんでしょう。

 呆れるくらい、用意周到よね」


 そんなの、許せません。

 たった一度、我が子をどん底に突き落とす為だけに、それだけのことをするなんて。


「……御父上が嫌いだったのは、リメリアさんの御母上なんですよね。だったら、ただの八つ当たりじゃないですか」

「あの男にとってはそうじゃなかった。それだけの話よ」


 何より許せないのは、リメリアさんが達観してしまっていることです。

 そんな過去を、ただ記録を読み上げるように、淡々と語ってしまえるなんて。

 もっと悲しんだって、もっと怒ったっていいはずなのに。

 それを受け入れてしまっていることが、どうしようも無く、私の胸を苦しくさせます。


「どう、なったんですか。その人の、その後は」

「フェイも知っての通り、今の私は公爵としてここに居る」


 リメリアさんが、何かを握る所作をしました。

 するとその手の中に、いつかの夜に見た氷の結晶と同じように、氷の短剣が作り上げられていきます。

 それは凍えるほどに美しく、触れられないほどに鋭利な短剣でした。


「これで私が殺したのよ、父を。罪のない弟と一緒にね」


 永久に溶けることのない氷のような、冷え切った声が、狭い書庫に消えていきます。


「殺、した? どういうことですか」

「……あの日は、その年で一番の豪雨だった。夜、寝る時に雷が怖くて、大声で使用人を呼んだのよ。いつもなら誰かが飛んでくるのに、その日は誰一人来なかったからよく覚えてる。

 思えば、きっとその時にはもう、皆殺されていたのでしょうね。頭から毛布を被っていると、雷に紛れて何かが壊れるような音がして、次に聞こえてきたのは、知らない男たちの怒声だったわ」


 嫌に鮮明で、つい雨音までが聞こえてきそうな、リメリアさんの述懐が続きます。


「男たちは、父の雇った賊だった。私を攫うようにでも言われていたのでしょうね。

 すぐに足音が近づいて来て、部屋の扉の開いた音がしたと思ったら、乱暴に毛布を剥がされたの。

 毛布の先には、欠けた歯でにやつく大男が居て、殺されるって思った」


 リメリアさんが、左手で僅かに己の身を抱きました。それも恐らく、無意識に。


「どう、なったんですか」

「結論から言うと、私は助かった。魔法の才能、とでも言うのかしら。今までなりを潜めていたそれが、突然開花したのよ。

 大男は氷柱で串刺しにされて、気付けば動かなくなっていたわ。丁度、日を跨いだ頃、私は七歳の誕生日に初めて、人を殺したの」


 決死の中で、幼い彼女がつかみ取った藁。それが人を殺せてしまうくらいに大きかったのは、幸でしょうか、不幸でしょうか。

 生き延びれたことが幸であると、思ってくれているでしょうか。


「それから、どうなったんですか」

「それからのことは、あまり覚えてない。なりふり構わず逃げて、襲ってくる人間は魔法で皆殺しにした。館は危ないと思って、豪雨の中を泥だらけになりながら、息が切れるまで走った。

 走って、殺して、どこだか解らない森の奥で、洞窟を見つけたの。その中に灯が見えて、喜んで近づいて行ったわ。やった、これで助かるんだって。

 でもね、私がなりふり構わずたどり着いたそここそが、偶然、賊のアジトだったのよ。

 中から出てきた男が私を見つけて、そこからはもう乱戦。

 雨の中でも地面が真っ赤になるくらい戦って、最後に襲ってきた男が、父だった。それを知ったのは、この短剣で貫いてからだったけどね」


 翳した氷の短剣にランプの灯が反射して、彼女は僅かに目を窄めました。


「こと切れる直前、あの男は私にこう言ったわ。『醜悪なあの女の落とし子、俺たちの仇め。呪われろ。お前は生涯、誰にも望まれることはない』。そんなことを言われて後ずさったら、何かに躓いたの。そこにあったのは、一度しか会ったことない弟の、死体だったわ。あの男を殺す直前、庇うように飛び出してきた誰か。それが、弟だったのよ。弟は心臓を刃物で深々と突き刺され、息絶えていたわ」


 そこで、お話は終わり。まるでそう言うように、翳した短剣が砕けました。


「血濡れの公爵は、その両の手で親兄弟を殺して、当主の座についた。あの風聞は、あながち嘘でもないのよ」

「そんなの、仕方ないじゃないですか。リメリアさんだって被害者です」

「そうなのかもしれないわね。けど、殺したのは私。それは揺るがない」


 死罪を受け入れた罪人のように、穏やかな口調で、リメリアさんは語ります。

 どうして、こういう時ばかり頑ななんですか。


「でも!」

「あのね、聞いて。呪いは強い怨念が宿るほど、力を強くするの。あの男の怨念は、きっと海よりも深かった。

 貴女に呪いの効き目が薄い理由は解らないけど、いつかは呪いに侵される。

 ――最近は、本当に楽しかった。あんなに笑えたのも、人の暖かさを思い出せたのも、全部、貴女のお陰。だからこそ……」


 続く言葉は解っています。私から離れて、でしょう。

 そんな風に泣きそうな顔で言われても、受け入れられるわけないじゃないですか。


「嫌ですよ。絶対。前にも言ったじゃないですか、私がどうにかするって」

「無理よ」

「何かないんですか。呪いを解くための、何か」

「あるけど、無理なのよ」


 私が膝の上に置いた日誌のページを、リメリアさんが開きます。

 そこには、リメリアさんが語った呪いの触りが書かれていました。


「呪いを消す方法は一つ。かけられた呪いの儀式を、逆順で行うこと。けど、それは絶対に無理」

「何故ですか? ここに資料があるなら」


 リメリアさんが日誌を捲ると、その次のページだけが、綺麗に破りとられていました。


「ある程度まではそれで分かる。けど、儀式に必要な幾つかの物は、もう知る術がないの。あの男は、絶対に私がそれを知ることの無いよう、わざわざ処分したのよ」


 血の気が引いて行きました。もしそれが本当なら、リメリアさんの呪いを解く方法はこの世には、もう。


「……無茶でも、探させてください。リメリアさんの呪いのこと、諦めたくないんです」

「無理よ。もう知ることは出来ないんだから」

「それでも!」


 私が食い下がると、リメリアさんは日誌をぱたんと閉じて、紅の瞳で私を覗き込みました。


「どうして。どうして、私にそこまでするの? フェイが優しい人なのは知ってる。けど、私と貴女はまだ出会って一年も経ってない、ただの雇い主と雇われの関係。

 そこまでする義理はないはずよ」

「それは、前にも言ったように」


 仕事をくれたから。なんて言い訳では、目の前の真剣な顔をしたこの人はもう、納得してくれないでしょう。


「……一つだけ、私はリメリアさんに隠し事があります。それがリメリアさんが求める理由の大半なんです」


 独りぼっち、恐ろしい闇に蝕まれながら、孤独の中で死んでいく寸前に、私は救われました。

 だから私だって、この人がそこから抜け出す手助けをしたい。


 けれど、私は母を裏切れません。大好きだった母の、遺言を。


「その秘密は、私には言えないのね?」

「……ごめんなさい」

「それは、私を害するようなもの?」

「違います。絶対に」


 秘密を言えない私が、それでも、この人に伝えたいこと。


「私は、リメリアさんの助けになりたい。大好きなんです、あなたが。その気持ちだけは嘘でも、違えたりもしません」


 隠しごとがあるのに、それだけは信じてだなんて、都合が良いことも、矛盾していることも解ってます。

 だから、これは私の一方的な、ただの吐露です。その、つもりでした。


「……しん、じるわ。フェイのその言葉を、信じる」


 一瞬、私こそが、自分の耳を疑いました。

 信じる。短い、けれど、リメリアさんにはとてつもなく重い言葉。

 隔絶の呪いという、昏い森の中で生きて来た彼女にとっては、きっと何よりも。

 それが私に向けられたことが、信じられなかったのです。


「私のことを、想って言ってくれている、のよね?」

「っ、はい!」


 初めて新しいことに挑戦する子供のように、たどたどしく好意を確認する彼女を、私は強く首肯します。


「大好きです。だからどうか、あなたのために何かをすることを、止めないでください」

「それは、嫌よ」


 リメリアさんが少し拗ねたような表情で、口を尖らせました。


「私だって、貴女が大事。いいえ、好き」


 彼女の手が私の手と重なり、そのまま離さないよう包んでしまいます。


「だからこそ、肯定してしまうと、きっとフェイは際限なく、危ないことだってするでしょう? それは、嫌」

「そんなことは……」


 無い、とは自信をもって言えません。


「私から離れて欲しいのだって、フェイが好きだからよ。そうすれば、少なくとも貴女は呪いに巻き込まれずに済む。今日だって、諦めさせるためにここを見せに来たのに」

「だけど、それじゃあ結局リメリアさんは救われません。だから、私はそれを良しとしたくない。私は、私の好きな人に、笑っていて欲しいんです」


 真紅と天色の視線が、交錯します。


「どうしても、なのね」

「どうしても、です」


 互いに譲れないにらみ合いの末、不意に、とん、と肩に重さを感じます。

 私に顔を埋めるように、リメリアさんがその華奢な身体を、私に預けていました。


「そんなの、私が折れるしかないじゃない。卑怯よ、フェイは」

「そう、かもしれませんね」


 また不満顔のリメリアさんに、困ったように私が笑います。

 地下深くの書庫の中、薄暗いランプだけが、私たちを照らしていました。





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